C 次の史料は、関東の農村の名主の日記の一部で、取引相手の浦賀の商人からの手紙を番き写した部分である。
1846 年 (化3年) 関5月
日肥の刻 きり また異国船博小来、右に付き当補 2) ・房総・相模辺 大騒動、ことにこの度は軍
般に紛れこれ無く、 すなわち間庶名処一般、 長さ四二七間、人数七百九十四人乗り、(中路) 大箇・石炎矢・
小筒、そのほか臣具数知れず、およそ二万石積同じく小燈一般。 (鈴木平郎『公私日記
(往1) 巳の刻 : 午前 10 時前後のこと (往2) 当湊 : ここでは浦賀のこと
問7 上記の史料に記された事件の説明として正しいものを、選択肢①ー④から 1 つ選びなさい。
①オランダ船のだ捕をねらって軍艦が湾内に侵入した事件で、その後責任を取って担当の奉行が自殺した。
@東インド経隊司令長官のビッドルが来航した事件で、幕府はその通商要求を拒絶した。
⑧日本漂流民をともなった商戦が日本側に砲撃された事件で、その後、幕政を批判した蘭学者が処太された。
@⑥大統領の命によりペリーが開国を求めて来航した事件で、 幕府はペリーが持参した国書を正式に受理した。