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現代文 高校生

答えがエで私はウを選んだのですが、ウではなくなぜエが正解なのか教えて下さい! 確かに1文目に似た様なことは書いてありますが、「作り上げた」の主語には「日本人」も必要な気がするのですが…

あ こんどう 日本人は木とともに文化を作りあげてきた。日本列島の山々は木々に覆われ、緑にあふれた風景が広 がっているが、これらの森林のめぐみを享受することで、木の文化ははぐくまれてきたといっても過言で はない。世界最古の木造建築である法隆寺金堂をはじめ、前近代の建物のほとんどが木で造られてきたこ とはその証しのひとつといえる。また、木とともに歩んだ長い歴史のなかで、 身近な生活道具から美術工 芸品に至るまで、木を扱う深い知識と高い技術を蓄積してきており、世界に誇るべき日本の文化である。 いっぽうで現代の日本、とくに都市部では鉄やコンクリートのビルやマンションが林立し、人びとは屋 外を見るにもガラスの窓越し、室内を見わたしてもプラスチック製品に囲まれ、化学センイの衣服を身に まとっている。日常生活と森や木との距離が離れているため、森林のめぐみを実感しにくいかもしれな い。とはいえ、春にはサクラ、秋にはモミジと、木々の告げる季節の移ろいは私たちの感性に息づいてい る。言葉をみても、ちぐはぐな状態を「 A 」と表現したり、ハレの舞台を「檜舞台」 といったり する。このように木々は今なお生活のなかに溶け込んでおり、単なる物質的な存在意義を超越して、日本 の文化に深く根付いているのである。 日本では木々に限らず、そこに生きる動植物、落葉、 山菜に至るまで、森林のめぐみを享受してきた。 保水・防風・気象緩和機能など、森林は人間に適した環境を構築する一翼を担っており、目 にみえない恩恵は計り知れない。陰に日向に、森や木は生活に密着した存在であり続けているのである。 洋の東西を問わず、 人類が森林のめぐみを享受してきたことは間違いない。 「木の文化」 の東洋に対して、「石の文化」の西洋と対比的に語られることも少なくないが、実は西洋においても木材 は各所で用いられている(ヨアヒム・ラートカウ『木材と文明』)。奇しくも二〇一九年四月の火災によっ て、パリのノートルダム大聖堂の屋根が木造であったことが広く知られるようになったが、 軽くて丈夫 で、さらに加工しやすい木材は建材として重宝されたのである。これは特殊な事例ではなく、北欧、東 欧、スペイン・フランス境のバスク地方など、ヨーロッパ各地に伝統的な木造軸組構法の建築物が現代に も数多く受け継がれている。 なかにはバスク地方の一部の木造教会のように、木を用いながらも石造のよ うにみせた建築も点在している。 そこでは石の目まで精巧に描いて柱を大理石にみせたり、石の継ぎ目を 表現して石造の尖塔アーチのようにみせたりしており、その技法や熱意は驚愕に値する。 木目の美しさや 温もりなどを活かす日本では思いもよらない独特の嗜好性を示しており、興味深い。 また建築に限らず、 酒樽や家具などの生活用具をはじめ、大航海時代に大海原を駆けた帆船も木造で P

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現代文 高校生

「科学への盲信」と逆のあり方を示す事例としてあげられている部分を本文中から35字程度で探して書きなさい。 という問題で、解答が「自分で病原菌や毒物を検出し、その食べ物がキケンかどうかをチェックする」 となっていて、この答えになると理解はできるのですが、この答えへの導き方?っ... 続きを読む

【六穴】次の文章は「王】 鼻や舌などの「感覚」で判断するとはなんと非科学的な、そんなことで大丈 夫なのか、もっと「科学的」でなければいけないのではないかと言われそうで す。 科学的とは多くの場合、数字で表せるということです。具体的には、冷蔵 庫から取り出したかまぼこに書かれた日時をさすわけです。(衛セイ的な場 所で製造されてお店に出されていると信じ、安全性の目安として書かれてい る期限を見て、その期間に食べるのがふだんのやり方です。それを科学的と称 しているけれど、これでよいのでしょうか。こうした判断のしかたは、私には、 自分で考えず科学という言葉に任せているだけに思えます。 「科学への盲信」 で成り立っているように思います。 もちろん、「感覚」だけではわからないことがたくさんあります。 科学を通 じて微生物による腐ハイや毒物の生成などの危ケン性を知り、それに対 処することは重要です。 しかし、賞味期限内であればキケンはなく、それを過 ぎたらキケンと、数字だけで決まるものではありません。科学的な知識があっ たとしても、毎日の生活の中で、自分で病原菌や毒物を検出し、その食べ物が キケンかどうかをチェックするわけではないのですから、科学による「保証」 の限界を知ることが大事です。 食べ物を自らの手で作ったり、採ったりしていた時代には、安全性につい ては自分で責任を持つしかありませんでした。科学・科学技術のおかげで、よ 進歩した暮らしやすい生活ができるようになり、安全が保証された形で、食 べ物が手に入るようになったのはありがたいことです。でも、そこに期限を決 める数字が印刷されるようになると、それに振り回され、それに従うことが X 正しい暮らし方のようになってしまいまし。自分では全く学に虫して、

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現代文 高校生

この問題が分かりません💦 教えてください🙇‍♀️

三次の文章は、「『ふしぎ』ということ」の一部である。これを読んであとの問いに答えなさい。 (P三十七~P四十三) かくて、各部族やaミンゾクは「いかにして我々はここに存在するのか。」という、人間にとっても根本的な「ふしぎ」に答えるものとしての物語、すなわち神話を 持つようになった。それは単に「ふしぎ」 を説明するなどというものではなく、存在全体に関わるものとして、その存在を深め、豊かにする役割を持つものであった。 〈中略〉 そこで、現象を説明するための話は、なるべく人間の内的世界を関わらせないほうが正確になることに、人間がだんだん気がつき始めた。そして、その傾向の 最たるものとして、①自然科学が生まれてくる。「ふしぎ」な現象を説明するとき、その現象を人間から切り離したものとして観察し、そこに話をつくる。 このような自然科学の方法は、ニュートンが試みたように、「ふしぎ」の説明として普遍的な話、つまり物理学のホウソクを生みだしてくる。これがどれほ ど あるかは、A周知のとおり現代のテクノロジーのdハッテンがそれを示している。②これがあまりにすばらしいので、近代人は③神話を嫌い、自 然科学によって世 界を見ることに心を尽くしすぎた。これは外的現象の理解に大いに役立つ。しかし、神話を全く放棄すると、自分の心の中のことや自分と世界との関わりが無視 されたことになる。 強 力で せみの鳴き声を「母を呼んでいるのだ。」と言った坊やは、科学的説明としては間違っていたかもしれないが、そのときのその坊やの世界との関わりを示すものとし て、最も適当な物語を見いだしたと言うことができる。

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