きやう
羽は、河北で秦の主力軍と対戦し、これを打ち破った。他方、沛公は、 河南を転戦し
つつ関中に入り、項羽より先に咸陽を制圧した。
かんよう
かんこくかん
咸陽を目指して意気揚々と進軍する項羽は、函谷関を守る沛公軍に行く手を阻ま
れ、さらに、沛公が関中で王となろうとしているとの内通を受ける。これに激怒
した項羽は、四十万もの大軍を率いて十万の沛公軍を討つ決意をした。
5
こうはく
10 ちょうりょう
項羽の叔父項伯は、かつて沛公の側近である張良に命を助けられたことがあり、
総攻撃の前夜、ひそかに張良と会って切迫した事態を告げた。やがて沛公と面会
した項伯は、明朝出向いて項羽に謝罪するように沛公に勧め、項羽には、秦討伐
に大功のある沛公を討つべきでないことを説いた。二人はこれを聞き入れた。前
二〇六年のことである。
まみ
じつ
タリテ エントシ
沛公旦日従百
従百余騎来見項 王、至鴻門。
シテ
あはセテ
将軍
力而攻奏将軍
謝日
臣
さりキ
おもいよク
リテ
然不 自意能先入園
入関破」秦、得
見将軍於此今者有小人之司令将軍与
5
臣有。項王日、此沛公左司馬曹無
項王即
戦っ
以至此。」
よりテ とどメテ
父南嚮
11
亜浦
さきニ
10
公与飲。項王・項伯
ぞう
・函谷関 戦国時
省霊宝市の南西
9項伯?~前
に諸侯に取り立
10張良 ?~前
兵法に優れて
1旦日 翌朝。
2鴻門 現在の
3部 仲たがい
4左司馬 官名
5曹無傷 沛公
6 東嚮東に向
同じ意味。
7 亜父 父に
8
言与復北門
15
伯。東
「亜」は、次
8 范増 項王の
9目 目配せ
10個 腰に下
1玉珠 環状
玉(宝石)、
「決」を
公を殺す
と暗に迫
1項荘
13為
とが
1414為