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現代文 高校生

なぜ答えが4になるのか分かりません。

次の文章を読んで、後の各問い (問一〜六)に答えよ。 私たち日本語話者が普段何げなくモノを数えているようでありなが ら、実は数えるモノの中からどのような形や〈生物/非生物〉の区別、 機能性やその他もろもろの特徴を探し出し、 それにどの助数詞を用い たら適当であるかという判断を瞬時に下していることを、どれほど多 くの人がはたして認識しているだろうか。 これまでの研究の多くは、どの助数詞がどんな性質を持った名詞に 伴うかを詳しく調査し、助数詞全体をタクソノミー(多重構造の階層) で表したり、名詞の素性をプラス/マイナス〉 で条件付けしたり してきた。例えば、 +生物] だけなら「一匹」と数え、さらにもっ と詳しい素性として [+翼]がつけば「一羽」と数える、といった具 合である。動物は「一匹」で、スズメは「一羽」と数える。それでは クジラは? [+哺乳類]、[+大きい」の素性から「一頭」だろうか、 ほにゅうるい それとも [+海洋生物]、[+尾] で「一尾」だろうか。 名詞のカテゴリー化と認知システムの観点から この問題に取り組 もうとすれば、プロトタイプ(特定の文化において最も典型的な属性 (注2) 形、生物/非生物、機能性などの普遍的要素の他に、文化ごとに異 なる知識が大きく関与している事実に直面することとなった。そこで、 助数詞の日本語における使われ方を、二つの異なった状況の比較をす ることにより、認知システムのさらに背後にあると思われる文化的知 識の役割を明らかにしたい。具体的には、それがどのような知識なの か、その知識がない場合、人はどんな数え方をするかについてアメリ カと日本でデータを集めた。 まるでなぞなぞのようだが、ウサギ、 ヒツジ、アメリカ人の共通点 といったら何が思い浮かぶだろうか。実はこれらはみな、アメリカに 長く住んでいる日本人の子供たちが、こうしたものを数えるとき 「一 匹」という助数詞を使った例である。(この調査は1988年から1 992年まで断続的に行ったものである。主にアメリカ、イリノイ 州にある日本人学校に通う子供たちと、三重県志摩町の小学校に通う 子供たち、およびその親戚、学校関係者など、計319人を対象にア ンケートとインタヴューを行った。) 基本的にこれらのものは、素性 から考えれば[+生物] という共通項があるわけであるから、「一個、 二個」と数えるよりは「一匹、二匹」の方がずっと適合性が高いと しんせき

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現代文 高校生

オリンピックについて 解答がないので六番から一緒に答え合わせして欲しいです!! 間違ってるところがあれば教えて頂きたいです🙇‍♂️ 4国

次の文章を読んで、後の 呆れ返った。 「東京オリンピック2020」は、カイサイ直前まで開会式など担当のトップクリエーターたちの人権感覚欠如の言動が明るみに出て、辞任やら解任やらで 大混乱していた。オリンピックとはどこまでも差別と偏見をジョチョウする人たちに支配されているのだと、次々と入って来る報道に一 ところが、 b 本番の開会式では、全体のヨウショに次々と女性が登場。最後は大坂なおみさんが聖火を点火し、日本は女性や多様なルーツを もつ人たちを応援する国だというイメージが繰り広げられた。日本チームの旗手の一人として、父親がアフリカ・ベナン出身のバスケットボール選手・八村 塁さんも起用され、結局、開会式のメインテーマは震災復興でもパンデミック克服でもなく、 「ダイバーシティ」(多様性)と相成った。 しかし、元来、オリンピックはダイバーシティと相性が悪い。国際オリンピック委員会(IOC)の会長は、初代からの約130年もの間にバッハ現会長 を含めて9人しかおらず、全員白人男性で、1人のアメリカ人を除いて全員ヨーロッパ出身者で固められてきたという。オリンピックというシステムは、2 世紀に漂流する19世紀の遺物であり、驕奢の上に成り立ち、地政学的に偏り、汚職や不正が蔓延する改革不能の組織だと、ニューヨーク・タイムズの記 事は手キビしい。 きょうしゃ まんえん バイエ・マクニールは、八村さんの旗手起用が多文化共生社会につながるかというと、結局、傑出した選手個人の成果のつまみ食いに終わり 「何とも言い 難い」と苦悩する。 この記事に登場するガーナ系日本人ペレ・ヴォンクジョビヴィも、結果が出ない場合、「スポーツを通して得たように見えた多様性と包括 は非常に早く消えるだろうね」と距離をとる。 日本社会でダイバーシティの実現に努力してきた人たちにとって、このオリンピックは複雑なメッセージを放つ。 マイノリティと呼ばれるグループに属する人々は、しばしば、 と見なされ、さらにステレオタイプという檻に押し込められ、孤立する。 あたる 梅津有希子によるシンガー・ソングライター中村中さんへのインタビューで、中村さんは、デビューした年に身体は男性だが女性を自認しているトランス ジェンダーであることを公表し、「NHK紅白歌合戦」にも出場した経験を語っている。 メディアによる過度に劇的な演出(司会が読み上げる母親からの手紙、 赤いドレスにちょっとだけ白が入っているデザインの衣装など)によって、次第に絶望に追い込まれていったという。ここにも表向きには「ダイバーシティ」 を理念に掲げながらメディアが安直なステレオタイプに頼る様子、そこに拍手を送る聴衆、 そしてそれが個人をいかに傷つけるのかが如実に描かれている。 このような状況下で、分断されてきたマイノリティたちを横につないで現状を突破しようとする概念も現れてきた。 「インターセクショナリティ」 (交差性) は、性自認だけでなく、人種、民族、階級、障害の有無といった様々なカテゴリーを意識し、それらの差異の交差部分で深刻化する差別や抑圧に意識を向け という概念であり運動だ。 交差は、たとえば外国籍の女性、トランスジェンダーの女性、障害を持つ女性、貧困層から抜け出せない女性など。こうした考 えは、男女二元論で男性と女性を紋切り型に分断する力を抑え、多様な差異(たとえば、トランスジェンダー、難民、貧困者、障害者など)をもとに横につ ながる力を私たちにサズける。 (林香里「五輪と多様性」による) テー 1 あき

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現代文 高校生

高校1年 現代文 ⑤のこのことと表裏をなすがとは何と何が表裏をなすのですか。そして表裏をなすとはどのような意味でしょうか。考えて答えなさい。という問いです 教えてください

1. neck(首肉) 2. chuck(肩肉) 3. rib(あばら肉) 4. short loin(腰肉) 5. sirloin(サーロイン) 6. rump(しり肉) 7. round(もも肉) 8. shank (すね肉) 9. brisket(胸肉) 10. plate (ばら肉) 11. Aank(わき腹肉) 15 ショート· イン、ブリスケット プレート、フランク、サーロイン などと区別するのは、牛肉に対す る、その言語の並々ならぬ関心を 示している。Gれに対して日本語 はこれらには無関心であって、動 物名の牛(うし)に対してその肉 の名、牛(ぎゅう)が使われだし たのはやっと明治になってからで N あった。そのかわり、日本語は魚 に関しては詳しい。ボラという魚 の成長段階に応じて、例えば浜名 湖でキララ→オボコ→イナ→ニサ り イ→ボラ→トドと呼び分けている。 成長とともに名を変えるいわゆる 出世魚である。これは、この魚についての知識の密度が濃くて、つまり世界を捉える走 査線が細かくて、微細な差も、これを別名で呼び分けなければ気がすまないのであろう m● (このことと表裏をなすが、我々日本語を母語とする者は、世界を日本語で見ているの である。例えば虹を我々が七色と見るのは、あの光のスペクトル連続を日本語では七つっ に区切ってそれぞれに色の名を与えているからにほかならない。もしそれを五つに区 切って名づける る言語があれば、その話し手は同じ虹を五色に見るにちがいない このように、客観世界というものは、純粋には見ることはできない。あるいは、極端 にいえば、人間にとって純粋客観世界はありえない。/必ずこの母語の色眼鏡を通して世 界を見ているのである。色眼鏡というと悪いもののように聞こえるが、とかく人間は、 世界は自分の色眼鏡で見る世界しかないと思いがちのものである。 しかし、逆に?他人の色眼鏡が立派に見えてくる場合もある。例えば、日本語には文 法的カテゴリーとしての単数、複数の別がないからといって日本語は論理的ではないと 考える人はよくいる。けれども、単数、複数の別のあることは言語にとってそんなに有 利なことであろうか 筆者がロンドン大学にいた時の話であるが、日本語を習っている学生が日本語は単数、 複数の区別がないから、なんとなく頼りない、と言ったことがあった。自分たちが区別

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