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現代文 高校生

2つ目の丸と5つ目の丸の問題合ってるか確認してもらいたいです。 現代文が得意な方お願いします。

自 を 学 ん た 人 を学 ぶ N 自分一 て [読解・解釈〕(思・判・表) ○「この感覚」(p一六8) とは、どのような感覚か。本文中から二十一字で抜き出し 生 1 / て い る い 文で抜き出し、はじめの5字を示しなさい。 ○「その結果としての世界」(p-七・12)とあるが、「その」はどのようなことを指すか。本文中から一 問 は A のべます ○「二重の学び」(p一八・8) とあるが、何と何の「二重」なのか。本文中から七字と二十二字で抜き出 しなさい。 間 ガ り だ し た も の を学ぶ 全 体 9+7 ○「矛盾」(p一九・5)とは、どのようなことについて言ったのか。適当なものを次の中から選びなさい。 イ好き嫌いの感覚は一定のものではなく、対象となるものや状況に応じて変わること ア好き嫌いは個人的な感覚で、同じものをある人は好きでほかの人は嫌いであること CO +44 3 ウ 好き嫌いの感覚を大切にすることによって、好き嫌いの感覚から距離を置くことができるということ 好き嫌いの感覚を大切だとしながら、学ぶためには好き嫌いの感覚を停止して見直そうとしていること ORGELSEA を本文中から三十五字で抜き出し、はじめと終わりの五字を答えなさい。 ○「自分の世界を自分でつくり直していく力」(p二一・5) とあるが、その「力」の内容を説明した部分 の コ ~ リ 218 6 1/ と だ

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論理国語「疑似群衆の時代」に関する質問です。 文中の表現でわからない部分があるので、説明して頂きたいです。 「ひと頃透明性の高い建築」 「建築そのものを消し去り、流動する映像体としての建築物として存在する」 「ピクチャープラネット」 また、学校の授業で「19世紀以降市民社会... 続きを読む

204 ■擬似群衆の時代 ① 街角で見かける大型スクリーン、いわゆる街頭ビジョンが新宿駅東口に現れたのは、 一九八〇年代の初めだった。ビルの壁面に映し出される映像は、当初白熱電球によるもの だったが、それでも東口駅前に群衆が絶えなかったのは、万博などの催し以外で本格的に 設置された最初の例のひとつだったからだろう。巨大白黒テレビという趣のスクリーンを、 すぐにアートとして取り入れたのがビデオアーティストのビル・ヴィオラだったことはよ く知られている。 4 それから三十年近く経過した現在、私たちの都市にはさらに大型のスクリーンが氾濫す ることになった。例えばマンハッタンのタイムズスクエア周辺のビルは、その壁面のほと んどがスクリーンと化している。そこではケーブルテレビ局が建物全体を覆う曲面スク リーンに四六時中ニュースを流しており、広場の反対側では同じように広告が流されてい みなと ちひろ 港千尋 5 10 参照 と。 tan 現代社会を読み解くため に6→400ページ 新宿駅東口 東京都新宿 区のターミナル駅の東側 出口。 2万博 万国博覧会のこ 3 ビル・ヴィオラ Bill Viola 一九五一年~。ニュー ヨークの生まれ。 4マンハッタン Manhat- アメリカ合衆国、 ニューヨーク市の中心を なす区の一つ。 これだけの大きさになると建物に画面が取り付けられているというより、画面の一部 が建物になっていると言ったほうが近いかもしれない。 こんにち 建築物が映像装置と一体化する現状は、おそらく今日の建築の方向性と矛盾するもので はないだろう。設計段階ですでにコンピューター・グラフィックスとして映像化される建 築は、紙に描かれていた時代とは大きく異なる様相をしている。ひと頃透明性の高い建築 が流行したのもつかの間、複雑な構造計算が可能な高速演算装置のおかげで、新しい建築 はますます映像のような自由度をもち、私たちを驚かせる。 そこでは二次元と三次元が相 互に浸透し合い、ある場合には建物そのものを消し去り、流動する映像体としての構築物 擬似群衆の時代 20 タイムズスクエアの夜景 5 5高速演算装置 コンピューターのこと。 問① ここでいう「二次元」 「三次元」とはそれぞれ 何か。

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102- 覚や感情をそのまま言葉にして話していても、相手は、「へえー、そうですか。 と相づちを打つだけ。今度は相手も自分の思いを語り始め、それぞれに感じてい ることや思っていることを吐き出すと、お互い何だかすっきりして、何となく満 足する。こういうストレス発散の点では、おしゃべりもそれなりの効果を持って いますが、その次の段階にはなかなか進めません。 このように、いわゆるおしゃべりの多くは、かなり自己完結的な世界の話です から、そのままでは、それ以上の発展性がないのです。その意味では、おしゃべ りは、相手に向かって話しているように見えても、実際は、モノローグ(独り言) に近いわけでしょう。表面的には、ある程度、やりとりは進むように見えますが、 それは、対話として成立しません。ここにモノローグであるおしゃべりとダイア ローグとしての対話の大きな違いがあるといえます。 ちょっと余談になりますが、カルチャーセンターの講演会や大学の講義などで も、こうしたモノローグはよく見られます。本来、聴衆や学生に語りかけている はずなのだけれど、実際は、自分の関心事だけを自己満足的にとうとうと話して 世界ですね。 これに対して、ダイアロ 2

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