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1】次の文を読み,(①)~(⑥)には適語を入れ, 下の設問に答えよ。
4年余りにおよんだ第一次世界大戦は,1918年,ドイツの降伏によって終結し.翌年,(a)パリで講和
会議が開かれた。この会議は, アメリカ大統領( ① )が提唱した14カ条を基礎として議論がおこなわれ,
(② )の原則のもとで東欧に多数の独立国家が誕生し, 初の国際平和維持機関として(③ )の設立が決
まった。一方で, 講和条約として調印された( ④ )条約は, ドイツに巨額の賠償金を課し,さらに軍備
制限,領土割譲を求めるきびしいものとなった。
日本はこの(O)条約によって, ( ⑤ )半島の旧ドイツ権益継承を認められるとともに,赤道以北の
ドイツ領南洋諸島の(⑥ )権をえた。しかし,中国国内でこの条約の内容が伝わると, 北京の学生によ
る街頭運動に端を発した(b)激しい反日運動がおきるとともに,中国政府も条約の調印を拒否した。
朝鮮では,これより先に( ② )の世論の高まりを背景に,朝鮮独立を求める運動がもりあがり,1919
年3月,京城(ソウル)で独立宣言書朗読会を機とした(c独立運動が,朝鮮全土で展開された。(d)日本の
現地支配者はこの運動をきびしく弾圧したが,反面,(e)朝鮮支配の方針に若干の変更をおこなった。
[設問](1) 下線部a)について, この会議に日本全権として出席した立憲政友会前総裁は誰か答えよ。
(2) 下線部(b) - (c)の運動をそれぞれ何というか答えよ。
(3) 下線部(d)について,このときの日本の内閣の首相は誰か答えよ。
(4)下線部(e)について, このとき,朝鮮総督の資格が拡大されたが内容を20文字程度で記せ。
の
3
(2Xb)
各2点,計22点
(2) 次の文を読み, (①)~ (③) には適語を入れ,下の設問に答えよ。
大戦後,国際政治の主導権をにぎったアメリカは,建艦競争を終わらせ, 自国の財政負担を軽減する
ことと,日本の東アジアでの膨張を抑えることを目的として, 1921年から翌年にかけて(a)( ① )会議を
開催した。この会議によって,(① )体制とよばれるアジア·太平洋の新たな国際秩序が形成され
1920年代は(b列国の国際協調がはかられた時期であった。日本もこの秩序を積極的に受け入れ,立憲政
友会の内閣は協調外交の基礎をつくり, 野党としてこれを批判した( ② ) も, のちに ( ② ) 総裁の
(3)を首相とする護憲三派内閣が成立してからは, (c)協調外交政策を推し進めた。
[設問](1) 下線部(a)について, この会議では(A)四カ国条約,(B)九カ国条約, (C)海軍軍縮条約が調印され
たが,次に示す事柄はそれぞれどの条約にもっとも関係が深いか, (A)~(C)の記号で答えよ。
また,どの条約とも関連がない場合は, 解答欄に×印を記入せよ。
イ太平洋諸島の現状維持
オ.主力艦の保有制限
ウ.日英同盟の廃棄
カ.補助艦の保有制限
ア.中国の領土と主権の尊重
エ.石井·ランシング
(2) 下線部(b)について, 1928年に調印された世界で初めて戦争放棄を定めた条約名を答えよ。
(3) 下線部(c)について, この外交を推し進めた外務大臣の名を答えよ。
の廃棄
(1)ア
エ
各2点,計22点