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↓
「then
時代 室町時代」
隠していたが
学習のねらい 著名な和歌にまつわる話を読み、 説話として語り伝えようとした歌人のありようについて考えを深める。
しゃせき しふ
沙石集
無住道暁
1天徳の御歌合 九六〇年(天徳四)
に村上天皇(九六九在位一
が開催した「天徳四年内裏歌
合」。
2兼盛 平兼盛(?|九九)。平安時
代中期の歌人。
歌ゆゑに命を失ふ事
みぶの
3忠見 壬生忠見(生没年未詳)。平
安時代中期の歌人。 『古今集』の撰
2かねもり 3 ただ み
みずいじん
5さう
じゃただみね
天徳の御歌合のとき 兼盛、忠見、
者忠岑の子。
に御随身にて、左右についてけり。
思いった
初恋といふ題を給はりて、忠見、名歌よみ出だしたりと思ひて、兼盛もいか
4随身 勅命により公卿等の警護に
当たった近衛府の役人。
これほどの歌よむべきとぞ思ひける。
に立しま
5左右についてけり 歌合の左方と
右方にそれぞれ加わっていた。
恋すてふわが名はまだき立た の人知れずこそ思ひそ しかず
思い
さて、すでに御前にて講
6つつめども 「天徳四年内裏歌合」
や拾遺集』などでは、初めの五
文字を「しのぶれど」とする。
判ぜられけるに、
つつめども色に出で
判者ども、
わが恋はものや思ふと人の問ふまで
ば、判じわづらひて、天気を
剣もの→天皇のご
人が向うねび
7判者ども 「判者」は歌合で歌の優
劣を判定する人。 判者が判を決め
かねて別の人に譲ったが、それで
も判を下せなかったと伝えられる
ので、「ども」と複数にしている。
多反 何度も繰り返し。
が歌をば、多反御詠 りけるとき、
思見が歌をぼ 三度御詠ありけり。
天気左にありとて、兼盛勝ちにけり。
口ずさんで考えた
ごゆく×
忠心憂くおぼえてい心ふさがりて、不食の病
「頼みなきよし」の意味は何か。
9拾遺 『拾遺集』。一〇〇七年(寛
弘四) ごろに成立した、三番目の勅
撰和歌集。
聞きて、兼盛とぶら
ければ、「別の病にあらず。御歌合のとき
醤別な柄×
に出し
出だしておぼえ侍」
『ものや思ふと
「人の問ふまで』 に、あはと思ひて、あさましく
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お見舞い
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愛しによる
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ちゅうだうげう
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回復の見
頼みなきよ =
あなたの兼盛さんの
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このえふ
せん