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古文 高校生

品詞分解お願いしたいです🥲 とくに、敬語のところお願いしたいです‼️ 全てじゃなくてもいいので…少しでも教えていただけると助かります✨️🙏🏼

第3問 次の【文章】【文章】は「落窪物語』の一節である。 中納言の娘である女君(本文では「君」)は、幼い頃に実母を亡く おちくぼ ほうえ やしき し、継母(本文では「北の方」)にいじめられて育ったが、権勢家の子息である男君(本文では「大納言」)とひそかに結婚し、その 後は男君の邸で幸せに暮らしていた。数年後、女君は父中納言との再会を果たし、男君の提案で父の幸福を祈る法会を父の邸 で行うが、その時、女君の異母姉妹である三の君は、参列者の中にかつての夫を見つける。【文章Ⅰ】は、法会の前夜、継母が 女君と対面する場面から始まる。【文章】は、法会が終わった直後の場面である。【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】を読んで、後の問い (問1~6)に答えよ。 (配点 50) 【文章Ⅰ】 たま ほんじゃう (注1) 北の方、いかがはせむと思ひなりて、物語して、「まだ幼くておのがもとに渡り給ひにしかば、我が子となむ思ひ聞こえ しを、おのが心本性、立ち腹に侍りて、思ひやりなく物言ふこともなむ侍るを、さやうにてもや、もし、ものしきさまに御 覧ぜられけむと、限りなくいとほしくなむ」と言へば、君は下には少しをかしく思ふことあれど、何か。さらにものしきこ とやは侍りけむ。思ひ置くこと侍らず。ただ、いかで思ふさまに心ざしを見え奉りにしがなと、思ひ置くこととて、侍りしこ (注2) となむ」とのたまへば、北の方、「うれしくも侍るなるかな。 よからぬ者ども多く侍るなれば、思ふさまにも待らぬに、かくて おはするをなむ、誰も誰も喜び申し侍るめる」と申し給ふ。 (注3) (注4) 明けぬれば、4つとめてより、事とくはじめ給ふ。上達部、いと多かり。まして、四位五位、数知らず多かり。「年ごろ癡 こ さうぞ ひ惑ひ給へる中納言は、いかでかく時の人を婿にて持たりけむ。幸人にこそありけれ」と、言ひあさむ。この大納言は、ま して二十余にていと漬げにてものものしくて、出で入り、事おこなひありき給へば、中納言いと配立たしくうれしくて、老い 心地に涙をうち落として喜びゐたり。御弟の宰相中将、三の君の夫の中納言、いと清げに装束きつつ参り給へり。三の君、中 納言を見るに、絶えたりし昔思ひ出でられて、いとかなしうて、目をつけて見れば、装束よりはじめて、いと清げにてゐたる (注7) (注8) を見るに、いと心憂くつらし。 我が身の幸ひあらましかば、かくうち続きてありき給はましも、こよなきほどならで、いかに うぞく よからましと思ふに、我が身のいと心憂くて、人知れずうち泣きて、 思ひ出づやと見れば人はつれなくて心弱きは我が身なりけり と、人知れず言はる。

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古文 高校生

空欄の解答をお願い致します🙇‍♀️答えだけでも構いません。

1 白 新傾向問題 くろうど 5 「やさしき蔵人」 を知ろう1 引き歌や本歌取りという和歌の技法に着目した問題です。 ●古文には、古歌を自分の和歌や文章に取り入れる引き歌や、 古歌の一部分を 詠み込むことで新しい歌境を表現する本歌取りという技法があります。 ●古歌をふまえて、本文の和歌の世界を正確に理解することが求められます。 【文章】と会話を読んで、後の問いに答えよ。 【文章】 後徳大寺の左大臣、小侍従と聞こえ歌よみに通ひ給ひけり。ある夜、 あかつき くらうど 物語して、暁帰りけるほどに、この人の供なりける蔵人といふものに、 「いまだ入りもやらで、見送りたるが、ふり捨てがたきに、立ち帰りて、 何ごとにても、言ひて来」とのたまひければ、「ゆゆしき大事かな」と思 ど、ほど経べきことならねば、やがて走り入りて、車寄せに、女の立ち たる前についゐて、「申せと候ふ」とは、さらなく言ひでたれど、何と も言ふべしともおぼえぬに、折しも里の鶏 声々鳴き出でたりければ、 にはとり ものかはと君が言ひけむ鳥の音の今朝しもなどか悲しかるらむ とばかり言ひかけて、やがて走りつきて、「車寄せにて、かくこそ申して ひつれ」と申しければ、いみじくめでられけり。 『十訓抄」 5課の一部) 最後に「いみじくめでられけり」とありますが、どうして 蔵人を褒めたのですか。 先生 蔵人が詠んだ「ものかはど・・・」の歌は、小侍従がかつて詠んだ「待 つ宵に更けゆく鐘の声聞けばあかぬ別れの鳥はものかは」(『新古今和歌集』) という歌をふまえて詠まれているんだよ。 第 生徒 こじじゅう たま 合計 /20 は なごり 「あかぬ別れ」は「名残惜しい別れ」、 「ものかは」は「ものの数で はない」という意味。 小侍従の歌は、「男の訪れを待つ宵のAの の切なさなど、ものの数では つらさに比べれば、男を帰す暁の ありません」という意味で、C の方がはるかに悲しいと歌ってい と、あなたが言ったという が、 る。一方、蔵人の歌は、「 今朝だけはどうしてこんなに悲しく響くのでしょうか」という意味で、 Wの悲しさを強調することで、主人の気持ちを表現している。だ から蔵人は褒められたんだよ。 書き込みをしながら本文を読もう。 (蔵大) ●次の二つの和歌に共通する語句同じ意味の語にを引こう。 ものかはと君が言ひけむ鳥の音の今朝しもなどか悲しかるらむ 待つ宵に更けゆく鐘の声聞けばあかぬ別れの鳥はものかは 空欄にあてはまる適切な語句を 【文章】 から抜き出せ。 問二空欄A~Cにあてはまる適切な語句をそれぞれ次から選べ。 ア鐘の声 イ鳥の声 (各2点) 問三空欄Ⅱ~Ⅳにあてはまる適切な語句を「ものかはと…..」の和歌からそ れぞれ抜き出せ。 (各3点) 吉 JI IV (小侍従) (5点)

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古文 高校生

この問題がわからないです 教えてください🙏🙇‍♀️

【三】 次の(1) (=)の問いに答えよ。(30点) (1) 次の各文中の傍線部の動詞について、(X) 活用の行と種類・(Y) 活用形をそれぞれ(例) にならって記せ。 =(X) カ行四段活用 (Y)終止形 (例) 「花咲く。」 の目に得ぬ人の家。(『枕草子』) の者をば、具し候はじ。(『大鏡』) ② としよりずいのう ③ このば、いという老いて、ふたへにて居たり。(『大和物語』) ⑥ 古き歌の中にも、 歌のおもてに詠み据うべき物の名をいはで、心に思はせたる歌あり。 (「俊頼髄脳』) ひともと とだもすい (=) 次の文章は、江戸時代前期における江戸の地誌について記した戸田茂睡 『紫の一本』の一節で、「隅田川」に関する部分である。 後の問いに答えよ。股間の都合上、一部表記を改めた部分がある。 (注1) 千住川の末、浅草川の上なり。三月十五日、梅若丸の祭あり。参詣の人多し。 業平の「名にしおはばいざこととはん」との歌より、 (注3) (注4) 都鳥を歌に詠む。と足と赤きの大きさの鳥といへども、左様の鳥は今は見えず。ここにて都鳥と云ふは、かもめの事なり。嘴と 足とは赤けれども、よりははるかに大きく、白き鳥の頭大きく、恰好丸くふとき鳥なり。 遺供がよむ。 渡し守都に人は間はばただ間はれし鳥を指して教へよ ありがほゆきひとしんわう。 ひととせ有栖川幸仁親王、江戸へ御下向の時、 ことのほ 隅田川都のつとにまねぶとも言葉正しあかぬながめは (注6) もくぼじ 御自筆を懸物にして、木母寺にあり。 また近衛殿の御歌、 こたへせば我出でて来し とりあつめてもこと間はましを (注)1 梅若丸・・・京都の貴族の子である梅若丸が、人買いにさらわれて奥州へ連れ去られる途中、隅田川のほとりで亡くなったという伝説。 能や浄瑠璃などの題 材にもなっている。 2 業平 在原業平 (八二五~八八〇)。「伊勢物語」の主人公に擬せられている。 3 シギ科の鳥の総称。 海や干潟などの水辺に生息し、日本では渡りの途中の春と秋に飛来する。 4 遺侠….. 『紫の一本」の登場人物の一人。作者の分身としての役割を持っている。 5 木母寺 平安時代中期に創建された寺院。 現在の東京都墨田区にあり、梅若丸の伝説ゆかりの寺となっている。 6 近衛殿…. 近衛信尹。 『武江年表」という文献によれば、慶長十二年(一六〇七年)に江戸へ下向した記録がある。 間 傍線部「三月」の月の異名を漢字と現代かな遣いのひらがなでそれぞれ答えよ。 問二 傍線部②「業平」は、『古今和歌集』の仮名序(かなで書かれた序文)において、当時の代表的な歌人六人のうちの一人として数 えられた人物であり、彼らを総称して「六歌仙」と呼ぶ。この「六歌仙」に含まれない人物を次の中から一つ選び、記号で答えよ。 ア 小野小町 イ 紀貫之 文屋康秀 大友黒主 問三傍線部③「都のつとにまねぶ」とあるが、これはどういうことか。 その説明として最も適当なものを次の中から一つ選び、記号で 答えよ。 ア都へのみやげ話として、業平のまねをして歌を詠むこと。 イ都の方角に向かって、 渡り鳥が飛んでいくこと。 ウ都を訪れた記念として、 都鳥の鳴き声をまねること。 エ都に着いた喜びから、鳥に向かって手招きをすること。 問四傍線部4「あかぬながめ」の本文中における意味として最も適当なものを次の中から一つ選び、記号で答えよ。 ア 夕暮れの薄暗い情景 イ 眺望が十分ではない風景 ウ 夜が明けきらない情景 3 (注5) X 見飽きることのない風景 e (注2) 330 1

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日本史 高校生

教えてください🙏

の法の醍皇 三皇 2- 官 要 白 t 本 滋 床 L. た ●国風文化 次の文の空欄にあてはまる語句を答えよ。 遣唐使の廃止後,これまでの大陸文化と貴族文化が融合して, 日本の風土に合った国風文化 が誕生した。 国風文化の象徴であるかな文字は、 万葉がなの草書体を簡略化した ( 11 )ゃ, 20 きんちょう 漢字の一部分である ( 12 ) が日常生活で使用されて, 多くの文学作品が生まれた。 和歌は, 最初の勅撰和歌集である 「古今和歌集」 が編纂され, 古今調の歌風は後世の和歌の模範となった。 この歌集の歌人である紀貫之は,最初のかな日記である ( 13 ) を記し, また藤原道綱の きのつらゆき みちつな たかすえむすめ じんてきかいそうろく しょう し 母が自らの家庭生活を記した( 14 ) や,菅原孝標の女が自伝的回想録を記した( 15 ) のように、女性によるかな日記も誕生した。 かな物語では、最古の物語文学である(16)や、 短編の歌物語集である「伊勢物語」があった。また、中宮彰子に仕えた紫式部の(17) ( 18 ) が皇后定子に仕えた宮廷生活での体験を随筆風に描いた『枕草子」は,国文 学の最高傑作とされている。 藤原道長の栄華を描いた「栄華物語」の歴史物語もあった。この ように、かな文学は教養豊かな女官(女房)によって隆盛した一方で,貴族は公の場では漢字 を使用したが、藤原道長の日記 ( 19 ) のように,その文章は和風的な漢文であった。 かじきとう げんぜりゃ この時期の仏教は,加持祈疇により現世利益を追求する貴族と天台・真言宗が強く結びつい ほん じ すいじゃくせつ ごりょうえ 61% ていた一方、神仏習合の考えである本地垂迹説の思想も盛んとなり、御霊会も盛んに催さ くうや れた。これと同様に浄土教も流行し、10世紀半ばに空也が京の市で説いたのちに(20) おうじょうようしゅう ねんぶつ が 「往生要集」で念仏往生を説くことで貴族・民衆の間に流行した。さらに、末法思想によっ まっぽう しそう て浄土信仰はいっそう広まり、来世で救われたいと考える人々が増加した。ほかにも、経典 きょうづつ きょうづか を写経して経筒に入れて地中に埋める経塚も営まれた。 また, B しんでんづくり 美術工芸の作品も国風化の影響を受けており,寝殿造とい すまびょう う日本風の建築様式が使用された貴族の住宅内部は、襖や屏 まきえ らでん 風に d 大和絵が描かれた。 また, 蒔絵や螺鈿の手法を使用し さんせぎ た調度品も屋内に飾られ, 書道では三蹟と呼ばれる和様の名手の作品も重宝した。 藤原道長の ゅんじゅう らいこう ず が臨終の人を極楽浄土へ迎えに来る場面を描いた。 来迎図も多く描かれた。 ほうじょうじ びょうどういんほうおうどう どう 法成寺や図 B の平等院鳳凰堂は,浄土教が影響した阿弥陀堂の遺構である。 また、阿弥陀仏 げんぶく 貴族は10~15歳で男性は元服し、女性は裳着の式をあ しゅっし そくたい 上げて成人し、男性は官職を得て朝廷に出仕して、年中行事 などに奉仕した。 その際, 貴族男性は図Cの束帯や簡素化 した 女性は図Dの安房装業(十二単を正装とした。 一 小 一人 ・唐衣 19 一表者 藤原冬嗣を筆頭に北家が勢力をのばし、(1) 基経は,他氏排斥により摂政・関白の 地位を高めた。その後醍醐・村上天皇による親政が行われたが, 安和の変後に藤原忠平 が摂関政治を行い、藤原道長 頼通父子の時に最盛期を迎えた。外交では,唐滅亡後に建 国した宋や、中国東北部の ( 9 ) 朝鮮半島の (10)と国交を結ぶことはなかった。 Check Point - → がくるという説。 彼らの多くは左京に住んで常に在京し、食事は1日に2回 を限度として, その日の行動を吉凶によって決定するといった日常生活をおくったのである。 本地垂迹説 仏 (=本地)が人々を救 済するため, 神という仮 の姿となってこの世に現 れたとする思想。 御霊会 なぐさ 政治的に非業の死を遂げ た人の霊を慰める行事が. のちに疫病の流行を防ぐ 目的に変化した祭礼。 浄土教 阿弥陀仏を信仰し、来世 において極楽浄土に往生 し、そこで悟りを得て苦 をなくす教え。 末法思想 しゃか 釈迦の死後に、正法・像 法の時代を経て末法の世 ぽっぽう 貴族の住宅用建築様式で、 寝殿を中心に東対・北対・ 東北対が透渡殿・渡殿で 接続された。 わたどの 蒔絵 漆で描いた模様に、 金粉・ 銀粉を蒔きつける技法。 しんじゅこう 貝殻の真珠光を加工して 漆器に埋め込む技法。 おののみちかぜ THRE 小野道風・藤原佐理・藤 原行成の3人の名手。 なり 「藤原頼通が木造 宇治に建 立内部に じょうちょう。 仏師定朝 せり みだにょらいそう が寄木造で つくった阿弥陀如来像が 安置された。 宮中で毎年特定の時期に 行う神事・仏事 政務の 行事のこと。 問1 奈良・平安 問2 問3 問1 下線部aについて, この出来事を何というか。 問4 よししげのやすた 問2 下線部について、この両天皇の親政はのちに何と呼ばれてたたえられたか。 問3 下線部の人々のうち、往生をとげた人物の伝記を集めた, 慶滋保胤の著書は何か。問5 問4 下線部dについて、大和絵の名手であった平安時代前期の宮廷画家は誰か。 問6 問5 下線部eについて。 高野山が所蔵する阿弥陀如来と諸尊32体の来迎図を何というか。 問6 下線部fのうち吉凶により引きこもったり、凶の方角を避ける行為はそれぞれ何か。 ポテンシャル日本史 23

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日本史 高校生

教えてください🙏

問1 問4 問2 問3 20 原始・古代 ●第1問 次の文章を読んで、下の問いに答えよ。 (オリジナル問題) この強化を目指し ( 1 ) への遷都を行った。 しかし, その都の造営事業の中心人物であっ 8世紀後半, 光仁天皇の政治を引継いだ桓武天皇は, 仏教勢力の影響を排除し, 天皇権力 た (2)が暗殺されるという事件が起こり, 造営事業は中断を余儀なくされた。その後, つぐ 平安京の造営が行われたが, 桓武天皇は藤原緒嗣の意見を採用した政治を行った。 桓武 a 天皇のあとに即位した嵯峨天皇も律令制の再建をめざし、法制の整備などを積極的に進める とともに、あらたに令外官を設置するなどした。 問1 文中の空欄1 2にあてはまる語句を答えよ。 問2 下線部に関する史料Aについて これは藤原緒嗣が建議した "内容であるが, 緒嗣の建議した内容と それに対する桓武天皇の対 応について 40字以内で述べよ。 問3 下線部bについて、桓武・嵯峨天皇の政治について述べた文として正 の①~④から一つ選べ。 また、誤りの選択肢は、その箇所を正しくなおせ。 ① 平城太上天皇の変に際して、藤原不比等を蔵人頭に任じた。 ●第2問 次の史料を読んで、下の問いに答えよ。 (2016 センター追試・改) だいそうず でんとうだいはつ しい 大僧都伝灯大法師位(僧の地位) ( 3 ) 紀伊国の禅居(修 $ 行する寺) に終う。 (中略) 法師は,讃岐国多度郡の人なり。 さえきのあたい 俗姓 (出家する以前の姓)は佐伯直。 (中略) 書法に在りては最も ちょうし ひと その妙を得て、 張芝 (後漢の著名な書家)と名を斉しくし、草聖(草 時に 真道異議を確執して肯えて聴かず。 天下の苦しむ所は軍事と造作となり、 話して 白姓安んぜも」 「続日本紀」 即ち停廃 「万分 とくど 書の達人)と称せらる。 年三十一にして得度(国家の許可を得て出家し、 ② 律令を補足・修正した式を集め、 弘仁格式を編纂した。 ③ 国司交替の際の事務引き継ぎを監視するために健児を設けた。 ④ 京内の治安維持をはかるために検非違使を設けた。 問4 19世紀の政治・文化に関して述べた次の文X ~Zについて, その正誤を○×で答えよ。 また、誤りの場合はその箇所を正しくなおせ。 X 征夷大将軍の紀古佐美は、蝦夷征討の拠点として胆沢城を築いた。 Y 国家財源を確保するため、畿内諸国に直営方式の公営田が設けられた。 Z 密教が盛んとなり, 密教世界を絵画で表現した過去現在絵因果経が制作された。 につとう がく 僧尼となること) す。 延暦二十三年、入唐留学す。 青龍寺(長安にあっ に希真此天A けい かわじょう あ た寺)の恵果和尚に遇いて真言をけ学ぶ。 (「続日本後紀』) 道 の 今 しいものを、次 たまわ 問文中の空欄には,図Bが安置された寺院を嵯峨天皇から賜った人物が入る。その 人物名を明らかにして、史料から読みとれるこの人物の経歴を60字以内で述べよ。

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現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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日本史 高校生

日本史B 鎌倉文化 答え教えてください🙇‍♀️

5表の空欄に入る語句を、下の語群から選び記号で答えなさい。(完答) [鎌倉新仏教] 大ガ太 三 しも2 宗派 開祖 主要著書 内容 浄土宗 の 2 文ネ 浄土真宗 Bの教え に のを広める Bを唱えると救われる 3u3 35 き らき含 時宗 3 日蓮宗 4 坐禅→Oを解決して悟りに達する 坐禅→のによる悟り 臨済宗 曹洞宗 の ぶ寄 さ (①):。 語群) 3 宝 国お難安S V親鷺 イト法然 ウ:道元 エ:栄西 オ:日蓮カリー通 キ:選択本願念仏集ク:立圧安国論 ケン教行信証 コ:正法眼蔵 食:E問 サ:興種護国論 シ:公安問答 ス:題目(商無妙法蓮華経) セ:只管打坐(外踊念仏タ:専修恋仏 悪人正機父、軍部分さ商基含組:A間 おち でこは( A ) 海:問 合る 内 文のT:8問 人コ(日)(A)さ 6以下の問いに答えよ。 問1:運慶の作品の特徴を述べたものを、次の①~③から一つ選びなさい。当思出のンはの のおだやかでやさしい ②きびしさを基調とする ③カ強く写実的 大通酢 五まかすこをさる 士の部食:問 問2:『新古今和歌集』の代表的歌人とその特徴の組合せとして正しいものを、次の0~④から一つ選びなさい。SO5 文のT:8園 の藤原定家一繊細で技巧的 ②藤原定家一心情を素直に表現 の紀貫之一繊細で技巧的の紀貫之一心情を素直に表現 問3:鴨長明の( A )は転換期の世相を深い思索をもとに記し、兼好法師の( B )は、人生や世相をするどい感性でとらえている。(A)と(B)に入る文学 作品をそれぞれ書きなさい。(完答) 問4:以下の文章を読み、下線部の内容が合っている場合は○を、 誤っている場合は正しい語句を答えよ。J文さンア 含組:1問 ①律宗の忍性は、 奈良に病人の救済施設である北山十ハ間戸をつくり、施療や慈善につくした。 の鎌倉時代には、禅宗の僧侶が似絵とよばれる師僧の肖像画を崇拝する風習が中国から伝来した。 の『源氏物語』は琵琶法師によって平曲として語り広められ、文字の読めない人々にも親しまれた。 の).3時こ、から東隊 人様 T 会 含:S問 間

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古文 高校生

教えて下さい よろしくお願いします

ILDLIN ER 古典B 42 71.古体の詩(1) / 72.古体の詩(2) 古典B 41 21.万葉集(1) / 22.万葉集(2) ァあかねさす 紫野行き っ標野行き =野守は見ずや +君が抽振る カ紫草のにほへる。妹を 憎くあらば 人妻ゆっ委に 吾恋ひめ,やも のむらさきの枕詞にあたる部分を記号で答えよ。 の反語をあらわす係助詞を記号で答えよ。 の『詩経』の説明として当てはまらないものを1つ選びなさい。 ア,現存する中国最古の詩集 イ、中国北方、黄河流域で作られた民謡や周王室の歌等305編を集めたもの ウ、人間の素朴な感情に触れることができる詩 エ、孔子が主によんだ詩がおさめられている オ、股王朝末期から春秋時代に作られたもの いさなとり ァ海辺をさして和田津の っ荒磯の上に ェか青く生ふる 玉藻沖,つ藻 ヵ朝羽振る 風こそ寄せめ タ羽振る 波こそ来寄れ 波の。共 か寄りかく寄る 玉藻なす っ寄り寝し妹を ヶ露霜の 置きてっし来れば 3接頭語にあたる部分を記号で答えよ。 の「置く」という言葉を導き出す縁語の部分を記号で答えよ。 2『子衿』の詩の形式を答えよ。 ③第一章の「私の心」から第二章の「私の思い」と文字を変えた理由を答えよ。 の『一日不見 如三月分』の傍線部の読み方を答えよ。 ア,五言古詩イ.対句 ウ. 四言古詩 エ, 押韻 オ.踏み落とし カ,四言絶句 キ.さんつき ク.さんげつ ケ.さんがつ コ. 全対 ァ小竹の葉はィみ山の清に っさやげども ェ吾は妹思ふ ォ別れ来ぬれば 得歓っ当作楽 ェ斗酒緊比隣 落地ヶ為兄弟 何必骨肉親 6反語にあたる部分を記号で答えよ。 6再読文字に当たる部分を記号で答えよ。 5倒置法により強調している部分を記号で答えよ。 6賀茂真淵は、万葉集の歌風をどんな言葉で表現しましたか。 の紀貫之に歌聖と呼ばれた人物を答えよ。 8中国の「楓橋夜泊」の一節をもとにして歌を作ったと言われる人物を答えよ。 の農民の生活に密着した素材や表現が用いられ、 自然のままの素朴な歌、 生命 観にあふれた歌が収められている歌集。 O「初春の令月にして 気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、 蘭は現後の香を 薫らす」この歌より採用された年号を答えよ。 の偶数句末は押韻の原則をふまえている。 その統ーされている音を答えよ。 8「盛年不重来一日難再農」の傍線部の漢字があらわす意味を答えよ。 9「及時当勉励歳月不待人」の傍線部の漢字があらわす意味を答えよ。 O陶潜は雑誌の中で、 人間のあるべき姿、 生きる歓びについての何を示したと 言えると言っていますか。 ア.時間 イ.明日 ウ.いん エ.真理 オ.しん カ、朝 キ、時刻 ク.心理 ケ、おん コ、チャンス ア.大伴旅人 イ. 万葉集 ウ. 益荒男振り エ. 山部赤人 オ. 明和 カ、手弱女振り キ.古今和歌集 ク. 丈部稲麻呂 ケ. 令和 コ. 大伴家持

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ILDLIN ER 古典B 42 71.古体の詩(1) / 72.古体の詩(2) 古典B 41 21.万葉集(1) / 22.万葉集(2) ァあかねさす 紫野行き っ標野行き =野守は見ずや +君が抽振る カ紫草のにほへる。妹を 憎くあらば 人妻ゆっ委に 吾恋ひめ,やも のむらさきの枕詞にあたる部分を記号で答えよ。 の反語をあらわす係助詞を記号で答えよ。 の『詩経』の説明として当てはまらないものを1つ選びなさい。 ア,現存する中国最古の詩集 イ、中国北方、黄河流域で作られた民謡や周王室の歌等305編を集めたもの ウ、人間の素朴な感情に触れることができる詩 エ、孔子が主によんだ詩がおさめられている オ、股王朝末期から春秋時代に作られたもの いさなとり ァ海辺をさして和田津の っ荒磯の上に ェか青く生ふる 玉藻沖,つ藻 ヵ朝羽振る 風こそ寄せめ タ羽振る 波こそ来寄れ 波の。共 か寄りかく寄る 玉藻なす っ寄り寝し妹を ヶ露霜の 置きてっし来れば 3接頭語にあたる部分を記号で答えよ。 の「置く」という言葉を導き出す縁語の部分を記号で答えよ。 2『子衿』の詩の形式を答えよ。 ③第一章の「私の心」から第二章の「私の思い」と文字を変えた理由を答えよ。 の『一日不見 如三月分』の傍線部の読み方を答えよ。 ア,五言古詩イ.対句 ウ. 四言古詩 エ, 押韻 オ.踏み落とし カ,四言絶句 キ.さんつき ク.さんげつ ケ.さんがつ コ. 全対 ァ小竹の葉はィみ山の清に っさやげども ェ吾は妹思ふ ォ別れ来ぬれば 得歓っ当作楽 ェ斗酒緊比隣 落地ヶ為兄弟 何必骨肉親 6反語にあたる部分を記号で答えよ。 6再読文字に当たる部分を記号で答えよ。 5倒置法により強調している部分を記号で答えよ。 6賀茂真淵は、万葉集の歌風をどんな言葉で表現しましたか。 の紀貫之に歌聖と呼ばれた人物を答えよ。 8中国の「楓橋夜泊」の一節をもとにして歌を作ったと言われる人物を答えよ。 の農民の生活に密着した素材や表現が用いられ、 自然のままの素朴な歌、 生命 観にあふれた歌が収められている歌集。 O「初春の令月にして 気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、 蘭は現後の香を 薫らす」この歌より採用された年号を答えよ。 の偶数句末は押韻の原則をふまえている。 その統ーされている音を答えよ。 8「盛年不重来一日難再農」の傍線部の漢字があらわす意味を答えよ。 9「及時当勉励歳月不待人」の傍線部の漢字があらわす意味を答えよ。 O陶潜は雑誌の中で、 人間のあるべき姿、 生きる歓びについての何を示したと 言えると言っていますか。 ア.時間 イ.明日 ウ.いん エ.真理 オ.しん カ、朝 キ、時刻 ク.心理 ケ、おん コ、チャンス ア.大伴旅人 イ. 万葉集 ウ. 益荒男振り エ. 山部赤人 オ. 明和 カ、手弱女振り キ.古今和歌集 ク. 丈部稲麻呂 ケ. 令和 コ. 大伴家持

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