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現代文 高校生

写真の文章って「A 普遍性の獲得 → 文脈からの逸脱」と「B 文脈からの逸脱 → 普遍性の獲得」のどちらの流れが正しいですか?

6 アメリカが生み出した消費のマニュアル化としてどうしても無視できないものがあります。言うまでもなく、 マクドナルドです。 2 マクドナルドは、簡単に言えば、フォードが開発した大量生産方式を食生活に持ち込んだと言っていいでしょ う。これはジョージ・リッツァという人が述べていることですが、マクドナルドほど見事に方法化され、マニュ アル化され、技術主義的なものによって支配された消費の場はありません。生産工程の流れ作業的管理を、食生 活という消費プロセスにまで拡大したわけです。 -3 そして、この徹底した方法化によって、マクドナルドは世界へ進出することが可能となった。世界中どこへ行っ ても同様のテンポがあり、ほぼ同様のサーヴィスが受けられ、同様の商品が出てきます。基本的なコウゾウは同 じです。そして、店に入ってからカウンターの前で注文し、商品が出てくるプロセス、店員の応対、座る椅子、 テーブル、出入り口の配置―これらが完全に管理され、マニュアル化されています。モノを食べるという消費 過程そのものを、テーラーシステム化してしまっているわけです。 4 ですから、マクドナルドがきわめてアメリカ的だと言われるのは、ハンバーガーのためというより、本来は、 ゆっくりと味を楽しみ、友人知人や家族の団欒の場であり、社交の場であったはずの食事という文化を、徹底し 技術主義的にとらえ、生産工程のように計測された効率性と画一性を重んじる、技術主義的な思考方法のもと に置いたからにほかなりません。しかも、方法化することによって、特定の場所とか文化に囚われない、一見し たところ普遍的なものをつくっていく。こういうやり方そのものがアメリカ的なのです。 5 しかし同時に、それが方法化された消費の場であることによって、マクドナルドはアメリカを超えてしまった。 それなりに世界中に散らばることが可能となる。それは、アメリカ以外のどこからも出現しえないという意味で はきわめてアメリカ特殊的であるのですが、まさにそのことによって世界化が可能となっているわけです。 これはアメリカ文明のある本質を突いていて、技術主義と方法化によって、特定の文脈に囚われない普遍性を 獲得しようとすると、それが本来置かれている場所、コンテクストを失ってしまう。マクドナルドはもはや、そ れが最初に発生した場所やコンテクストには収まらない。 その意味で、技術主義、方法化は脱文脈化をハカります。コンテクストを逸脱していく。コンテクストを逸脱 していくことによって、普遍化しようとする。脱文脈化したものは、言ってみれば、どこにでもあるものであり ながら、どこにも定着しないものです。一種の故郷喪失者と言ってもよいですね。ですから、言い換えると、ア メリカ文明が生み出した現代文明の大きな特徴はまさに故郷喪失であり、故郷喪失による普遍化なのです。故郷 喪失者であることが、同時に普遍化につながるというコウゾウになっているということなのです。

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論理国語「擬似群衆の時代」に関する質問です。 文中の表現でわからない部分があるので、説明して頂きたいです。 「ひと頃透明性の高い建築」 「建築そのものを消し去り、流動する映像体としての建築物として存在する」 「ピクチャープラネット」 どなたか説明をお願いいたします...!!!

204 ■擬似群衆の時代 ① 街角で見かける大型スクリーン、いわゆる街頭ビジョンが新宿駅東口に現れたのは、 一九八〇年代の初めだった。ビルの壁面に映し出される映像は、当初白熱電球によるもの だったが、それでも東口駅前に群衆が絶えなかったのは、万博などの催し以外で本格的に 設置された最初の例のひとつだったからだろう。巨大白黒テレビという趣のスクリーンを、 すぐにアートとして取り入れたのがビデオアーティストのビル・ヴィオラだったことはよ く知られている。 4 それから三十年近く経過した現在、私たちの都市にはさらに大型のスクリーンが氾濫す ることになった。例えばマンハッタンのタイムズスクエア周辺のビルは、その壁面のほと んどがスクリーンと化している。そこではケーブルテレビ局が建物全体を覆う曲面スク リーンに四六時中ニュースを流しており、広場の反対側では同じように広告が流されてい みなと ちひろ 港千尋 5 10 参照 と。 tan 現代社会を読み解くため に6→400ページ 新宿駅東口 東京都新宿 区のターミナル駅の東側 出口。 2万博 万国博覧会のこ 3 ビル・ヴィオラ Bill Viola 一九五一年~。ニュー ヨークの生まれ。 4マンハッタン Manhat- アメリカ合衆国、 ニューヨーク市の中心を なす区の一つ。 これだけの大きさになると建物に画面が取り付けられているというより、画面の一部 が建物になっていると言ったほうが近いかもしれない。 こんにち 建築物が映像装置と一体化する現状は、おそらく今日の建築の方向性と矛盾するもので はないだろう。設計段階ですでにコンピューター・グラフィックスとして映像化される建 築は、紙に描かれていた時代とは大きく異なる様相をしている。ひと頃透明性の高い建築 が流行したのもつかの間、複雑な構造計算が可能な高速演算装置のおかげで、新しい建築 はますます映像のような自由度をもち、私たちを驚かせる。 そこでは二次元と三次元が相 互に浸透し合い、ある場合には建物そのものを消し去り、流動する映像体としての構築物 擬似群衆の時代 20 タイムズスクエアの夜景 5 5高速演算装置 コンピューターのこと。 問① ここでいう「二次元」 「三次元」とはそれぞれ 何か。

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写真の文章を要約して以下の様になったのですが、コンピューターの役割と技術 という部分など、他に付け加えた方が良いでしょうか? 要約:製造業からサービス産業へと移行する、脱工業化社会の背景にあるのは、情報技術の進化が社会を変革していることだ。 この変革に伴い、労働構造におい... 続きを読む

脱工業化社会は、 製造業から情報技術に主軸を置くサービス産業への移行によって特 徴づけられる。この移行が、知識の創出と設計に重要な役割を与えるのだ。 この観点に 立てば、技術の変化が社会を変革する推進力になり、経済の心臓部において情報の交換 と文化の創出が重工業に取って代わるのである。 新しい生産工程及び製造から消費へと 重点が一般的に移り変わることが, 情報通信技術を21世紀の 「典型的な」 産業にする のである。これらの過程にとって中心となるのは, それに伴って複雑さの度合いを増す 情報が生み出され、伝達さ [←移さ] れる 量 速さ・距離の増大を管理するうえでの コンピュータの役割と性能である。 脱工業化社会を把握する概念として非常に重要なのは、肉体労働が事務系の仕事や専 門職 サービス業に取って代わられる際の、知識の位置, 人々が就いている職種におい て起こっている変化, それに職業構造における関連した変化である。 第一次・第二次産 業部門からサービス業部門への労働の部門間の再配分があっただけでなく、生産ライン というよりもむしろ技能に基づいてますます組織化されている事務系の仕事への労働形 態あるいは労働編成における変化もあったのだ。 脱工業化社会では,新しい階級組織は 主として知識と専門技術の高まる重要性と結びついている。つまり、出現しつつある新 しい社会の主要な階級は、 まず何よりも、 財産よりもむしろ知識に基礎を置く専門職階 級なのである。 OVIE 技術が中心となる ARALI

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何故問5の回答が間違えなのか分かりません

■ 第三問 100| 11 10 =HE] 〔著 第三問 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 たとえば、匂いのユートピアといったものがありうるだろうか。 r そもそも匂いというものがそう簡単に馴致されたり管理されたり、ユートピアのような 理想社会の体系のなかにとじこめられたりするものだろうか。 20 5 自然界のあらゆるものは、多かれ少なかれ匂いをもつ。その自然界を脱し、みずからの 自然をつくりなしてきた人間というものもまた、時々刻々、さまざまな匂いを発している 存在である。人間の社会生活そのものが、多種多様な匂いの発生源である。食品や塵芥や 肥料や家畜や乗物や隣人や、家事や産業やゴラクや宗教やイリョウや美容や風俗や、そ の他あらゆるものやことがらの発散する匂いのなかで、人間は人間であることを実現し実 感しているのだともいえる。匂いとは、人間の個と社会につきまといつづける見えない自 然、生理のようなものであろう。 一 的自然とのあ とすれば、いったいどのようにして、このつきまといはびこる奇妙な生理 いだに、人間は、ユートピア的な防御壁を設けることができるのだろうか。 S ユートピアとは何か。文明が、いやすくなくともヨーロッパの都市文明が、成立このか たエイエイとして追いもとめつづけてきた、ただひとつの完璧な社会制度の夢想であり、 A である。ほとんど強迫観念のようなもの、といってよいかもしれない。 人間はかつて森を出て自然を対象化して以来、人間自身をふくむ自然を徐々に改変する ことによって、都市を、文明を、かたちづくってきた。そんな過程がいわゆる〈進歩〉で あったとすれば、その目標、その最終段階がつまり、ユートピアである。 プラトンの『国家』以来、さまざまな時代にさまざまな作品がこの社会形態をものがた り、ユートピアは文学の一ジャンルとして生きつづけることになった。 典型的なユートピストたちの思いえがいた理想社会は、 だがおどろくほどに似たりよっ たりで、かわりばえがしなかった。 千年、二千年をへても、プラトンの『国家』からほと んど〈進歩〉していないように見えるのだ。なるほど各時代にいくらかの独創や逸脱もな いことはなかった。けれども、基本はいつもおなじだったのだ。 四方に防御壁をめぐらし た自己完結的な都市空間。 人工の美や清潔さや便利さや合理性や技術改良やキカ学や統 2 制への愛。人間とその生活は、自動機械のように画一化されている。自由などはない。い や、自由がないということを感じなくなるほどまでに、ユートピアの住民は幸せである。 ユートピストたちはいつも自然を矯正しようとしてきた。彼らは自然の体現する偶然 2 や無秩序やアナーキーを、もっぱら排除しようとしてきた。こうした統制と画一化への意 志は、当然、人間とその社会につきまとう生理的自然にまでおよぶことになる。 いわゆる五感もまた、彼らのユートピア的再構築の対象となるだろう。 まず視覚。これならなんとかなる、とユートピストたちは考えるらしい。完璧にととの えられている理想都市の景観は、すみからすみまで、自然の乱脈さを極力おおいかくした ものである。

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サイボーグとクローン人間という作品の意味段落分けの仕方が分からないです。本文全てを載せてあります。解説お願いします!

サイボーグとクローン人間 山崎 正和 テレビの教養番組で、アメリカのロボット研究の現状を見た。映像による報告はさすがに生々しく、 改めて文 明の行方について考えさせられた。 研究の一つの方向は、ロボットの精神的な能力を拡張し、判断力や感情さえ持った機械を造ろうという試みで ある。 外形も二足歩行の人体に似せ、顔の表情まで再現する技術が磨かれている。 脳の働きをするコンピュータ がさらに発達すれば、ロボットが人間と手をとって街を歩く日も遠くないという。 もう一つの方向は、人間の身体の一部を機械で置き換え、脳と機械を直結するサイボーグを造ろうという動き である。 これはすでに身体障害者の補助器具として実現していて、 肩の筋肉の指令を受けて動く精妙な義手が発 明されている。 光を感受するチップで失われた視力を回復させたり、衰えた脳の中に記憶装置を埋め込む研究も 行われている。 この努力の究極の姿は、やがて人体から脳だけをそのままに残し、四肢や内臓のすべてを機械で 補強する、人間改造計画に行き着くことになるらしい。 見ていて不思議だったのは、現場の研究者も評論家もこうした研究にきわめて楽天的だということである。 ク ローン人間の研究にはあれほどの嫌悪を示し、 大統領の禁止勧告まで生んだこの国の反応とは対照的だというほ かはない。 クローン人間を忌避させているのは、人間を神の被造物と見るキリスト教の思想だろうが、 その禁忌 が機械的な人間の製造、あるいは改造には及ばないことが、印象深いのである。 合理的に考えれば、 クローン人間の誕生はおよそ非人間的な事件ではない。 それは子が親と同一の遺伝子を持 って生まれることであるが、同一の遺伝子の共有は必ずしも個性の否定にはつながらない。人間の個性は環境や 教育に左右されるところが多く、遺伝子だけで決定されないことは、自然の一卵性双生児を見れば明らかだろう。 さらにクローン人間は人造人間ではなく、卵細胞と体細胞、それに子宮を提供する人間の親がいることを忘れて はなるまい。 そこには当然、家庭が生まれ、親子の愛や葛藤も芽生えるはずであって、子どもが感情の砂漠の中 で育つ心配は少ないのである。 しかもクローン技術が人間に適用される場合、 それが優生学的改良に直結する懸念もかなり薄い。 ある能力を 持った遺伝子が複製されても、能力が強化される理由はなく、それがそのまま子どもに現れるという保証もない。 そこには再び教育の手が加わる必要があるはずだが、その過程で子どもが自我に目覚め、先天的な素質を裏切る 可能性もあるからである。 これに比べると、ロボットやサイボーグははるかに人間の恣意に従いやすく、特定の価値観や世界観の奴隷に なる危険が高い。 肉体の腕よりも強い義手は、 強いことはよいことだという思想の実現であり、より多く環境を 支配したいという無意識の願望の反映だといえる。 脳内に記憶装置を埋め込めば、思い出も忘却も意志の力で操 作することになり、人間は自分の過去すら自分で構築することになる。 クローン技術は生命の法則に対しては受動的であって、細胞核を入れ替えた後の過程に手を出すことはできな い。だが、身体を機械で置き換える技術はどこまでも能動的であり、細部まで人間の思うとおりに造り上げてし まう。しかも注意すべきことは、そうして造り上げた身体はやがて逆転して心に影響を及ぼし、人間の考え方、 生き方を思いがけぬものに変化させるということである。 人間の心がいかに身体の影響を受け、 身体と一体になって生きているかは、毎日の生活の中で実感することが できる。 病気になれば悲観的になり、運動能力が高まれば世界を見下すような気分になる。 これまでも身体の延 長として道具を使いこなし、 機械を発達させたことで人類はどれだけ傲慢になったことだろうか。 もし将来、自 分の身体そのものを機械化して数倍の力を持ち、あるいは人体に似た機械を召し使いにできたら、 人間は自分を 神か超人のように思いなすのではないだろうか。 それが倫理的によいとか悪いとか、今日の文明の中で即断することはできない。 身体が機械になり心が神にな れば、そのときは文明の全体が変わっていて、倫理のものさしも変わっているかもしれない。 しかし確かなこと はこの変化は深刻であり、 二十世紀までの文明を終わらせるおそれさえあるということである。 興味深いという より恐ろしいのは、 現代人がその可能性を十分に自覚しておらず、その無自覚がクローン人間には厳しく、サイ ボーグには甘い価値観のよじれに現れていることなのである。 紛れもなく、サイボーグ肯定の思想の背後にあるのは、近代の脳中心の人間観である。 もっといえば、心と身 体を二つに分け、心は脳に宿っていると考える先入観である。 実は二十世紀後半の哲学はこれに疑問を投げかけ、 心と身体の一体性、相互作用を重視するようになった。 しかし、科学者を含めて大多数の現代人はまだこの二元 論を信じていて、身体を取り替えても心の同一性は守れると感じている。加えて心は脳の専有物だという、 古い 常識から逃れられないでいるのである。 その上に大きいのは、現代人が個人の福祉を絶対視し、現に生きている人の幸福を至上命令と考えていること である。 障害者や高齢者に補助器具を提供し、 身体能力を回復することは正義だという世論を、現代人は疑うこ とはできない。現にサイボーグはそういう善意から研究され始めているのであって、 そうである限りこの研究を 現代文明は非難することができない。 一方、 まだ生まれていない生命、現に生きていない個人を生もうというク ローン技術には、当然この世論の追い風がないのである。 だが困ったことに、身体能力の回復から改善までの道はほんの一歩しかない。 誰しも自分の身体を十分だとは 思っておらず、 十分にしたいと願っているものの、何が十分であるかは誰も知らない。ただ人並みに生きたいと いうつつましい願いが、とかく人並みを超える競争を招くのであって、そのことは今日の消費生活を見れば明ら かだろう。たぶんサイボーグは二十一世紀の「超人」を生むのだろうが、それはニーチェの反俗思想ではなく、 平 的生活を求める庶民のいじらしい願望がもたらすことになりそうなのである。 こんなことを考えながら、私はべつに警世論を張っているつもりはない。 いつの時代にも文明は変わるもの であるし、それも合理的な「進歩」とは無関係に変化するものだろう。 ただおもしろいと思うのは、文明を変える ものが必ずしも冒険的な好奇心ではなく、ある時代に最も常識的な、社会の通念でありうるという逆説である。 人々が「危険」な好奇心を警戒しているうちに、ひそかに安全な良識がそれ自体の足もとを隠してしまう。それが 人間の悲しさというべきか、それこそが尽きない魅力の源泉だというべきだろうか。

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言語文化 雨漏りの音について 「驚いて晴人の顔をみた。」とあるがそのようにしたのはなぜか。本文の内容を踏まえて説明しなさい。 解答は、アパートではなく一軒家なのに昭和っぽいたたずまいの家のイメージが2人とも漫画で知ったものしかなく同じ固有名詞を思い浮かべていたから。って... 続きを読む

80 エンジンが自動でストップする。 この世の進化は毎年毎月、たゆまずに行われているだろうが そのようには進まない。毎月リフォームし続けたり、毎年車を買い替えたりに一 きない。あるときまである技術の中に囲まれて変わらずに暮らし、あるタイミン グでいきなりそのときの最新に切り替えるから、家の内装でも自動車でも、必ず、 格段の変化をみせつけられる。 ついさっき、不動産屋の裏手にとめられたこの車に乗り込んだとき、晴人も 「広いなぁ」とつぶやいたが、あれも過去のそれと比較しないと出てこない感慨だ。 車は大きな通りから住宅街に入り込み、一軒の家の前に寄せて停車した。 「着きました。鍵を受け取り、駐車してくるという女の車を見送り、二人でい きなり中に入らずに家を見上げた。 「なんか……『トキワ荘』みたい。 「分かる!」茜は驚いて晴人の顔をみた。同じ固有名詞を思い浮かべていたの だ。アパートではなく一軒家なのに。それに、かつて天才漫画家が集った有名な アパートの姿を実際にはちゃんと知っているわけでもないのに。 住宅街の中の、昭和っぽいたたずまいの家のイメージが二人とも漫画で知った それしかなかった。晴人が鍵を差し込み引き戸を動かす。ガラガラガラ。これも 「古い」と感じさせる音がしてその奥に暗い玄関と廊下が現れる。ひんやりした 玄関に入り込むとき、「トキワ荘」のような不思議な既視感を二人は再び味わった。 「おっと、気を付けて。靴脱ぎからの段差を先に越えた晴人が慇懃に差し出し た手を茜はわざとらしい、と笑いながらとる。 5 だいたいの内見を終え玄関に戻ると、遅れてきた不動産屋の女が制服姿のお尻 をこちらに向けながら、二人の靴をそろえ直していた。 茜は女に、雨漏りする場所を尋ねた。晴人が尋ねなかったのは、雨漏りの有無 以前に借りる気がなかったからだろう。茜も茜で気乗りしなかった。間取りが複 = 雑で、思った以上に住みにくそうだ。先に図らずも露呈した、駐車のしにくさも デメリットだ。隣家の塀と敷地間の近さや、ジメジメした気配も気になる。だか ら、尋ねる必要はなかったのだが。三人で台所まで戻り、女が天井を指さすと染 みのようなものがみえる。 ということは…………。晴人と女はずっと天井を見上げていたが、茜だけすぐに視 しま 2 トキワ荘 東京都豊島 区に一九五二年から一 九八二年にかけて存在 した木造アパート。 塚治虫などの著名な漫 画家が居住していた。 づかおさむ なぜ床を見たのが 「だけ」だったのか。 + たゆまずに 図らずも 進化退化 格段類 格別 漫画我慢

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① 「へぇーと感心した茜は内心しくじったと思った。」とあるが、そう思ったのは何故か。その理由を本文の内容を踏まえて具体的に説明しなさい。 答え→ 家の雨漏りは欠陥であり、良くないことで楽しい、ワクワクする「装置」では無いから。 ② 「驚いて晴人の顔をみた。」とあるが... 続きを読む

雨漏りの音 ながしま 長嶋有 あかね はると 見取り図の下部の「雨漏りする箇所あり」という特記事項に、茜と晴人はまる で異なる反応を同時にみせた。 「え、それはちょっと。 「へぇー」 二人とも、具体的な好悪の言葉は続かなかったが、へぇーと感心した茜は内心 しくじったと思った。 間違えた、そこは「それはちょっと。が正しい反応だ。 家の雨漏りは欠陥であり、よくないこと。 楽しい、ワクワクする「装置」では ない。 「築年の古い家ですから。 でも、修理はきくと思いますよ。 軽自動車のハンド は腕組みをして顔をあげた。もとよりリフォーム前提で検討している物件だった が、雨漏りはさらに費用がかさむ案件だ。 茜の暮らした実家は最近のリフォームまで雨が漏っていた。そう告げると、晴 人の眉間にしわが寄る。やはり、雨漏りに対する反応の正解はそっちだった。 「そういえばたしかに去年、お伺いするときに言ってたっけ、『最近まで雨漏り してたんだ。って。 5 「うん。 「その『最近』っていつのこと、平成になっても雨漏ってた?」 「うん、漏る漏る…いや、漏った漏った。二年くらい前まで。 今度は眉間に しわではなく、うわあ、と純粋に驚く顔。 「え、あの家って、そんなに古かったっけ。 「いや、だって、晴人が来たときはリフォーム後だから。 と。 晴人を連れて帰省したとき、茜は内心驚いていたのだ。きれいになった! エンジンのかかる音がして顔を前に向けると、軽自動車が青信号になった十字 路を直進した。これも「最近」だ。アイドリングストップ機能で、停車が長いと 2 小説 1 雨漏りの音 37 ゆう 「そっち」とは、どう いう反応を指すか。 「これ」とは、何を指 すか。 n 1 アイドリングストップ 機能 自動車の停止時 にエンジンを自動的に 切り、発進時にエンジ ンを再始動させる機能。 + 費用がかさむ 好悪闘善悪・悪い 感心 関心・歓心 5

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