英語 高校生 1日前 質問です。 この答え2なんですけど、whatの後ろは不完全な文になるから使えないんじゃないでしょうか?🙇♀️ 168 I owe ( ) I am today to my high school teacher, Ms. Takemoto. 000 超定番 1 that 3 when 2 what 4 whom 未解決 回答数: 2
現代文 高校生 2ヶ月前 問2が答えと解説を読んでも なんでそうなるのかも解説が言ってる意味も よく分かりません 問2の答えは「中央の出先機関の立場」だそうです 3 基礎編 1 →解答解説は本冊ムページ 評論①『まちづくりの実践』田村明 課題対比の箇所に注目し、その箇所に傍線を引いて読んでみよう。 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 にぎ 戦国時代の権力者は、軍事要塞として城を築き、その近くに商人や職人たちを集めて町をつ くった。織田信長の楽市楽座はその典型で、都市を充実した賑わいの場にすることに成功した。 権力者が町をつくり住民を住まわせる城下町が日本の都市の主流になる。明治になってからも、 都市は「お上」がつくり、また「企業」がその城下町をつくってきた。 2 西欧では中世から、商工業者を中心にした市民が、権力者である領主から自立して、自治都 市あるいは自由都市という立場を勝ち取って町をつくることが多かったが、日本にはその例は ほとんどない。だから受動的な「住民」はいても、主体的に都市をつくろうという「市民」は 不在である。つい最近まで、都市や町をつくるのは行政権力や企業権力であり、住民はそこで 暮らすだけで、 自ら「まち」をつくるという意識は希薄なままであった。 一九一九年に制定された都市計画法では、計画は「内閣に諮って主務大臣が決定する」と規 定され、都市は国家という「お上」がつくることになっている。自治体は国家の決めたこと を実施する代官にすぎない。この状態が、戦前ばかりか戦後のごく最近まで続く。自治体は住 民代表の立場ではないから、住民から要望や提案が出ても取り上げられない。だから、できる だけ住民の意見を聞かないで、せいぜい説明だけですませたいという気持ちが強かった。 4 これではおかしい。日本は第二次大戦の敗戦によって民主主義国家に生まれ変わったはずだ。55 「地方分権」を言うまでもなく、自治体の自立性は現行憲法でうたわれている。それなのに固有 の風土と歴史のある地域が、全国画一的に各省庁バラバラな施策で振り回されていては、「よ 「い」「まち」はできない。住民から直接公選された首長たちには、法令はなくても自らの判断で 地域と市民のための施策を行う動きが出てきた。 ⑤ 一九六〇年代初頭から、先進自治体では、独自の方法で乱開発による崖崩れの防止、学校用 20 地の確保、排水の整備、あるいは工場の公害にたいする予防措置などを行い始める。また、民 主主義の実践の場としての市民参加のさまざまな試みを始めた。地域の個性や文化を求める地 域ごとの工夫も始まる。都市という複雑で総合的で個性的な計画をするには、国家という画一 的な「お上」では無理である。ようやく、自治体は国の出先機関ではなく、市民の側に立っ て、独自の立場で個性的な地域づくりを自覚するようになった。 9 一般的な自治体は、事態の変動に鈍感で、相変わらず中央の出先機関の立場に甘んじている ものが多かった。直接に生活を脅かされる住民の方が敏感に反応し、さまざまな反対運動がお きる。そのうちいくつかは、自発的な「まちづくり」運動へと発展していった。 7 一九六〇年代になると市民参加をはっきり打ち出す自治体も現れた。 議会や中央官庁から . 25 5 「企業」がその城下町を くって大企業とその 請けの中小企業が、 自 の主要な産業の中心と てかたまって存在する 比喩的に表現した 画一的個性や特徴 ないこと。 類語に「一様 「均一」がある。 一九六〇年代―一九五 年から一九七三年にかけて 「高度経済成長期」に会 まれる。 回答募集中 回答数: 0
英語 高校生 10ヶ月前 2行目のthat節以降の文構造がいまいちわからないのですが、the same 名詞as 名詞だと思っていたのですがAの部分に前置詞がついた形は置けるのでしょうか? 後ろも名刺ではなく文になっているのでわからなくなってしまいました。教えていただきたいです🙏🏻 We are inclined to look upon ourselves as the products of a growth 私たちは自らを 個性の開花を特定の社会環境で生じた場合でも from within, upon the unfolding of our personality as something that クルーソーのような無人島で生じた場合でも同じものとみなす けいこうかある I would have been the same upon Crusoe's* manless island as it has been (in the particular social environment of which we are a part. No belief 仲良し 5 could be more erroneous. 未解決 回答数: 1
地学 高校生 12ヶ月前 「き」にはなにがはいりますか? 教えてください🙏お願いします!! に小さ のは、 者の 土星の衛星の中で特に個性が強くて興味深いのは、第2衛星と第6衛星である。 第2衛星は、 ハーシェルによって1789年に発見され(あ)と名付けられた。 表面は氷で覆われており初めはあ まり注目されなかった。 ところが、 2000年代に入っていから探査機カッシーニが氷の割れ目から定期的に水蒸気が 噴き出す(い)を発見した。 この現象は木星の第2衛星である(う)と同様に土星の重力によって星全体が変形 させられ、内部が温められて氷が融けているからである。 第6衛星は土星最大の衛星である。 この衛星の名前は(え)は太陽系の衛星の中で唯一、分厚い (お)を持 つことが特徴である。 (お)の主成分は(か)であり、大気の97%を占める。 太陽系で(か) を主成分とする大気を 持つ星は他にもう1つだけある。 それは(き)である。 (え)には探査機ホイヘンスが着陸している。厚い雲の下では (く)の雨が降り、 (く)やエタンが液体の状態で存在し、湖をつくっていると推測されている。 平均気温はマイナス| 80℃ととても低温で水は凍っているが、液体の(く) などが存在するため、水ではなく(く) を利用した生命がいるの ではないかと考えられている。 あ お エンケラドス 大気 間欠泉 地球と同じ窒素 か う rift 裏に続く え < タイタン 回答募集中 回答数: 0
地学 高校生 12ヶ月前 教えてください! 問5 土星の衛星に関する以 ·0) X 土星の衛星の中で特に個性が強くて興味深いのは、第2衛星と第6衛星である。 第2衛星は、 ハーシェルによって1789年に発見され(あ)と名付けられた。 表面は氷で覆われており初めはあ まり注目されなかった。 ところが、2000年代に入っていから探査機カッシーニが氷の割れ目から定期的に水蒸気が 噴き出す(い)を発見した。この現象は木星の第2衛星である(う)と同様に土星の重力によって星全体が変形 させられ、内部が温められて氷が融けているからである。 第6衛星は土星最大の衛星である。 この衛星の名前は(え)は太陽系の衛星の中で唯一、分厚い(お)を持 つことが特徴である。 (お)の主成分は(か)であり、大気の97%を占める。 太陽系で(か) を主成分とする大気を 持つ星は他にもう1つだけある。 それは(き)である。 (え)には探査機ホイヘンスが着陸している。 厚い雲の下では (く)の雨が降り、 (く)やエタンが液体の状態で存在し、湖をつくっていると推測されている。 平均気温はマイナス| 80℃ととても低温で水は凍っているが、液体の(く) などが存在するため、水ではなく (く)を利用した生命がいるの ではないかと考えられている。 あ い お エンケラドス XI" か 地球と同じ窒素 う rift lite/ え < タイタン 回答募集中 回答数: 0
倫理 高校生 約1年前 3)のAで間違えている部分を教えて欲しいです。 3) 【A】 人間は孤立した個性の発揮と, 社会への協調のバランスの中に生きる, 類的存在である と, マルクスは考えた。 【B】 人間は共同体を形成し, 分業して生きる, ポリス的動物であると×サルトルは考えた。 アリスト・テレス 自己の本質を見出す間柄的存在であると、和辻哲 AY PAY / 明け白己の生7出した生産物に 回答募集中 回答数: 0
英語 高校生 1年以上前 英語 文法です 4、6行目のthatの用法を教えて欲しいですm(*_ _)m 新しい 9 The new focus on grit) is part of a larger scientific effort to study the personality traits 現実世界におけ達成度を最も正確によそうする個性を研究しようという。 OVER CE 長い間 / that best predict achievement in the real world.// While researchers have long focused / on 知能測定 measurements of intelligence / such as the IQ test / as deciding markers of future success, / ~ECT. these scientists point out / that most of the variation in individual achievement / has nothing to do with being smart. // Instead, /it largely depends on 2 personality traits / such as grit and honesty. It's not that intelligence isn't really important / Newton was clearly a genius / 決して十分ではない but that having a high IQ/is 3 not nearly enough. // 回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生 1年以上前 サイボーグとクローン人間という作品の意味段落分けの仕方が分からないです。本文全てを載せてあります。解説お願いします! サイボーグとクローン人間 山崎 正和 テレビの教養番組で、アメリカのロボット研究の現状を見た。映像による報告はさすがに生々しく、 改めて文 明の行方について考えさせられた。 研究の一つの方向は、ロボットの精神的な能力を拡張し、判断力や感情さえ持った機械を造ろうという試みで ある。 外形も二足歩行の人体に似せ、顔の表情まで再現する技術が磨かれている。 脳の働きをするコンピュータ がさらに発達すれば、ロボットが人間と手をとって街を歩く日も遠くないという。 もう一つの方向は、人間の身体の一部を機械で置き換え、脳と機械を直結するサイボーグを造ろうという動き である。 これはすでに身体障害者の補助器具として実現していて、 肩の筋肉の指令を受けて動く精妙な義手が発 明されている。 光を感受するチップで失われた視力を回復させたり、衰えた脳の中に記憶装置を埋め込む研究も 行われている。 この努力の究極の姿は、やがて人体から脳だけをそのままに残し、四肢や内臓のすべてを機械で 補強する、人間改造計画に行き着くことになるらしい。 見ていて不思議だったのは、現場の研究者も評論家もこうした研究にきわめて楽天的だということである。 ク ローン人間の研究にはあれほどの嫌悪を示し、 大統領の禁止勧告まで生んだこの国の反応とは対照的だというほ かはない。 クローン人間を忌避させているのは、人間を神の被造物と見るキリスト教の思想だろうが、 その禁忌 が機械的な人間の製造、あるいは改造には及ばないことが、印象深いのである。 合理的に考えれば、 クローン人間の誕生はおよそ非人間的な事件ではない。 それは子が親と同一の遺伝子を持 って生まれることであるが、同一の遺伝子の共有は必ずしも個性の否定にはつながらない。人間の個性は環境や 教育に左右されるところが多く、遺伝子だけで決定されないことは、自然の一卵性双生児を見れば明らかだろう。 さらにクローン人間は人造人間ではなく、卵細胞と体細胞、それに子宮を提供する人間の親がいることを忘れて はなるまい。 そこには当然、家庭が生まれ、親子の愛や葛藤も芽生えるはずであって、子どもが感情の砂漠の中 で育つ心配は少ないのである。 しかもクローン技術が人間に適用される場合、 それが優生学的改良に直結する懸念もかなり薄い。 ある能力を 持った遺伝子が複製されても、能力が強化される理由はなく、それがそのまま子どもに現れるという保証もない。 そこには再び教育の手が加わる必要があるはずだが、その過程で子どもが自我に目覚め、先天的な素質を裏切る 可能性もあるからである。 これに比べると、ロボットやサイボーグははるかに人間の恣意に従いやすく、特定の価値観や世界観の奴隷に なる危険が高い。 肉体の腕よりも強い義手は、 強いことはよいことだという思想の実現であり、より多く環境を 支配したいという無意識の願望の反映だといえる。 脳内に記憶装置を埋め込めば、思い出も忘却も意志の力で操 作することになり、人間は自分の過去すら自分で構築することになる。 クローン技術は生命の法則に対しては受動的であって、細胞核を入れ替えた後の過程に手を出すことはできな い。だが、身体を機械で置き換える技術はどこまでも能動的であり、細部まで人間の思うとおりに造り上げてし まう。しかも注意すべきことは、そうして造り上げた身体はやがて逆転して心に影響を及ぼし、人間の考え方、 生き方を思いがけぬものに変化させるということである。 人間の心がいかに身体の影響を受け、 身体と一体になって生きているかは、毎日の生活の中で実感することが できる。 病気になれば悲観的になり、運動能力が高まれば世界を見下すような気分になる。 これまでも身体の延 長として道具を使いこなし、 機械を発達させたことで人類はどれだけ傲慢になったことだろうか。 もし将来、自 分の身体そのものを機械化して数倍の力を持ち、あるいは人体に似た機械を召し使いにできたら、 人間は自分を 神か超人のように思いなすのではないだろうか。 それが倫理的によいとか悪いとか、今日の文明の中で即断することはできない。 身体が機械になり心が神にな れば、そのときは文明の全体が変わっていて、倫理のものさしも変わっているかもしれない。 しかし確かなこと はこの変化は深刻であり、 二十世紀までの文明を終わらせるおそれさえあるということである。 興味深いという より恐ろしいのは、 現代人がその可能性を十分に自覚しておらず、その無自覚がクローン人間には厳しく、サイ ボーグには甘い価値観のよじれに現れていることなのである。 紛れもなく、サイボーグ肯定の思想の背後にあるのは、近代の脳中心の人間観である。 もっといえば、心と身 体を二つに分け、心は脳に宿っていると考える先入観である。 実は二十世紀後半の哲学はこれに疑問を投げかけ、 心と身体の一体性、相互作用を重視するようになった。 しかし、科学者を含めて大多数の現代人はまだこの二元 論を信じていて、身体を取り替えても心の同一性は守れると感じている。加えて心は脳の専有物だという、 古い 常識から逃れられないでいるのである。 その上に大きいのは、現代人が個人の福祉を絶対視し、現に生きている人の幸福を至上命令と考えていること である。 障害者や高齢者に補助器具を提供し、 身体能力を回復することは正義だという世論を、現代人は疑うこ とはできない。現にサイボーグはそういう善意から研究され始めているのであって、 そうである限りこの研究を 現代文明は非難することができない。 一方、 まだ生まれていない生命、現に生きていない個人を生もうというク ローン技術には、当然この世論の追い風がないのである。 だが困ったことに、身体能力の回復から改善までの道はほんの一歩しかない。 誰しも自分の身体を十分だとは 思っておらず、 十分にしたいと願っているものの、何が十分であるかは誰も知らない。ただ人並みに生きたいと いうつつましい願いが、とかく人並みを超える競争を招くのであって、そのことは今日の消費生活を見れば明ら かだろう。たぶんサイボーグは二十一世紀の「超人」を生むのだろうが、それはニーチェの反俗思想ではなく、 平 的生活を求める庶民のいじらしい願望がもたらすことになりそうなのである。 こんなことを考えながら、私はべつに警世論を張っているつもりはない。 いつの時代にも文明は変わるもの であるし、それも合理的な「進歩」とは無関係に変化するものだろう。 ただおもしろいと思うのは、文明を変える ものが必ずしも冒険的な好奇心ではなく、ある時代に最も常識的な、社会の通念でありうるという逆説である。 人々が「危険」な好奇心を警戒しているうちに、ひそかに安全な良識がそれ自体の足もとを隠してしまう。それが 人間の悲しさというべきか、それこそが尽きない魅力の源泉だというべきだろうか。 回答募集中 回答数: 0