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文献 皇帝号の採用(『史記』 秦始皇本紀)
射(李斯)らはみな、 「...... 今、陛下は義兵を興して残賊を誅し、天下
かいだい
を平定して海内 [国内] を郡県とし、 法令を一途に出るようにされました。
上古より以来、このようなことはいまだかつてないことで、 五帝も及ば
てんこう
ないところです。 わたくしらは謹んで博士と相談し、「いにしえ、天皇が
「天子の自称を咲としたい」と申し合わせた次第です」と言った。 王が言う
あり地皇があり、 泰皇があって、 泰皇がもっともたっとかった。 それで、
わたくしらはあえて尊号をたてまつり、王を泰皇とし、命を制、令を詔、
議のとおりにしよう」と。 (司馬遷著、 小竹文夫他訳『史記1 本紀』筑摩書房 )
よう、 「泰皇の泰を去り、 上舌の帝位の号を採って皇帝と号し、 その他は
読み解き 秦王政は、 なぜ従来の 「王」
の称号を使わず、 「皇帝」 という称号を新た
につくったのだろう。
←始皇帝即位から26年で天下を統一し
た。 『史記』 は 「虎狼のような残忍な心の持ち
主」と記している。
歴史のスパイス 「皇帝」とは、「煌々たる上