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98 第 4 章 国際化と日本人としての自覚
3 日本における儒学の展開
1603年 徳川家康 江戸幕府を開く (265年間) ・・・戦乱の終結による世の中の安定
世の中に対し超然とした態度をとる仏教に代わり, 現実社会の人倫に主眼を置く儒教が定着
(1) 朱子学派
5代将軍綱吉 (元禄期) 文治主義により朱子学を官学とし儒学を奨励
→朱子学の考え方が、江戸幕府が統治体制を維持していく上で、都合が良いものであった。
いんげんじゅ
桂庵玄樹
室町時代の禅僧(臨済宗) 明で朱子学を学ぶ
わい
(1427~1508)
菊池・ 隈府 (熊本) で朱子学を講義→薩摩へ (薩南学派を形成)
げんぞく
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('
)
近世儒学の祖 禅僧-京都五山で朱子学を学ぶ。 ⇒還俗し儒学者へ
はやしざん
林羅山
(2
] 身分秩序の上下関係は天理にかなった秩序である。
(1583~1657)
日本朱子学
の祖
「天は尊く地は卑し,天は高く地は低し、上下差別あるごとく人にも
また君は尊く民は卑しきぞ」
幕藩体制を支える封建的身分秩序の根拠となる。
つつし
『三徳抄』
(3
『春鑑抄』
日常生活の言動を敬んで, 天理 (永遠の秩序) を守り社会の秩序や礼儀
に従うよう修養に心がける。 大名(例 )
平の神と朱子学の生の一致を配さて我を重んじる。
そんのうじょうい
(1618~82) ( 神儒融合 )
→幕末の尊王攘夷に影響を及ぼした。
新井白石 (1657~1725) 幕政に参与 宣教師シドッチを尋問し「西洋紀聞』を著す
あめのもりほうじゅう
雨森芳洲 (1668~1755) 対馬藩に仕える 朝鮮外交を担当・・・ 「誠信の交わり」 (友好外交) に尽力
かいばらえきけん
貝原益軒 (1630~1714) 福岡藩に仕える 朱子学の窮理の精神にもとづく博物学的研究書である
『大和本草』 や 『養生訓』・『和俗童子問』 などの教訓書・教育書を著す
・・・朱子学の観点からキリスト教を批判 西洋の科学技術は評価
(2) 陽明学派
なかえとうじゅ
中江藤樹
・・・すべての人の心に天が与えた道徳の根本 普遍的な真理
すべての人を愛し、 すべての人を敬うこと ( 愛敬)
←時・処 (場所) 位 (身分) に応じた道徳の実践
形式より心の内面のあり方を説く
)
(1608~48)
近江聖人
文化と伝
日本陽明学
の祖
『翁問答』
陽明学
晩年に傾倒
⇒P.39
くまざわばんざん
熊沢蕃山
(1619~91)
⇒宇宙万物を存在させる根源を全孝という。
生まれながらに持っている心の本質・・・ 善悪を判断できる力(良知)
それを自覚すること・・・良知を発揮すること ( =致良知)
)
「良知によって知り得たことを実践すること」
中江藤樹の門人師の「時・処位」の思想を継承 状況に応じた礼の実践
聖人の跡ではなく心を学ぶべきであると説く。
岡山藩池田光政に仕える。 治山治水に業績 環境保護の思想