せんレT7
2【院政期の社会】次のA~Cの下線部には一つずつ誤りがある。その番号を答え, 正しい語句を
書け。
A. 院政期は院,有力貴族大寺院への荘園寄進が増加した。皇族の荘園では。白河上皇が皇女八条院に
伝えた八条院領や,後白河上皇が持仏堂に寄進した。長講堂領などがある。
B. 上級貴族や有力寺社を一国平均役に任命し、一国の行政·支配の実権を委ね, その国からの収益を
取得させる。知行国の制度が広まり,院みずからも。院分国を所有し収益を得るようになった。
C. 院政期の有力な寺院は下級僧侶を僧兵として組織し,その要求を朝廷に認めさせるために。強訴を行
った。東大寺の僧兵は奈良法師とよばれ春日神社の神木を, 延暦寺の僧兵は山法師とよばれ日吉神
社の神輿を担いで強訴した。
ごしらかわ
じぶつどう
ちょうこうどう
ちぎょうこく
いんぶんこく
そうへい
ごう そ
かすが
えんりゃくし
やまほう し
の
島羽上皇
A
B
C
の
3(平氏政権)次の文章を読み, 下の問いに答えよ。
平 正盛は( O )の反乱を鎮圧し名をあげた。子の忠盛は瀬戸内海の海賊平定で鳥羽上皇の信任を得て,
日栄貿易に力を入れた。平清盛は忠盛の子で, 保元·平治の乱以降勢力を拡大し, 1167年,武士としては
初めて(2 )となった。
清盛は摂津の(③ )を修復するなどして瀬戸内海航路の安全確保に努め,日宋貿易を推進した。 日宋
貿易の利潤と,多数の知行国や500余りもの荘園からの収入は、平氏政権の重要な経済基盤となった。
しかし,平氏の専横は反発をよび, 1177年にはe平氏打倒の計画が進められた。 これに対して清盛は
1179年,(O )を鳥羽殿に幽閉して院政を停止し, 反清盛派の貴族から官職を奪い, さらには1180年,
(6自分の孫にあたる安徳天皇を即位させた。
問1 空欄( O )~( ④ )に適する語句を答えよ。
問2 下線部(a)について, この計画を何というか。
問3 下線部(b)について, 安徳天皇は平清盛の娘徳子と誰との子か。
たいらのまさもり
ただもり
とば
にっそう
きよもり
ほうげん
へい じ
せっつ
りじゅん
ちぎょうこく
せんおう
とばどの
ゆうへい
あんとく
だいじょう
問1
② 大政大臣
の
問2 鹿ヶ分の陰謀
問3 高天皇
ししかだと
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