回答

有名な『東寺百合文書』のものですね、ただこれ一枚目の見切れている下の部分に大まかなあらすじっぽいものが書いてあるっぽいので、そっちを見ないと学者じゃないパンピーにはチンプンカンプンです。
ただし、上述の通り『東寺百合文書』は超有名な文書群なので有名どころに関しては、解説がネット上に転がってます。今回拝見したサイトは下記に貼り付けておきます。

内容をざっと要約すると、まず真ん中を通る太いニョロニョロが桂川を表しています。そして川の側に幾つもある◯は荘園です。もっと簡単に今風に言えば田んぼや畑です。そして桂川から細い支流のようなものが◯に向かって描かれていますが、それらは田んぼや畑に水を取り入れるための用水路と考えてください。
ことの起こりは文明十年(1478年)に地図の南の文字の右側に五つ固まっている荘園が、桂川の上流から用水路を作って水を取り入れたことが始まりです。これに対して地図の「東」の文字の斜め左下にある西八条西荘が、自分たちより上流から水を取られたら困るとなことで訴訟を起こしたのですが解決せず、何度も当該の用水路から水を引いたりと繰り返したので、再度訴訟を起こした(明応三年の出来事)という内容です。
水利権で揉めるのはどの時代どの地域でも良く起こるものですが、御多分に洩れずこれも同じようなことです。該当する用水路は西八条西へと至る用水路の対岸の少し上流にある、何か縦書きで書いてある奴が新しく掘った用水路ということですね。見づらいですが、「去々年堀新溝」と見え、書き下せば「去々年新しく溝を掘る」でしょうかこの地図が提出されたのは明応五年(1496年)のことですから辻褄は合います。

https://hyakugo.pref.kyoto.lg.jp/?p=197

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