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ざっくりと説明します。薩摩藩は薩英戦争を経験して攘夷は不可とわかっていました。しかし、長州藩は未だに攘夷派が多くいました。天皇も攘夷は不可能だと分かっていましたが、尊王攘夷派(主に長州藩)が御所を押さえていたので、それを追放するために八月十八日の政変が起こりました。そこから長州藩vs幕府•薩摩藩•会津藩による争い(長州征討など)が起きました。それと同時に長州藩は四国艦隊下関砲撃事件に巻き込まれます。そこで、長州藩もようやく攘夷は不可能だと悟りました。一旦は長州藩は幕府に恭順する形を取りましたが、それに不満を持ったのが倒幕派藩士でした。そこで、高杉晋作らは下関で挙兵し藩政の実権を握ることになります。(長州藩の藩論は恭順→倒幕へ)
その一方で、幕府•薩摩藩は長州征討を未だに行っていました。その長州征討に反対をしたのが西郷隆盛らでした。徳川家は衰弱している上に、国内で争っていては列強に潰されてしまうと考え、長州を温存すべきと考えました。そこで秘密に薩長同盟を結び倒幕派を形成したのです。
もう一つの倒幕の理由としては、当時、朝廷は幕府に掌握されている状態でした。薩摩は朝廷の元で雄藩連合政権の形成するために幕府は邪魔な存在だったわけです。

ゆしろ

なるほど。ありがとうございます!

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回答

大きいポイントとしては鎖国を辞めたいということでしょうかね

ゆしろ

そうなんですか!この時はもうとっくに開国してるので…💦

oηioη

バ カみたいな回答ですいません笑明日出来たら答えます

oηioη

天皇中心とした政治に戻そうと思ったからですかね。

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