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A
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ありおう
長文問題 (1~3回のまとめ)
ものがたり
長
有王の決断 『平家物語』
国語週間課題 第25回 1月15日(月)配布→1月22日(月)提出→1月29日(月)答え合わせ済み再提出
鬼界が島の三人の流刑人のうち、二人は赦免されて都に戻ったが、俊寛僧都一人が島に残された。
しゅんかんぞう
読解の手がかり
る にん
さる程に鬼界が島へ、三人流されたりし流人、二人は召しかへされて、都へのぼりぬ。俊寛僧都一人、
次の空欄を埋めよ。
しゅんかんそう す
俊寛僧都
うかりし島の島守になりにけるこそうたてけれ。僧都のをさなうより不便にして召しつかはける童あ
ふじわらのなりつね たいらの
ありわう
平氏政権を打倒しようとした「鹿ヶ谷
の陰謀」の主導者とされ、藤原成経、平
康頼とともに鬼界が島へ配流された。
り。名をば有王とぞ申しける。 鬼界が島の人、今日すでに都へ入ると聞こえしかば、鳥羽まで行きむか
やすより
はいる
ろくはら
うて見けれども、わが主はみえ給はず。「いかに」と問へば、「それはなほ罪深しとて、島にのこされ給
ひぬ」と聞いて、心うしなんどもおろかなり。 常は六波羅辺にたたずみありいて聞きけれども、いつ敵 5
免あるべしとも聞きいださず。僧都の御娘のしのびておはしける所へ参って、「この瀬にももれさせ給
ひて、御のぼりも候はず。いかにもして彼の島へわたつて、御行方をたづね参らせんとこそ、思ひなつ
て候へ。御ふみ給はらん」と申しければ、泣く泣く書いてだうだりけり。 霞をこふともよもゆるさじと
政治闘争に敗れた皇族や貴族などを
から離れた場所に流すこと。罪
が重いほどから離れた場所へ流さ
れた。
「(僧都は)この機会にも
文化人が配流先の文化に影響を与え
ることも多々あった。
なつごろも
て父にも母にも知らせず、もろこし舟のともづなは、卯月五月にとくなれば、夏衣たつを遅くや思ひけ
高倉天皇の中宮・徳子(平清盛の娘)
の安産を祈願する恩赦で、俊寛以外の
二人は赦免されたが、俊寛は反乱の主
導者であったことによって赦免されず、
島へ残された。
なみち
さつまがた
ん、やよひの末に都を出でて、多くの浪路を凌ぎつつ、薩摩潟へそ下りける。
注
*鬼界が島・・・中世に日本の極南の流刑地として利用された島。薩摩(現在の鹿児島県) 沖の島。
*僧都僧官のうち、僧正に次いで二番目に高い官位の名称。
*六波羅京都市東山鴨川の東岸あたり。平氏政権の中心地であった。
*たうだりけり… 「たびたりけり」の音便形で「お与えになった」の意。
*もろこし・・・中国(宋)と行き来する交易船。
問一 助動詞 二重傍線部A~Cの助動詞の活用形と意味を記せ。
各2点
問五内容 傍線部3の説明として最も適当なものを次から選べ。
ア 俊寛僧都から御娘への手紙 イ 御娘から俊寛僧都への手紙
ウ 御娘から有王への手紙
有王から父母への手紙
形
尚六 助動詞 傍線部5について、
1 「せ」の助動詞の活用形と意味を記せ。
各2点
問二語句 波線部アイの意味として最も適当なものを、それぞれ次から選べ。
各3点
ア うたてけれ
嘆かわしいことだ ② 困ったことだ
意外だ
興ざめだ
しのびて
隠して
恋い慕って
③人目を避けて
美しさに感心して
4点
(有王が傍線部5のようにした理由として、最も適当なものを次から選べ。
ア 有王は、自分が俊寛僧都を鬼界が島へ訪ねることを父母が許さないだろ
うと思ったから。
イ 有王は、自分が俊寛僧都と決別することを願い出たとしても、父母が許
さないだろうと思ったから。
問三 内容 傍線部1・4の主語をそれぞれ次から選べ。
ア 俊寛僧都 イ 有玉 ウ僧都の御娘
ウ 有王は、自らが遠い鬼界が島へ行くことを知らせると父母が大変心配す
るだろうと思ったから。
工 有王は、俊寛僧都の御娘に手紙を書いてもらったことを知ったら、父母
が叱るだろうと思ったから。
問四 内容 傍線部2について、
1 「それ」 の指示内容を本文から抜き出して記せ。
問七 内容 次の各文が本文の内容に合っていれば、間違っていれば×を記せ。
ア有王は主人が赦免されたと思って鳥羽へ迎えに行った。
5点
(②) このときの有王の心情として最も適当なものを次から選べ。
アせっかく出向いてきたのに、空振りに終わりばかばかしくなった。
イ事情を何も知らない相手に聞くのではなかったと後悔した。
イ 有王は俊寛僧都だけが赦免されなかったということを知った。
ウ有王は主人の娘の依頼で鬼界が島へ渡ることになった。
有王は夏になるのを待って鬼界が島へ向かった。
ウ言葉では言い尽くせないくらいつらい気持ちになった。
ウ
エ嘆かわしくは思ったが、すぐに次の手を打とうと思い直した。
形
エ 有王の父母
1
4
各2点
Tw
C
F
目安20分
合計
形
検
H
点
9