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現代文 高校生

レベル1の④、⑤、⑥ レベル2の①〜⑤ 教えてください

作文の基礎 - ★ 11 2 の 次の五文(七文)を意味が通るように並べかえ、記号で答えな さい。 ① 普段から楽しみとして古典文学を読む人は少ない。 まずは、そういった作品を気軽に読んでみてはどうだろうか。 しかし、古典文学にもいろいろあるのだ。 平易な作品も、くだらなくて笑ってしまう作品もある。 難しい、堅苦しいというイメージが強いからだろうか。 [ア なぜなら、最初から完璧にやろうとするととても面倒だからだ。 私は、何でも思いついたことから実行していけばよいと思う。 面倒だと、結局何もしないということになりかねない。 個人での防災対策とは、何をすればよいのだろうか。 それよりは、やれることを積み上げていく方が確実だろう。 [Z→イ→アーウレオ] ③ これに対して清水くんが、節電をすれば問題ないと反論した。 X クラスの討論会で、原子力発電廃止の可否を話し合った。 一方、伊藤くんは電力不足の危機を指摘し、廃止に反対した。 そこで、データを集めて二人の意見を検討することになった。 田中さんは安全を最優先し、廃止するべきだと主張した。 文をつなぐ ③ 接続表現・指示語― → 4 →K→ --- ] [イリオンアーウエー 「 ④ 私もその一人だが、実際、産業革命後に環境問題は深刻化した。 しかし、環境問題は人類全体に関わることである。 ウだから、その解決の責任も工業界にあると思われがちだ。 エ それゆえ、一部に責任を押しつけても仕方がないのだ。 環境問題の主な原因は工業にあると考える人は多い。 ⑤ア彼らはなぜ、あえて危険を冒すようなまねをするのだろうか。 いわば、未知の世界を知りたいという欲求である。 ウ 目的はさまざまだろうが、根底で共通しているのは好奇心だ。 エ険しい山、深い海、そして無限の宇宙空間に挑む人々がいる。 オこうした欲求が人間社会の発展の原動力となってきた。 このように使いやすくなった自転車の利用者が増えるのは必然だ。 イメーカーは主婦だけでなく、学生にも目を向けて開発に取り組んだ。 ウ その飛躍の陰にはメーカーの努力がある。 エしかし、それに伴って事故も増えているという。 オさらに、見た目だけでなく性能も向上させ、こぐのを楽にした。 カ例えば、サドルの柄をおしゃれにしたことがあげられる。 電動アシスト付自転車の出荷台数がぐんぐん伸びている。 ← ->> [オー 検印欄 →→ 22 [ L コ

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現代文 高校生

過去問なんですけど解答が貰えないらしくて 答え合わせができません、、、。少しでも答え合わせしたいので全てじゃなくて構いません。 答えを教えて欲しいです! 最後の三枚目の写真の問十二の選択肢 アーオまであります。 ウ 我慢できない エ あきらめるしかない オ 仕方がない

一、 次の文章を読んで、後の設問に答え 語彙の質を高める方法の第八は、「異なる立場を想定する」です。書き手の立場と読 です。同じ み手の立場が異なると、語の意味はズレをきたします。 B 手としては、自分の選択 同じ言葉なら、書き手と読み手が同じ内容を想像すると考えるのは 言葉でも人によって感じ方はさまざまです。そのため、 した語の解釈の幅を計算し、 C 手の目にその語がどう映るかを冷静に計算する必要 があります。 私の住んでいる家のそばに両親が引っ越してきました。歩いて七~八分の距離です。 子どもをアズかってもらうのに便利であり、首都圏から離れたところに実家のある近 pていいわねえ」とうらやましがられています。 所の親たちからは そこで、ある人に「うちのすぐそばに両親が引っ越してきまして」と話したところ、 Eわねえ」 「すぐそばってどのくらい?」と聞かれ、「七~八分です」と答えたら、 と言われてしまいました。聞けば、その人は、同じ敷地のなかの二世帯同居なのだそ うです。 (F)、ある人のブログを見ていたら、「最近、事情があって、都心から横浜の奥 地に引っ越してきました」と書いてあり、シンキンカンを覚えました。私は長いこと 横浜の「奥地」に住んでいたことがあるからです。 横浜市の南西のはずれにある泉区と いうところで、以前は区のシンボルマークが「トムトム」という豚でした。 高座豚とい 豚の産地で、相鉄線の駅を降りると、その臭いが漂ってきました。区内の道路を散 歩中に、牛に追いかけられて怖い思いをしたこともありました。九〇年代の話です。 こうざぶ (G)、その人のブログを見ると、横浜の「奥地」というのは青葉区の青葉台だ ったのです。 青葉台は、たしかに横浜の中心部である横浜駅やみなとみらい地区からは 離れていますが、都心へのアクセスもよいおしゃれな住宅街です。私にとってはだんじ て横浜の「奥地」ではありません。以前よほど交通至便なところにお住まいだったので しょうが、私はその人とはお近づきになれそうもないと思いました。奮発して食べた一 五〇〇円のランチが「H と言われたときの驚きに近く、住んでいる世界が違うと 感じられたからです。 書き手と読み手の感性の開きは土地の問題にかぎりません。私の教え子に中高一貫校 の国語の先生がいるのですが、その先生から、「古典は生徒にとって外国語学習なんで すよ」と聞いたことがあります。なぜかというと、古典を訳すときに、生徒は一様に 「現代語に訳す」ではなく、「日本語に訳す」と言うのだそうです。 語」ではな J語」という語を選んで言うところに、生徒たちにとって、古典はもはや K語ではなく L 語なのだという意識が表れているわけです。

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