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「ため陶片追放(オストラキスモス)の制度。がつくら
0 借主になるおそれのある人物の名を市民たちが陶器の破片(オストラコン)に書いて投票し
った平民は,参政権を主張して貴族と対立しはじめた。
おける民主政への歩みが始まった。
480年のサラミ
大軍を再び大
的となり,こ
民主政が典型的な形で出現したのは, アテネであった。まず前7世紀。
ドラコンによって法律が成文化され, 法による秩序の維持がはかられた。。
前7世紀
せいぶん か
立と自由をま
Drakon
け。
ちょうていしゃ
Solon
ペルシア戦
いで前6世紀初頭にソロンが貴族と平民の調停者として改革をおこない。
ふさ
統ではなく財産領の大小によって市民の参政権を定め(財産政治),また負権
を帳消しにし、以後,借財を負った市民を奴隷として売ることを禁止した
(債務奴隷の禁止)。やがて多くのポリスでは, 借主と呼はれる独裁者が, えてFロス同
前640頃~前560頃
とう
ーゲ海周辺の
ど れい
しゃくざい
はペルシアの
のせんしゅ
とくさいしゃ
さいむ
tyranny
民の支持により非合法に政権を奪って借主政治を アテネはその
Peisistratos
実現した。アテネではペイシストラトスが前6世 アテネは強大
?~前527
NIS 田RKLたFう
'NOKLEOS
紀半ばに借主政治を確立し,中小農民を保護する 景にほかの同
など平民層の力を充実させた。これら中小農民層は る支配力を
ぐんかん
BMS,
のちに民主政の支持基盤となった。
内では軍艦
借主政治の崩壊後,前508年にアテネの指導者と
戦争に参加一
Kleisthenes
なったクレイステネスは,血縁に基づく旧来の4
けつえん
発言力が高
前6世紀末頃
ちえん
背景に前5
demos
部族制を,地縁共同体である区(デーモス)を基載
Perikles
として10部族制に改める大改革をおこない, ア
軍ベリクレ
前495頃~前4.
オストラコン どちらもテミ
ストクレスの名が刻まれてい不民主政の基礎を築いた。借主の出現を防止す
る。下は杯の丸い底部に 「ネ
オクレスの子テミストクレス
は去れ」と刻んである。
でアテネ民
とうへん
た。そこで
ため陶片追放(オストラキスモス)の制度。がつくり
Ostrakismos
の全体集会
れたのも,このときである。
1
エーゲ海
0 借主になるおそれのある人物の名を市民たちが陶器の破片(オストラコン)に書いて状
全部で6000票以上集まったときに最多得票者を10年間国外に追放する制度。
とうき
め同盟の金庫
はへん
32 第1章 オリエントと地中海世界
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