占領政策の転換
げんすい
マッカーサー元帥 「この提案はまだ時間が早すぎる。 この問題は対日講和条約が
プライス氏 「日本に対して国防軍の建設を許すべきだとの意見があるがどうか」
こうわ
起草される時はじめて決定されるものであって、それまでは占領軍が日本にと
きそう
よくあつ
国間におこった不幸な分裂の結果にほかならない。 ② 日本は米英両国の権益維
持の前線基地となった。 万一日本が攻撃されるようなことがあっても、日本で
どまるであろう。 しかしこれは日本を抑圧するためではなく、①戦時中の同盟
けんえきい
軍隊を建設してわれわれに協力してもらうことは容易にできよう」
( 『朝日新聞』 1949年3月3日)
イギリス人ジャーナリストのプライスが、 連合国軍総司令部のマッカーサーを訪問してお
4 日本の再軍備に関するマッカーサーの発言 (1949年)
こなったインタビュー。
5 アメ
14 の下線 ① はどのようなことを指すのだろうか。
② マッカーサーが下線 ② のように述べた背景には、 当時の東アジア情勢のどのような
変化があったのだろうか。
初の政策と比較してみよう。
3 日本の再軍備について、 マッカーサーはどのように考えていたのだろうか。占領当