A1 選
日本史
日本史の問題は, 【1】 から 【4】 まである。
(0)7
【1】 次の文章を読んで、下の問いに答えよ。
と呼ばれた人々の居住する北方への進出も
大化改新後,古代国家の形が整えられていく中で,
ぬたりのさく
開始された。 まず現在の新潟県に拠点として淳足柵などの城柵が置かれた。 その後, さらに積極的な政策が
と交流し、朝貢関係を結んだ。
とられ,
B
の船団が日本海沿岸部の北方に派遣され、各地のA
一方, 太平洋側でも, 宮城県で柵で囲われた7世紀の囲郭集落が発見されている。 中央政府は、城柵や囲郭
A に対しては物資の支
集落に関東などから住民を移住させ開拓にあたらせ,支配領域を拡大した。
給や政治的地位の授与を行い, 服属関係を結んだ。
8世紀に入ると,活発に城柵が設置され,支配領域の拡大が進んだ。 708(和銅元)年に現在の山形県に
出羽郡が建郡され出羽柵がおかれ、 712 (和銅5)年に出羽国がおかれた。その後,出羽柵は現在の秋田県
に遷され、やがて秋田城となる。 724 (神亀元)年には陸奥国府も置かれた
が築かれた。このこ
ろ,
A
側の反発も見られ,720 (養老4)年には反乱も生じている。 反乱終結後, 税負担の軽減や
A への懐柔策による安定化が図られ、その後東北では約半世紀間平和が継続した。 一方で桃生城な
どの新たな城柵の設置も行われた。 そして774 (宝亀5) 年の桃生城襲撃に始まる A の反乱が開始
され, 三十数年にわたり戦争状態が続いた。
I
その間に, 中央では784 (延暦3) 年に長岡京, さらに794 (延暦13) 年に
へと遷都が行われ,
オ
政治改革が進められたが, A との戦争も本格化した。 征夷大将軍に任命された E は802(延
暦21)年に胆沢城を築き, 翌年さらに志波城を築いて東北経営の拠点とした。 805 (延暦24) 年に,徳政相
論と呼ばれる議論が裁定され, A との戦いに一応の終止符がうたれた。
にあてはまる語句を書け(人名は氏名)。54/5
問1 文中の A~Eの
2 下線部ア~オに関する問いに答えよ。
アその政策の中で実施された, 民衆に対して農地の支給と収容を行う法制度を何というか書け。
これにより, 一部の A は飛鳥に朝貢し, 6世紀末に建立された日本で最初の本格的寺院の
西側の広場で儀礼を行ったことが記録されている。 この寺院の名を書け。
@
各地の国府に中央から派遣される役人を総称して何というか書け。
エこの中で780 (宝亀11) 年に乱をおこし, C を焼き落とした人物の氏名を書け。
この改革を進めたのは何天皇か書け。
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