=子屋(「近世職人尽絵巻」鉄形意斎画)
を州
ミミ
時間と自由の関係について
日露戦争 一九〇四(明
治三)年から翌年にかけ
ての、日本とロシアとの
戦争。
「私の頭」が「一瞬にしE
混乱した」のはなぜか。
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E以前に東北の農村で、村人からこんな話を聞いたことがある。それは、その村に初め
て時計が入ってきたのは、日露戦争後のことで、村に学校ができてずいぶんたった頃の
本 具る
ことだった、という話である。
この話を聞いたときは、私の頭は一瞬にして混乱した。時計のない学校などというも
のは、私には想像のできないものであった。時計のない学校は、どんな教え方をしてい
たのだろう。時計のない試験とはどのようなものなのだろう。私にとって学校のイメー
ジとは、時計に支配された世界そのものである。
@分教場 本校から離
ところに設けられた
しかし、よく考えてみればそうだったのかもしれない。明治になって村々に学校がつ
ぼれば、都市部なら江戸の寺子屋でも、お寺の鐘程度の時間の目安はあったであろうが、=
それでも、この問題を十分で解きなさいというような、厳密な時計の時間はなかったは
寺子屋 江戸時代、
の子供に読み書き
んなどを教えたと
くられていったとき、はたして山の分教場にまで時計があっただろうか。もっとさかの
ずである。とすれば、時計の時間に支配
されない学校は、確かにあったはずなの
である。
その後教育学の研究者に聞いてみると、
学校教育のなかで時計の時間が価値基準
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になったのは、欧米でも二十世紀に入っ
てからのことで、それまでは一定の時間
内で覚えたり、問題を解いたりすること
は、重要な価値として意識されてはいな
かったという
それが変わったのは、欧米では、労働
の価値基準が時計の時間で示されるよう
になった頃と、時期を同じくしているら
しい。つまり、その仕事をやりとげるこ
とが重要で、そのためにどれだけの時間
がかかったのかは1二の次だった時代から、