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地理 高校生

至急です💦 教えてください🙇‍♀️

10103 歴史 日本の時代区分 世界の古代文明 日本の時代区分 次の表中の①~⑤に当てはまる語句を答えなさい。 縄文時代弥生時代~古墳時代・飛鳥時代 (1)時代 (2)時代 (5) 時代 時代区分についてはさまざまな分け方、考え方がある。 ここでの日本の時代区分は、おもに政治の中心地による分け方にもとづく。 (3)時代 鎌倉時代 安土桃山時代 (④) 時代 「平成時代 明治時代 昭和時代 ① 昭平令 ③ 世界の古代文明 ④ ⑥右の地図中のaの川の名前を答えなさい。 ①右の地図中のAの文明でつくられた,国 王のための墓を何というか。 ⑥ メソポタミア文明のおこった地域を、右の 地図中のA~Dの記号で答えなさい。 縄文時代弥生時代 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 じょうもん 地面を掘ってつくられた, 縄文時代の住居を何というか。 ⑩紀元前4世紀ごろ, 大陸から伝わり,当時の生活のようすを大きく変えた農業技 術は何か。 わ ひみこ 13世紀ごろ、倭の女王卑弥呼が治めていた国を何というか。 (6) ⑦ (8) ⑨ 10 語群 百済 稲作 麦作 よこ穴住居 邪馬台国 たて穴住居 11 |古墳時代・飛鳥時代 12 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 ならばんち 13世紀後半, 奈良盆地を中心とする地域に生まれた大きな勢力を何というか。 だいせんこふん 13 大仙古墳に代表される, 独特の形をした古墳を何というか。 じゅがく ⑩ 日本列島に一族で移り住み、漢字や儒学, 仏教など、大陸の技術や文化を伝え た人々を何というか。 14 すいこ おおきみ ⑩ 推古天皇のおいで, 大王 (天皇) を中心とする政治のしくみをつくろうとした人物 15 はだれか。 なかのおおえのおう なかとみのかまた そが ⑩6 中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我氏をたおして進めた改革を何というか。 てんじ ⑦ 天智天皇の死後、皇位をめぐって起こった戦いを何というか。 聖武天皇 前方後円墳 円墳 渡来人 豪族 大和政権 聖徳太子 17 群 大化の改新 摂関政治 応仁の乱 壬申の乱

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地理 高校生

地理 小麦ととうもろこし 小麦よりもとうもろこしの方が降水量が多く必要、と学校で習ったのですが、下の写真と中国の気候区分を見る感じ、小麦のほうが降水量の多い場所で育てられている感じがします。 小麦ととうもろこしの栽培の特徴と、写真の中国でもそれが適用されているのかを教えて... 続きを読む

東アジア 2. 中国の農業の特徴は? 農業は、中国の東側でさかんに行われている |中国の気候(気温・降水量) 80 70 90 -20°C タクラマカン砂漠 20°C. チベット高原 100° 110° -20% 130° チンリン山脈とホワイ川を結ぶ線が 年降水量1000mmと一致する 50 1年降水量 1000mm線へ (チシリン=ホヴィ川線) 黄河 ホワイ川 長江 30° - 20 ■中国の農業分布 70 東北ではとうもろこし 華北では小麦 南部では稲作 年降水量 umm 1000 |300 0 1月の平均 気温線 主要農作物 ☐ * ■小麦 ■ とうもろこし 稲の二期作の さかんなところ 80 90 タクラマカン砂漠 チベット高原 100 110 120° チンリン山脈 K² 日 黄河 チュー川 130° 50' ホワイ川 長江 -30° '20' 中国の農業は、中国の東側でさかんに行われている。 チンリン山脈とホワイ川を結ぶ線が、 年降水量 1000mmとほぼ一致しており、この線を境に南部では稲作, 北部では畑作が行われている。

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日本史 高校生

室町時代の社会と経済活動について、本文をもとに、農業の発達にはじまり、それが何の発達につながっていったのか、その連鎖の過程が分かるように、160字程度でまとめなさい。(教科書P.106~107参照) 教えてほしいです。お願いします。

106 村や都市の住人たちは、どの ようにして生活を成り立たせて いたのか、考えてみよう。 水 石山寺蔵) 水車を設けて川から田に水を引いて いる。 WA M AMA GR TW SES MAMMAS A ③肥料やり (本)」,国立歴史民俗博物館に をまいている。 IS世紀末には、朝鮮から伝わっ 木綿の栽培が東海地方で始ま り、一般の衣服の生地として使 われ、のちには布やとし ても重宝された。 日本の鋼生産は15世紀初めに復 調して海外への主要な輸出品と り 15世紀末ごろには金鉱の 開発が始まった。 16世紀前半に は朝鮮からの技術移転により、 石見銀山などでの生産が本格 【化した [p.124]。 市では主から営業を許された 市座が設けられ、 その地の領主 に税をおさめる契約をした商人 のみに、営業が認められた。 3 室町時代の社会と経済活動 ②田植えの風景(背菜風俗 東京国立博物館蔵) 村ごとに、農民がそろって田植えを 行うようになった。 第2編 中世の日本と世界 室町時代は寒冷な気候の時期が多く、 15世紀にはし ばしば深刻な凶作や飢饉にみまわれた。 そのため、 なかで おくて 稲作では、各地の気候にあわせて早稲中稲 晩稲の品種が栽培され、竿 ばつや虫害に強い東南アジア原産の米(大唐米) も導入された。西日本で だいとうまい 農業・産業の 発達 は、米・麦・そば・野菜などの三毛作が登場し、庶民の食事を豊かにし かりそうもくばい しもごえじんぶんにょう さん いりあい た。 肥料として刈敷や草木灰が一般化し、 下肥(人糞尿)も使われ始めた。 しかし、人々が共同利用していた山野 河海などの入会地では、伐採や 用水をめぐる争いもめずらしくなく, 共通の利害を持つ人々は個々の社 園をこえて地域ごとに団結して協定を結ぶこともあった。 また, 手工業 の原料として、暴・・鮭・住胡麻・麻などの栽培もさかんになった。 漁業を専門とする集団が生まれ, 揚浜式の製塩業も普及した。 15世紀 前期には、 明や朝鮮に対する輸出品として銅の需要が増えたため、新し あげはま じゅよう い鉱山が数多く開発された。 にしじん はかな とうき 京の西陣や博多の絹織物をはじめ, 麻織物 綿織物 陶器・紙・酒・ 油などの生産が進み, 刀や農具をつくる鍛冶や鋳物業などの手工業もさ かんになった。 特に15世紀後期には、大きな窯の開発に成功した備前・ びんぜん から とこなめ 越前・瀬戸・常滑などで壺や腕などの陶器が大量に焼かれ、全国 信 に出荷された。 商業・流通の 発展 産業の発達につれて商業や流通もさかんになった。 ろくさいいち 市の開催日も増え、仁の乱後には月6回の六斎市 p.110 が一般化した。都市では常設の小売店 (見世物)が増加し、特定の商品だ けをあつかう専門の市場も生まれた。公家や寺社を所とする商工業者 の座も種類や数が増加し,一定地域内での仕入れ・販売の独占権や、領 内での関鈍免除の特権などを本所からあたえられた。 p101 産業や商品流通の発達とともに, 貨幣の流通もさかんになった。13世 せんのう だいせんのう 紀末から, 荘園では年貢の銭納化 (代銭納) が進み, 年貢にかわる銭をえ るために荘園の市場で作物が売却された。 逆に荘園領主は,納入された ばいきゃく たんせん むなべつせん きか によって、必要な商品を市場で購入できた。 また, 段銭棟別銭, 茜 土倉役など、銭納の税も一般化した。 ただし、宋銭や明銭などの渡来銭はつねに不足し、長期の使用による 破損もはげしかったため, 中国福建や日本各地で模鋳された銭が れつあく えりに 利用され始めた。 もっとも,それらの多くは劣悪な銭で, 撰銭 ( 銭の選 だいみょう。 6 別の対象となったので、 商取引が渋滞した。 そこで幕府や戦国大名は, くりかえし撰銭令を出して混乱をおさめようとしたが, 劇的な効果は望 めなかった。 また, そもそも銅銭は重くて運びにくく、 価値も一定しな かわし さいふ かもと やましろ いたくはんぱい。 かったので、為替や割符を用いた代銭納が好まれるようになった。 商品の輸送がさかんになるにつれて, 交通網も発達した。 近江国の大 津・坂本, 山城国の鳥羽・淀など交通の要地で, 馬借など運送業者が活 躍した。 物資の保管や委託販売を業務とする問(問丸) は, 馬借を支配し、 卸売り・運送や商人宿をいとなむ問屋に発展した。 幕府や公家・寺社は, 収入を増やすために多くの関所を設け、 商売物に税(関銭や津料)をかけ ることもあった。 といいま とい せきしょ ⑤機織り 喜多院蔵) 綿布は、 初 , めは朝鮮や中国から輸入されたが, 15世紀末に は、三河地方で綿花が栽培され、 綿織物業も各地 で発達するようになった。 うたあわせ ⑥ 大鋸引き(「三十二番職人歌合』 サン トリー美術館蔵) 大鋸は二人がかり で引く銀であり, 明から伝わったと される。 16世紀の室町通商店街のにぎわ い (「洛中洛外図屏風(上杉本)」 米沢市上杉 博物館蔵) 室町通りは南北に走る. 商家が建ちならぶ目抜き通り。 中央 に都で有名な烏帽子屋がある。 近郷 からの出稼ぎ農民が、 商家の屋根を ふきかえている。 西日本の10余か国に対明用の油 の専 MASTES NUE 油座は, 属し, 石清水八幡宮を本所とし た。 海路や陸路を通じて運ばれ た原料(荏胡麻) から灯油をつく り, 京都の公家や寺社, 各地の 問屋などに販売した。 流通貨幣(一文銭)の種類を限定 したり、 銭貨間の交換比率を定 めたりした。 ⑥ その結果, 銭の現物そのものは 現地に滞留し、しだいに各地で 流通の基準となる特定の銭が選 | 好されていった。 たとえば, 関 丸いらくつうほう 東では永楽通宝、九州では洪武 ■通宝が高い評価をえた。 ① FOLL 3 8t 第3章 ⑦ 明銭と造 明銭の① 洪武通 宝や②永楽通宝などが輸入され, そ れまでの宋銭などとともに1枚1文 として流通した。 日本 中国を問わ ず 民間の模造銭がさかんにつくら れ、日本では, 枝つきの③鋳造銭が 確認されている。 中世社会の展開 107

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