古文
高校生

この問題がわからないです

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【三】 次の(1) (=)の問いに答えよ。(30点) (1) 次の各文中の傍線部の動詞について、(X) 活用の行と種類・(Y) 活用形をそれぞれ(例) にならって記せ。 =(X) カ行四段活用 (Y)終止形 (例) 「花咲く。」 の目に得ぬ人の家。(『枕草子』) の者をば、具し候はじ。(『大鏡』) ② としよりずいのう ③ このば、いという老いて、ふたへにて居たり。(『大和物語』) ⑥ 古き歌の中にも、 歌のおもてに詠み据うべき物の名をいはで、心に思はせたる歌あり。 (「俊頼髄脳』) ひともと とだもすい (=) 次の文章は、江戸時代前期における江戸の地誌について記した戸田茂睡 『紫の一本』の一節で、「隅田川」に関する部分である。 後の問いに答えよ。股間の都合上、一部表記を改めた部分がある。 (注1) 千住川の末、浅草川の上なり。三月十五日、梅若丸の祭あり。参詣の人多し。 業平の「名にしおはばいざこととはん」との歌より、 (注3) (注4) 都鳥を歌に詠む。と足と赤きの大きさの鳥といへども、左様の鳥は今は見えず。ここにて都鳥と云ふは、かもめの事なり。嘴と 足とは赤けれども、よりははるかに大きく、白き鳥の頭大きく、恰好丸くふとき鳥なり。 遺供がよむ。 渡し守都に人は間はばただ間はれし鳥を指して教へよ ありがほゆきひとしんわう。 ひととせ有栖川幸仁親王、江戸へ御下向の時、 ことのほ 隅田川都のつとにまねぶとも言葉正しあかぬながめは (注6) もくぼじ 御自筆を懸物にして、木母寺にあり。 また近衛殿の御歌、 こたへせば我出でて来し とりあつめてもこと間はましを (注)1 梅若丸・・・京都の貴族の子である梅若丸が、人買いにさらわれて奥州へ連れ去られる途中、隅田川のほとりで亡くなったという伝説。 能や浄瑠璃などの題 材にもなっている。 2 業平 在原業平 (八二五~八八〇)。「伊勢物語」の主人公に擬せられている。 3 シギ科の鳥の総称。 海や干潟などの水辺に生息し、日本では渡りの途中の春と秋に飛来する。 4 遺侠….. 『紫の一本」の登場人物の一人。作者の分身としての役割を持っている。 5 木母寺 平安時代中期に創建された寺院。 現在の東京都墨田区にあり、梅若丸の伝説ゆかりの寺となっている。 6 近衛殿…. 近衛信尹。 『武江年表」という文献によれば、慶長十二年(一六〇七年)に江戸へ下向した記録がある。 間 傍線部「三月」の月の異名を漢字と現代かな遣いのひらがなでそれぞれ答えよ。 問二 傍線部②「業平」は、『古今和歌集』の仮名序(かなで書かれた序文)において、当時の代表的な歌人六人のうちの一人として数 えられた人物であり、彼らを総称して「六歌仙」と呼ぶ。この「六歌仙」に含まれない人物を次の中から一つ選び、記号で答えよ。 ア 小野小町 イ 紀貫之 文屋康秀 大友黒主 問三傍線部③「都のつとにまねぶ」とあるが、これはどういうことか。 その説明として最も適当なものを次の中から一つ選び、記号で 答えよ。 ア都へのみやげ話として、業平のまねをして歌を詠むこと。 イ都の方角に向かって、 渡り鳥が飛んでいくこと。 ウ都を訪れた記念として、 都鳥の鳴き声をまねること。 エ都に着いた喜びから、鳥に向かって手招きをすること。 問四傍線部4「あかぬながめ」の本文中における意味として最も適当なものを次の中から一つ選び、記号で答えよ。 ア 夕暮れの薄暗い情景 イ 眺望が十分ではない風景 ウ 夜が明けきらない情景 3 (注5) X 見飽きることのない風景 e (注2) 330 1
問五空欄Xに当てはまる語句として最も適当なものを次の中から一つ選び、記号で答えよ。 都鳥 ウかもめ鳥 イ隅田川 ア 都守 問六次は、二重傍線部「ただ間はれし鳥を指して教へよ」の解釈についての授業の一部を記したものである。これを読んで、空欄に当 てはまる理由の説明を三十字以内で答えよ。 教師 この句を含む遺佚の和歌は、在原業平の和歌とそれをめぐる伝説を背景に詠まれています。その伝説については、『伊勢物語』 「と『古今和歌集』に、ほぼ同じ内容で見ることができます。次の【資料】は、『古今和歌集』にある業平の和歌とその詞書 です。これを参考にしながら、この和歌の解釈を考えてみましょう。 【資料】『古今和歌集』巻第九より (注1) 武蔵国と下総国との中にある、隅田川のほとりにいたりて、都のいと恋しうおぼえければ、しばし川のほと りにおりゐて、「思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな」と思ひわびてながめをるに、渡守、「はや舟に乗れ。 「日暮れぬ」と言ひければ、舟に乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さ る折に、白き鳥の嘴と足と赤き、川のほとりに遊びけり。 京には見えぬ鳥なりければ、みな人見知らず。 渡守に「こ れは何鳥ぞ」と問ひければ、「これなむ都鳥」と言ひけるを聞きてよめる 名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと (注) 1 武蔵国… 現在の東京都、埼玉県の大部分、 および神奈川県の一部。 2 下総国… 現在の千葉県の一部。 教師初句の「渡守」は、「渡し守よ」という呼びかけで、最後の「指して教へよ」 につながっています。 「渡し守」に対して「指 して教えなさい」と言っているんですね。 Aさん、「都に人は」の「人」は、 【資料】 から考えるとどのような「人」でしょ うか。 生徒A【資料】の詞書には「京に思ふ人なくしもあらず」とあって、和歌には「わが思ふ人」 とあるから、都に残してきた恋しい 人のことだと思います。 教師 そうですね。つまり、「都に人は間はば」とは、「都に残してきた人を思いながら尋ねたならば」ということになります。 そ して四句目が「問はれし鳥を」とありますから、「鳥」について渡し守に尋ねるということです。 【資料】 の詞書でも、「こ れは何鳥ぞ」と尋ねていますね。 では、遺供の和歌では、なぜ「ただ問はれし鳥を指して教へよ」と言っているのでしょうか。 生徒A 『紫の一本』の内容から考えると、業平が歌に詠んだ都鳥は だと思います。 Ringra (注2) じゅつふきのくに

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