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日本史 高校生

2022年共通テスト日本史大問6についてです。 大問6の問6の④に、「太平洋ベルト地帯から整備された新幹線は、その後東北地方や日本海側と首都圏を結ぶようになった」とありますが、全くこの意味がわかりません。 解説を見ると「太平洋ベルト地帯から整備された新幹線」は東海道新幹線、... 続きを読む

日本史B 問6 下線部ⓔに関連して、次の表2は, 高度経済成長期以降の鉄道自動車の旅 客輸送量と乗用車の保有台数,高速道路延長,新幹線・高速道路の開通年を表 したものである。表2について述べた文として正しいものを、後の①~④のう ちから一つ選べ。 31 表2 旅客輸送 (百万人キロ) 乗用車保 高速道路 有台数 延長 (千台) (km) 自動車 主要な新幹線・高速道路の開通 1964 東海道新幹線全線開通 1965 名神高速道路全線開通 1969 東名高速道路全線開通。 1975 山陽新幹線全線開通 1982 東北新幹線 大宮盛岡開通 上越新幹線 大宮 新潟開通 中国自動車道全線開通 関越自動車道全線開通 年 鉄道 1960 184,340 55,531 457 1965 255,384 120,756 2,181 181 1970 288,816 284,229 8,779 638 1975 323,800 360,868 17,236 1,519 1980 314,542 431, 669 23,660 2,579 1983 1985 330, 083 489,260 27,845 3,555 1985 (矢野恒太記念会編『数字でみる日本の100年 改訂第6版』 により作成) Q 表2によれば、鉄道の旅客輸送が減少したことはなかった。 ②表2によれば, 日本で最初に開かれたオリンピックの開催までに,東京一 大阪間には、新幹線・高速道路が全線開通した。 1965 名神 ③表2によれば、第1次石油危機の後、自動車の旅客輸送は減少した。〇 表2によれば, 太平洋ベルト地帯から整備された新幹線は, その後、東北 地方や日本海側と首都圏を結ぶようになった。 #

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日本史 高校生

なぜ4が間違いなのですか?

問4 下線部に関連して, 江戸時代に流通した小判の重量と金の成分比率の推移 を示す次の図2を参考にして, 江戸時代の小判について述べた文として誤って いるものを,下の①~④のうちから一つ選べ。 なお金の成分比率 (%) は, 幕府さ が公定した品位による。 4 SUJJRA 434316 図2 小判の重量と金の成分比率 (1両につき) 1匁 2匁 3匁 4匁 5匁 (注) 鋳造年 慶長6 (1601) 元禄8 (1695) 宝永7 (1710) 正徳4 (1714) 元文 (1736) 文政2 (1819) 天保8 (1837) 安政6 (1859) 万延1 (1860) 84% 57 %S 66% 56 % 57 % 57 % 84% 84% DASHURGHAFE 8476103SATEROR.LO 外吉村益華の資及 PARNACAJOPAURA S THIKAMOOPANY JEG RUAHATHN CATALAR 142 57 % (桜井英治・中西聡編 『新体系日本史 12 流通経済史』により作成) もんめ (注) 匁 :重量の単位。 1匁 = 3.75g AAACXX 新井白石の意見により,幕府が鋳造した正徳小判は,重量も成分比率も, 慶長小判と同じ水準に戻された。 ②幕府は必要に応じ, 鋳造小判における金の成分比率を変化させたが, 50% 以下となることはなかった。 ③ 元文小判の金の成分比率は, 正徳小判よりは低く、後の時代よりは高かっ た。 ④ 国内と海外の金銀比価が違ったため、開国後、幕府は小判の金の成分比率 を減らして対応した。 1 95 - (2602-95)

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