世界史
高校生
解決済み

19世紀のイギリスは穀物法や重商主義的な規制を撤廃して、自由貿易体制に移行したのはなぜか教えて欲しいです🙇🏻‍♀️

回答

✨ ベストアンサー ✨

_イギリスの自由貿易政策の、その前の時代を考えて見ましょう。
_重商主義政策を行っていましたね。国家を運営するには、金が掛かるから、その金は、貿易で得よう。その為には、原料と消費者が必要だ。と言うわけで、植民地とかを多く作って来たのです。計画的に貿易黒字を出すには、貿易を制御、つまり、保護貿易を行っていた方が先々まで計画出来て良かったわけです。得する人と損する人とが出てくるので、保護貿易を続けるのを望むのは、得する人、詰まり穀物の価格を安定して維持してもらえる多地主とか、領主とかですね。
_しかし、産業革命とかで、一部の資産家とか資本家とか、禄に働きもしないのに一杯お金を持った人が出て来たわけです。この人達は、もっとお金が欲しいので、余ったお金を、保護貿易で値動きが分かり易い穀物とかに、穀物投機する訳です。すると、穀物の価格が爆上がりしますから、普通の労働者とかは、食べるものにも困る訳です。商人も儲かる人もいれば、困る人もいる訳です。こういった、食べるものにも困った労働者・商人(の一部)が自由貿易を望み始めます。
_そういった考えを合理的に説明したのが、『国富論』、アダム=スミス、1776年、及び、『経済学及び課税の原理』、リカード、1819年、といった学者です。それによって、保護貿易政策よりも自由貿易政策の方が、貿易黒字になり、庶民の不満も減るだろう、と判断して自由貿易政策へと進んで行きました。
_当時は、貴族が政治を担っていたので、庶民の不満は参考にしますが、お抱えの学者とかの言うことしか聞きません。
_従って、労働者・商人といった人々が自由貿易を望み、それを分析・解説したアダム=スミス、リカードといった学者達が上申して、自由貿易を推進した。逆に、反対していたのは、(結果的に富が庶民へと流出してしまう)多地主・領主といった人達です。

_投機マネーが穀物価格を暴騰させて、民衆の不満が高まったり、暴動が起こったりするのは、世界各地でのあるあるです。近代日本でも起こってます。

【重要】
_ウェブで、世界史の窓、と検索すると世界史の窓というウェブ・コンテンツが見つかります。まず、このコンテンツを参考にして、使いこなしましょう。

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