しる
馬に,決まった6条を記して確認のために送った。
ると坂本龍馬はその書状の裏に朱色の文字で資料
o
のような内容を書きこんで返送した。つまりこの資料
は、近代の同盟条約とは異なり,その場にいた桂と坂
しょかん
本との間を往復した書簡にすぎない。こうした資料
こうりょ
の形式やその内容を考慮して, 歴史学者のなかには
さちょう
「薩長同盟」という言葉を使うことをためらい, 「薩長
めかく
盟約」という語を用いる者もいる。このような資料の
残され方が、歴史用語にも影響している。
おんしる
そうろう
およ
ろうけい
表に御記し成され候六条は,小·西両氏及び老兄,龍等
も御同席にて談論せし所にて,毛も相違これなく候。後来と
言えども決して変り候事これなきは神明の知る所に御座候。
だんろん
もう
そう い
ござ
へいいん
内寅*?二月五日 坂本龍
こまつたてわき
*1小西:薩摩藩の小松帯刀,西郷隆盛のこと。老兄は長州藩
さつ ま
さいごうたかもり
の桂小五郎のこと。
けいおう
*2丙寅:慶鷹二年。
1坂本龍馬の書簡(1866年)