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古文 高校生

五行目のはんぜられけるに のところですが,誰から誰への尊敬なんでしょうか?他のプリントには 編→判定する人 とかいてありましたが編が誰のことかわかりません。

24 ↓ 「then 時代 室町時代」 隠していたが 学習のねらい 著名な和歌にまつわる話を読み、 説話として語り伝えようとした歌人のありようについて考えを深める。 しゃせき しふ 沙石集 無住道暁 1天徳の御歌合 九六〇年(天徳四) に村上天皇(九六九在位一 が開催した「天徳四年内裏歌 合」。 2兼盛 平兼盛(?|九九)。平安時 代中期の歌人。 歌ゆゑに命を失ふ事 みぶの 3忠見 壬生忠見(生没年未詳)。平 安時代中期の歌人。 『古今集』の撰 2かねもり 3 ただ み みずいじん 5さう じゃただみね 天徳の御歌合のとき 兼盛、忠見、 者忠岑の子。 に御随身にて、左右についてけり。 思いった 初恋といふ題を給はりて、忠見、名歌よみ出だしたりと思ひて、兼盛もいか 4随身 勅命により公卿等の警護に 当たった近衛府の役人。 これほどの歌よむべきとぞ思ひける。 に立しま 5左右についてけり 歌合の左方と 右方にそれぞれ加わっていた。 恋すてふわが名はまだき立た の人知れずこそ思ひそ しかず 思い さて、すでに御前にて講 6つつめども 「天徳四年内裏歌合」 や拾遺集』などでは、初めの五 文字を「しのぶれど」とする。 判ぜられけるに、 つつめども色に出で 判者ども、 わが恋はものや思ふと人の問ふまで ば、判じわづらひて、天気を 剣もの→天皇のご 人が向うねび 7判者ども 「判者」は歌合で歌の優 劣を判定する人。 判者が判を決め かねて別の人に譲ったが、それで も判を下せなかったと伝えられる ので、「ども」と複数にしている。 多反 何度も繰り返し。 が歌をば、多反御詠 りけるとき、 思見が歌をぼ 三度御詠ありけり。 天気左にありとて、兼盛勝ちにけり。 口ずさんで考えた ごゆく× 忠心憂くおぼえてい心ふさがりて、不食の病 「頼みなきよし」の意味は何か。 9拾遺 『拾遺集』。一〇〇七年(寛 弘四) ごろに成立した、三番目の勅 撰和歌集。 聞きて、兼盛とぶら ければ、「別の病にあらず。御歌合のとき 醤別な柄× に出し 出だしておぼえ侍」 『ものや思ふと 「人の問ふまで』 に、あはと思ひて、あさましく Zr Th お見舞い なく 74 FAR おめるか、 Cheez ぎ 14/ 愛しによる DR by ちゅうだうげう かんという SJA @LA 62m 回復の見 頼みなきよ = あなたの兼盛さんの 無 このえふ せん

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古文 高校生

どなたか古典の「沙石集 無住 」の勘解由小路の地蔵の品詞分解と現代語訳を教えて頂けませんでしょうか?🙇‍♀️💦

153 沙石集 沙。 石 集と 無し 20 次を現代語訴し一 いとしもなき言葉なり。(1五), おほかた歌のありさま知りたま (1回1-3) 現代語訳 (読解】1 兼久の歌に対する通俊の評価と、それに対する 兼久の反論の要点を、それぞれ整理してみよう。 外 SH引き 【発展】2 通俊が「さりけり、さりけり。ものないひそ。」 (1五一,13)と言ったのはなぜか、話し合ってみよ 子治拾遺物語 10ページ参照。 ヤ で う 勘解由小路の地蔵 勘解由小路 " の一つ。 参考 巻頭1 2利生あらたなる 益が著しい。 なん 近きころ勘解由小路に、利 生あらたなる地蔵おはしましけり。京中の男 女市を成す。そ長に者き女房の、見目かたちなびやかなるが、常にまう 3 なびやかなる 4 通夜 寺社に参 マr を でて通夜しけり。また、若き法師の、常に参篭しけるが、この女房に心を J° 5 参龍 一定の期 かけて、いかにしてか近づかむずると思ひけるあまりに、同じくは本尊の すること。 6本尊の示現の由 が不思議な力を 菩薩のお告げと 7 下向 神仏に徐 R 示現の由にて、近づかむと思ひ巡らすに、この女房、宵のほど勤めし疲れ 7げ かう て、うち休みける耳に、「下向のとき、初めて逢ひたらむ人を頼め。」と言」 u5 ひて、立ち退きて見れば、ほのぼの明くるほどに起き上がり、女の 童 起こ O S わらは ること。 の して、急ぎ下向しけり。僧は、しおほせつと思ひて、出で合ひて行き逢は 「言ひて、」の主 むとするほどに、履物を置き失ひて、尋ぬれども見えず。遅かりぬべけれ 8女の童 女房の 9 しおほせつ 而 9 烏丸を下りにぞ 平安京を南北に 小路。「下る」は 丸小路を南に行 二 暁月夜 明け方 かたかた ば、履物うち片方履きて、さきざき下向する方を見おきて、勘解由小路を 東へ行かむずらむと、走り出でて見るになし。 この女房しかるべきことにや、烏丸を下りにぞ行きける。 暁 月夜に見 れば、入道の、馬に乗りて、供の者四、五人ばかり具して行き逢ひたるに、 立ち止まりてものいはむとする気色を見て、入道馬より降り、「仰せらるべ 12入道仏門に入 きことの候ふにや。」と言へば、左右なくうち出でず。やや久しくありて、 M* 13 左右なくうち出 出さない。 女の童を以て言はせけるは、「申すにつけてはばかりおぼえはベれども、 *勤め 気色 左亡

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古文 高校生

沙石集 兼盛と忠見 忠見が「不食の病」になったのは何故ですか?

大内裏 沙石集 兼盛と忠見 天徳の御歌合のとき、兼盛、忠見、ともに御随身にて左右についてけり 初恋といふ題を給はりて、忠見、名歌詠み出だしたりと思ひて、兼盛もい かでこれほどの歌詠むべきとぞ思ひける 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか らつめども色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の間ふまで 判者ども、名歌なりければ判じ煩ひて、天気を伺ひけるに、帝、忠見が さて、すでに御前にて講じて、判ぜられけるに、兼盛が歌に みかど 歌をば両三度御詠ありけり。兼盛が歌をば多反御詠ありけるとき、天気左 ん 点 りにけり 忠見、心憂くおぼえて心ふさがりて、不食の病つきてけり。頼みなき由 聞きて、兼盛、とぶらひければ、「別の病にあらず。御歌合のとき、名歌 ヘrに 回 詠み出だしておぼえ侍りしに、殿の「ものや思ふと人の間ふまで」に、あ はと思ひて、あさましくおぼえしより、胸ふさがりて、かく重り侍りぬ。」 と、つひにみまかりにけり。執心こそ由なけれども、道を執する習ひ、あ はれにこそ。ともに名歌にて「拾遣」に入りて侍るにや。あん (とコ) 沙石集」の編者は、忠見のあり方をどのように評価して いるか。説明してみよう ことばと表現 -それぞれ現代語訳してみよう。 eいかでこれほどの歌詠むべき(三,2) 2人知れずこそ思ひそめしか (三.4) 沙石集●無住作。仏教揃 年に一度まとまった後- 庶民の生活を語る説話。 古典文学大系」による 無住 三~1三三"

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