現代文
高校生

少女たちの「ひろしま」
教えてください🙇‍♀️

〔4〕 P31、2行目 「美しく撮るという明確な意 志があったように思われてならなかった。」と あるが、筆者がそう感じた理由となる一文を、 40~45字で探し、 はじめの5字を抜き出して記 せ。 ★解説を見る★ 解答:
2ページ している。 「被爆死した人の遺品を、こんなに美しく撮ってしまっていいの?」 それが、私の正直な感想だった。 戦死あるいは戦災死した人の遺品は、戦争の悲惨さを現在に伝えるものでなく てはならない。悲しみと怒りを呼び起こし、反省を促し、追悼の思いをかき立て るものでなくてはならない。 -戦争の取材に携わってきた私には、どこかにそ んな思い込みがあったのだろう。この写真の美しさは、ほとんどタブー破りであ ると感じた。 この写真集を撮った写真家・石内都は、一九四七 (昭和二十二)年生まれの女 あくたがわ 性である。二十代後半で写真を撮り始め、三十二歳で写真界の芥川賞といわれる へい 木村伊兵衛賞を受賞。以後、さまざまな賞を受賞し、国内外の多くの美術館に作 品が収蔵されている。現代の日本を代表する写真家の一人だ。 二〇〇九年の春、都内で石内氏のトークライブが行われることを知り、出かけ てみた。彼女は、美大で学んだのは写真ではなく染織だったという話をしていた。 幼い頃から布が好きで、その美しさにひかれていたのだという。 ? 「そんな思い込 は、何を指すか。 9木村伊兵衛賞 の木村伊兵衛 一一九七 を記念して 新人写真家 た賞。
二〇〇九年の春、都内で石 てみた。彼女は、美大で学んだのは写真ではなく染織だったという話をしていた。 幼い頃から布が好きで、その美しさにひかれていたのだという。 あのように繊細に布を撮影することができたのはそのためだったのかと納得し たが、一方で、あの写真の美しさは技術だけの問題ではなく、美しく撮るという 明確な意志があったように思われてならなかった。 トークライブの後、参加者たちと流れたイタリアンレストランで、石内氏と隣 の席になった。私は『ひろしま』の感想を話し、あんなふうに美しく遺品の写真 を撮るのは勇気のいることだったのではないか、ときいた。すると彼女は言った。 「そんなことないわよ。だって、あの洋服たち、もともとは、もっともっとき れいだったんだもの。 私ははっとした。 そうなのだ。あの服たちは、資料館の収蔵庫の暗がりに最初からあったわけで はない。明かりを絞った展示室の分厚いガラスケースの中で、修学旅行生たちに こわごわとのぞき込まれるために仕立てられたのではない。少女たち・女たちの 身体を包み、皮膚に触れていたのだ。そのときは、もっとずっと美しかったはずだ。 彼女たちは、初めから犠牲者だったのではなかった。陽の光の下で生きていた 15 た賞。 反省を促す 追悼闘悼む 意志 意思

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