スタディー
チャージ
(注1)
#
れたのは、おそらく、そのなかに、色彩と色彩への問いとがひとつに
1問
現代文 論理的な文章読解
/3問
溶けあうような存在を見出そうとしたためだろう。
/2問
正解数をチェックしよう。
次の文章を読んで、後の各問い (問一~五)に答えよ。
【文章Ⅰ】
ゴッホが一八八八年の二月に、パリを去ってアルルにおもむいた
ことについては、さまざまな理由があげられている。 アルルの方が生
活費が安いこと、パリでの無理な生活のために身体をこわしたこと、
もっと輝かしい太陽を求めたこと、などである。
もちろんこれらの理由が働いていただろうが、印象主義の色彩を超
えて色彩と新たな関係を結びたいという欲求こそ、これらさまざまな
理由を生かす、さらに本質的な動機であったと言うべきだろう。健康
や生活費の問題だけなら、弟のテオもおり、ピサロやロートレックや
ベルナールといった画家仲間のいるパリを離れる必要はあるまい。もっ
とパリの近くにだって、そういう条件にかなう土地はいくらもある。
また、より輝かしい太陽にしても、そういう太陽への欲求は、印
象主義の色彩から自然に生まれ出て来るものではない。現に、モネに
(注1)
B
(注2)
してもシスレーにしてもピサロにしても、イール・ド・フランスのお
だやかで微妙な光のうちに、その色彩にもっともふさわしい光源を見
出しているようだ。ゴッホが南仏のもっと輝かしい太陽に惹きつけら
(注1)
0
いた
パリに出て来たときと同様、アルルでのゴッホは、以前のスタイル
からの急速な離脱を示す。もちろん、印象主義に全身をさらすことに
よってわがものとした色彩の純度や明度や補色関係についての認識は充
分に生かされてはいるが、もはや色彩は単なる光の関数とは異なった
ものとなる。或る意味をはらんだもの、「それ自体で何かを表現する
もの」となる。オランダ時代からすでに芽ばえていたこのような色彩
観は、印象主義を通過することによってその純度と実り多いひろがり
とを獲得したと言える。かくして、アルル時代のゴッホの作品は、
外部へ向かう運動と内部へ向かう運動とが鋭く緊張しながら或る均
を生み出していて、そういう意味では、この時期を、ゴッホにおけ
古典主義的時代と呼ぶことも出来るだろう。
ゴッホがアルルで、「ひまわり」という主題にとりつかれたのも、
こういったことのあらわれである。彼はアルルに来て初めてひまわり
を描き始めたわけではない。パリ時代においてすでに何点かひまわり
の絵を描いているが、それらはあるいは切り花としてテーブルのうえ
に置かれており、あるいは他の花とともに花瓶にさされている。アル
ルでの作品において、ひまわりだけを花瓶にさしたあの周知の構図を
とるに到ったのだが、このことはひまわりに対する彼の姿勢と深く