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世界史 高校生

1番下の、ほとんどのイラン人が少数派のシーア派に属しているのはなぜかという質問の答えを教えてほしいです🙇‍♀️お願いします‼︎

GIOCAXldre パタモン グシャトリヤ 3.アッバース朝の成立と繁栄 被征服民中で割合が多いイラン人もゾロアスター教を捨て改宗者 (マワーリー 増加 ↓[8ジズヤ ]・[13ハウージュ]に対する不満はさらに増大 521 この機に【1ムハンマド】 の叔父の子孫が11 を滅ぼし [14 アッバース朝]を開く 結果、750 年以降、農地の所有者は13、非ムスリムは8を→全ムスリムの平等化 つまり、アラブ至上主義への不満をうまく利用し、[14 アッパース」を開いた 国の中心地域もアラビア半島からシリア、シリアからイラン・イラクへ移っていく 例えば、都もメディナからダマスクス、そして、造営したくバグダード>~ ↓平等化が国内の活気をもたらし、政治の安定から経済の発展へ 唐王朝の混乱で途絶えたシルクロードに対し、 マリンロードが繁栄し、 交易活発化 アラビア半島のみの交易からユーラシアの広範囲に及ぶ [16 ムスリム商/]の誕生 例えばアラビアン=ナイト『シンドバッドの冒険』、でもシンドバットは中国人【 [14 アッバース朝]の最盛期は、8世紀後半のハールーン=アッラシードの時代 「「・・・朝」とは [7ヵリフ] 世襲化の継続で、それも支配層はアラブ諸民族のまま 特に、今まで虐げられてきたイラン人はシーア派へ(現在もイラン人のほとんどが) シーア派が明確になると、 それ以外としてスンナ派が成立する→現在信者の90% 問い「現在、ほとんどのイラン人が少数派のシーア派に属しているのはなぜか?」

解決済み 回答数: 1
世界史 高校生

問4②です。回答は カール=マルテルなのですが、 フランク王国の宮宰が マヨル=ドムス で メロヴィング朝の宮宰が カール=マルテルじゃないんですか?

45 イスラーム世界の地図問題 次の地図について,下の問いに答えよ。 a 正統カリフ時代 ウマイヤ朝時代 A CH COX 問1 地図中 a~hの地名を語群より選べ。 〈語群〉 カイロ バグダード ダマスクス コルドバ グラナダ メッカ イェルサレム メディナ 07770 問2 次の①~⑧に該当する場所を地図中 a~ h から選べ。 ① ムハンマドが誕生した地 ③ ウマイヤ朝の都 ② 622年ヒジュラ (聖遷) が行われた地 ④ 後ウマイヤ朝の都 ⑤ アッバース朝の都 ⑥ ファーティマ朝の都 ⑦ イスラーム教 キリスト教・ユダヤ教の聖地 ⑧ ナスル朝の都 問3 正統カリフ時代に, 地図中Aでササン朝を破った戦いを何というか。 問4 地図中Bで, ① ウマイヤ朝がフランク王国に敗れた戦いを何というか。 ② この時のフランク王国の宮宰は誰か。 7朝が車を破 た戦いを何というか □間 12 コルドバ 0問 ①b グラナダ @ch カイロ ① d イエルサレム Dek メディナ Of メッカ DB ダマスクス S 問 20 cb バグダード 口間 2/① ② 1③ e g a h 16 16 C 1⑦ d 1⑧ b □間3 ハーヴァンドの戦 口間 4/①1 トゥール・ポリティス階 カール=マルテル

未解決 回答数: 1
世界史 高校生

歴史総合の教科書の問いがわからないんですけど 答えはどうなりますか?

アジア商品 REL ヨーロッパ製銀貨 「組織物 19125 日本 アジア製銀貨 胡椒 クローヴ(十字) メースおよびナツメグ (再) シナモン その他 (%) 21.3 35.9 27 8.0 1.2 0.7 0.2 0.1 0.5 19.2 0.6 4.5 0.5 4.6 (Eis M. Jacobs, Merchant in Asiaより作成) 44 オランダ東インド会社のおもな商品構成 (輸出額) 1730年9月から32年8月にかけて、 バタヴィア からアジア各地の商館に送ったおもな商品の構 成を示したものである。 なお、 錫はバンカ島、砂 糖はジャワ島、 硝石はインドなどで生産された。 しょうせき スペイン ケープタウシオ] 流れ 1757 ヨーロッパ合 インド マカオ(シ コロンボ 【ボリ】 (1517-1666) (+1(1656) 5 16~18世紀の銀の流れ インド洋 STRONY WAY マラッカ - [#1(1641-) (1511-1641) マニラ(ス] アジア域内貿易とヨーロッパ A こうしんりょう アジア域内貿易は、古くから中国 人商人やムスリム商人などがおこ なってきた。 さらに15世紀末以降、胡椒・クローヴ・シナモンなど香辛料 の直接取引を求めてアジアに到来したヨーロッパ人も参入した。 このアジ いと めんおりもの そほくせんりょう ア域内貿易では、生糸・綿織物・香辛料・砂糖・米・蘇木 (染料)・銀・銅 ーパン ノワゼルッカ Kaby- 229 しゃし にちようひん など、奢侈品から庶民の日用品に至るまで様々な商品が取引された。 17世紀には、イギリスやオランダ、フランスの各国が東インド会社を設 立して、 アジアとの貿易を独占的におこなった。 アメリカ大陸から西ヨー けいゆ ロッパ地域に流入した銀の一部は、 彼らによってアジアに再輸出された。 た、 スペインのガレオン船で、 アカプルコからマニラ経由でアジアに流 した銀もあった。 とくにオランダ東インド会社はアジア各地の港に商館 け、それらを結ぶアジア域内貿易に積極的に乗り出した。 また、ポル 人や東インド会社に所属しないイギリス人などもアジア域内貿易を 18世紀後半にはイギリスから独立したアメリカ合衆国の商人も参入 (→p.41) 1624-61 オランダ 【ス】スペインの植民地 [ボ ポルトガルの植民地 【オ】オランダの植民地 1619 オランダ建設 アカプルコスト ポトシ銀山 1 オランダ東インド会社が扱う商品の特徴は何だろうか。 ② オランダ東インド会社は、アジア域内貿易でどのような役割を果たしていたのだろう か。 マゼラン ムスリム商人 イスラーム教徒の商人のことで、 アラブ人やペル シア人がいた。 香辛料 香辛料は、 モルッカ諸島をはじめ、 東南アジアや インドの一部でも産出した。 保存用食肉の味付け や、 医薬品として利用された。 東インド会社 ほうほう かいきょう イギリス東インド会社は1600年に設立され、 望峰からマゼラン海峡に至るおもにアジア地域の 貿易独占権を、19世紀前半までイギリス政府に より付与されていた会社 (1858年に解散)。 オラ ンダ東インド会社(連合東インド会社 / VOC) は 1602年に設立され、 喜望峰以東の貿易独占権を オランダ政府により付与された会社 (1799年に 解散 ) 。

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