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日記・紀行 (2)
出題 愛知淑徳大学(文・人間情報など)
『讃岐典侍日記』
[解答・解説は本冊の181ページ]
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
堀河天皇に親しく仕えていた讃岐典侍藤原長子は、天皇の崩御ののち自宅で喪に服していた。そこに来信
がある。
さぬきのすけ
なお、関係する天皇家の系譜は次の通り。 また、この日記では、執筆の時点より以前に崩御した天皇も院
と呼称している。
―後冷泉天皇
-後三条天皇 白河天皇—堀河天皇—鳥羽天皇
うち
かくいふほどに、“十月になりぬ。「弁の三位殿より御文」といへば、取り入れて見れば、「年ごろ、宮仕へ
せさせたまふ御心のありがたさなど、よく聞きおかせたまひたりしかばにや、院よりこそ、この内にさやう
なる人のたいせちなり、登時参るべしと、おほせごとあれば、さる心地せさせたまへ」とある、見るにぞ、
あさましく、ひがめかと思ふまであきれられける。(亡クナッタ堀河天皇ガ)おはしまししをりより、“かく
は聞こえしかど、いかにも御いらへのなかりしには、“さらでもとおぼしめすにや、それを、いつしかといひ
顔に「参らんこと、あさましき。
周防の内侍、後冷泉院におくれまゐらせて、後三条院より、七月七日参るべきよし、おほせられたりけるに、
天の川 ~おなじ流れと聞きながら、わたらんことはなほぞかなしき
とよみけんこそ、げにと
(『讃岐典侍日記』による。なお、設問の都合上、原文を一部改変した箇所がある)
〔注〕
*弁の三位….... 鳥羽天皇の養育にあたっていた女房。 藤原光子。
*院・・・・・・ 堀河天皇の父白河院。 堀河天皇に譲位した後、上皇として院政を開始する。
*この内… 五歳で即位した幼い鳥羽天皇の御所。
*たいせち....大切。
* 登時······ただちに。
*聞こえしかど耳にしていたが。
なる。
*周防の内侍… 後冷泉天皇に仕えた内侍の平仲子。 天皇の崩御により職を退いたが、そののち求められて後三条天皇の内侍と
問1
うづき
傍線部A「十月」の読み方として最も適当なものを、次の1~6のうちから一つ選べ。
2 かんなづき
3
ながつき
しもつき
5 ふみづき
むつき