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高校生

讃岐典侍日記
現代語訳を読んでも分からないのてすが、
作者が手紙を読んだあとに呆れていることって
自分に対して呆れているんですか?(;;)
よく分からないので詳しく教えて欲しいです💦

回 第13 4 9 20 日記・紀行 (2) 出題 愛知淑徳大学(文・人間情報など) 『讃岐典侍日記』 [解答・解説は本冊の181ページ] 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 堀河天皇に親しく仕えていた讃岐典侍藤原長子は、天皇の崩御ののち自宅で喪に服していた。そこに来信 がある。 さぬきのすけ なお、関係する天皇家の系譜は次の通り。 また、この日記では、執筆の時点より以前に崩御した天皇も院 と呼称している。 ―後冷泉天皇 -後三条天皇 白河天皇—堀河天皇—鳥羽天皇 うち かくいふほどに、“十月になりぬ。「弁の三位殿より御文」といへば、取り入れて見れば、「年ごろ、宮仕へ せさせたまふ御心のありがたさなど、よく聞きおかせたまひたりしかばにや、院よりこそ、この内にさやう なる人のたいせちなり、登時参るべしと、おほせごとあれば、さる心地せさせたまへ」とある、見るにぞ、 あさましく、ひがめかと思ふまであきれられける。(亡クナッタ堀河天皇ガ)おはしまししをりより、“かく は聞こえしかど、いかにも御いらへのなかりしには、“さらでもとおぼしめすにや、それを、いつしかといひ 顔に「参らんこと、あさましき。 周防の内侍、後冷泉院におくれまゐらせて、後三条院より、七月七日参るべきよし、おほせられたりけるに、 天の川 ~おなじ流れと聞きながら、わたらんことはなほぞかなしき とよみけんこそ、げにと (『讃岐典侍日記』による。なお、設問の都合上、原文を一部改変した箇所がある) 〔注〕 *弁の三位….... 鳥羽天皇の養育にあたっていた女房。 藤原光子。 *院・・・・・・ 堀河天皇の父白河院。 堀河天皇に譲位した後、上皇として院政を開始する。 *この内… 五歳で即位した幼い鳥羽天皇の御所。 *たいせち....大切。 * 登時······ただちに。 *聞こえしかど耳にしていたが。 なる。 *周防の内侍… 後冷泉天皇に仕えた内侍の平仲子。 天皇の崩御により職を退いたが、そののち求められて後三条天皇の内侍と 問1 うづき 傍線部A「十月」の読み方として最も適当なものを、次の1~6のうちから一つ選べ。 2 かんなづき 3 ながつき しもつき 5 ふみづき むつき
現代語 このように言ううちに、十月になった。「弁の三位殿 [=鳥羽天皇の養育にあたっていた女房〕からお手紙」と 言うので、(私が) 受け取って見ると、「長年、(あなたが) 宮仕えをなさっている御心のめったにないすばらしさなど、 (白河院が)よくかねて聞いていらっしゃったからであろ うか、白河院から、「鳥羽天皇の御所にそのような人が大 日記・紀行(2) 「讃岐典侍日記」 回 切である、ただちに出仕せよ』と、ご命令があるので、 (あなたは)そのような心づもりをなさいませ」とある (その手紙を)見ると、驚きあきれて、見間違いかと思う ほど驚きあきれずにはいられなかった。(亡くなった堀河 天皇が)いらっしゃったときから、このように(「ただち に出仕せよ」と耳にしていたが、何ともお返事がなかっ
たので、そうでなくても(=すぐに出仕しなくてもよい] と思っていらっしゃるのだろうか、それを、早く〔=今か 今か〕というような顔で出仕するようなことは、驚きあ きれる。 (昔、 周防の内侍〔=後冷泉天皇に仕えた平仲子〕が、 後冷泉院に先立たれ申し上げて、(後冷泉院のご兄弟の) すおう 後三条院から、七月七日に出仕せよと 院がおっしゃったので、 天の川・・・天の川、(後冷泉院と後 れ(=血縁〕と聞いているが、 渡る 三条院に出仕することはやはり非 と詠んだとかいうことが、なるほどもっ

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