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世界史 高校生

3、、5 、10になにが入るかわかりません! また冊封体制と朝貢体制はおなじですか?

第1章 近代化への動 買と冊封による東アジアの国際秩序 東アジアの貿易 p.30~31 Check の 116 (4 朝」と封=①体制の成立(東アジアの国際秩序) 中国王朝 封首を王に任命する (宗主国) 周辺諸国 朝貢物を献上する 中国文化の伝播 [2冊封】 〕貿易へと発展 . (③ ・中国暦法の使用 教 <文明レベルの高さ≫ 高い 「低い」 は, マレー半 に成立した 。 東西交易 するこの 栄期をむ ラッカは, 明・琉球 ぎわった。 ガルに滅 (インド洋貿易] 貿易 ⑤ (夷 思想(中華思想) 政策緩和 中国 朝鮮 ●(対馬) 琉球 長崎 日本 マラッカ王国 〔 〕体制 支配 江戸幕 (10 に帰依 にあって かえる 仲介者 果たし ヨーロッパとの貿易 ポルトガル スペイン・オランダなどが, マカオ・マニラ・ ヨーロッパの (バタヴィア 現在のジャカルタ)を拠点に, アジア () 進出 貿易に参入 マラツや国の首都 世界最 われ 貿易港 広州】1港に集中 で買 なか 清 * [行〕(特許商人組合) を介して貿易 アジア側の ・辺境には〔1 〕をおき、民間貿易認める 本の パの 主と 対応 日本 ・【個長崎〕で、(⑩オランダ 社と交易 東インド会 ごい 長 アジア (中国など) ヨーロッパ 陶 香辛料 香料・陶磁器・茶 木綿

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世界史 高校生

歴史総合の教科書の問いがわからないんですけど 答えはどうなりますか?

アジア商品 REL ヨーロッパ製銀貨 「組織物 19125 日本 アジア製銀貨 胡椒 クローヴ(十字) メースおよびナツメグ (再) シナモン その他 (%) 21.3 35.9 27 8.0 1.2 0.7 0.2 0.1 0.5 19.2 0.6 4.5 0.5 4.6 (Eis M. Jacobs, Merchant in Asiaより作成) 44 オランダ東インド会社のおもな商品構成 (輸出額) 1730年9月から32年8月にかけて、 バタヴィア からアジア各地の商館に送ったおもな商品の構 成を示したものである。 なお、 錫はバンカ島、砂 糖はジャワ島、 硝石はインドなどで生産された。 しょうせき スペイン ケープタウシオ] 流れ 1757 ヨーロッパ合 インド マカオ(シ コロンボ 【ボリ】 (1517-1666) (+1(1656) 5 16~18世紀の銀の流れ インド洋 STRONY WAY マラッカ - [#1(1641-) (1511-1641) マニラ(ス] アジア域内貿易とヨーロッパ A こうしんりょう アジア域内貿易は、古くから中国 人商人やムスリム商人などがおこ なってきた。 さらに15世紀末以降、胡椒・クローヴ・シナモンなど香辛料 の直接取引を求めてアジアに到来したヨーロッパ人も参入した。 このアジ いと めんおりもの そほくせんりょう ア域内貿易では、生糸・綿織物・香辛料・砂糖・米・蘇木 (染料)・銀・銅 ーパン ノワゼルッカ Kaby- 229 しゃし にちようひん など、奢侈品から庶民の日用品に至るまで様々な商品が取引された。 17世紀には、イギリスやオランダ、フランスの各国が東インド会社を設 立して、 アジアとの貿易を独占的におこなった。 アメリカ大陸から西ヨー けいゆ ロッパ地域に流入した銀の一部は、 彼らによってアジアに再輸出された。 た、 スペインのガレオン船で、 アカプルコからマニラ経由でアジアに流 した銀もあった。 とくにオランダ東インド会社はアジア各地の港に商館 け、それらを結ぶアジア域内貿易に積極的に乗り出した。 また、ポル 人や東インド会社に所属しないイギリス人などもアジア域内貿易を 18世紀後半にはイギリスから独立したアメリカ合衆国の商人も参入 (→p.41) 1624-61 オランダ 【ス】スペインの植民地 [ボ ポルトガルの植民地 【オ】オランダの植民地 1619 オランダ建設 アカプルコスト ポトシ銀山 1 オランダ東インド会社が扱う商品の特徴は何だろうか。 ② オランダ東インド会社は、アジア域内貿易でどのような役割を果たしていたのだろう か。 マゼラン ムスリム商人 イスラーム教徒の商人のことで、 アラブ人やペル シア人がいた。 香辛料 香辛料は、 モルッカ諸島をはじめ、 東南アジアや インドの一部でも産出した。 保存用食肉の味付け や、 医薬品として利用された。 東インド会社 ほうほう かいきょう イギリス東インド会社は1600年に設立され、 望峰からマゼラン海峡に至るおもにアジア地域の 貿易独占権を、19世紀前半までイギリス政府に より付与されていた会社 (1858年に解散)。 オラ ンダ東インド会社(連合東インド会社 / VOC) は 1602年に設立され、 喜望峰以東の貿易独占権を オランダ政府により付与された会社 (1799年に 解散 ) 。

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世界史 高校生

急ぎです💦 図の問題の2が分かりません💦 調べてみたのですが、なかなか出てこず… なんとなくでも構いませんので教えてください🙇

1 次の資料1は, 17世紀後半以降のイギリス東インド会社の主要輸入品 (全輸入品中の割合) の推移 を示したもので、資料2はイギリスの対アジア貿易の輸出入における金・銀の割合を示したものである。 【資料1】 中国 陶磁器 0 コーヒー インディゴ 黒胡椒 1670 0 3.9 23.2 1680 0.5(85) 1.3 0.8 9.7 1690 5.6(91) 8.1 0.3 29.9 1700 2.1(01) 2.4 3.9 5.4 1710 0.3(12) 3.8 7.2 4.1 1720 20.5 8.1 0.3(23) 8.2 1730 1.9 9.0(29) 1.7(29) 1.6 1740 1.2 3.7 1.3 1750 0.9 3.8 3.6 1760 1.0 5.7(57) 0.3(58) 2.0 硝石 5.1 1.0 2.2 0.7 4.3 2.5 1.6 1.7 0.5 2.2 (数字)は年代 【資料2】 綿・ 茶 絹織物 60.960 絹 1.0 0 5.3 0 78.2 9.9 1.4 39.5 9.3 3.0(01) 74.7 7.8 1.8(13) 70.1 2.8 4.5 72.0 9.0 18.5 66.4 10.2 13.0 68.3 2.2 22.6 66.3 12.0 39.5 42.9 70 (万ポンド) 50 40 30 20 10 10 0 2.67 15.88 12.86 |5.53 50.86 うち金・銀 59.7158.40 18.85 輸出 輸入 50.89 13.55 37.34 37.05 1665 1685 1710 (年) STEP ] イギリスの輸入品のうち, 18世紀に大きく伸びたものは何だろうか。また,その理由を考え てみよう。 STEP 2 資料2からイギリスの輸出は金銀が中心だったことが分かる。 イギリスはどこから銀を入手 していたのだろうか。 また, 毛織物などヨーロッパの輸出品は, なぜアジアで売れなかったの だろうか。

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