ももかわ
しもつけ
が没すると,Dは藤原式家の百川らによって下野薬師寺に追放された。 その
後,天智天皇の孫の ( 6 ) 天皇が即位した。
II
I
(1) 文中・図中のA~Dに適する人物を書け。
(2) 文中の( )に適する語句を書け。
(3) 下線部aについて、文中の (3) が政界から
の追放を要求した人物を2人書け。
(4) 下線部bについて,次の問いに答えよ。
① 741年に出された詔を何というか。
(2)
右の史料 Ⅰ の傍線部あが,当初造立され
た宮都はどこか。
かいげんくよう
③ 大仏の開眼供養を行った天皇は誰か。 ま
た,それは西暦何年か。
(5) 右の史料 II について,次の問いに答えよ。
① 傍線部は西暦何年か。
(2)
傍線部は何という法令のことか。
(3)
この史料は何という法令か。
(4)
③ 以降、寺院や貴族、地方豪族が農民な
かいこん
どを使って開墾した土地を何というか。
(6) 史料 Ⅰ・ⅡI の出典である歴史書は何か。
怠 た
たいけん
ちんなり
あるしゃなぶつ
いきおい
ほしみずのとひつじ
者は脱也、天下の勢を有つ者も朕也。
して、三世一身を論ずること無く、成悉に永年取ること莫れ。
いっく
きのとうし みことのり
意して、地を開きて復た荒れぬ。今より以後、任に私の財と為
(天平十五年五月)乙丑、詔して曰く、「如聞、墾田は、
七年の格に依て、限満るの後、例に依て収授くと。是に由て農夫
して盧舎那仏の金銅像一軀を造り奉る。…..夫れ天下の富を有つ
天平十五年歳癸未に次る十月十五日を以て、菩薩の大願を発
たてまつ
ま
おさめさず
もっ
これ
ぼさつ
なか
より
たいがん
......
まま
かくきけ
と農養
***
そ
有もを
つ 発