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現代文 高校生

論と例  空欄補充問題 について。 画像1枚目が問題。2枚目が自分が解いたときの考え。3枚目が解答解説です。 なぜ③になるのか、わかりません。 私の考え方は違ったみたいですが、この解説では➁も正解なのではないでしょうか? (年長世代の話も結構しているから、空欄が、若者論で... 続きを読む

第1章◆「論」と「例」① の 口 目標時間4分 私は、一九九五年に刊行した「宗教クライシス』以来、現代日本人の空しさの核心は、自分がどこまでも交換可能で あるという意識からくる、「かけがえのなさの喪失」だということを訴え続けてきた。「宗教クライシス」では、その前 年に起きた「オウム真理教事件」を受け、一見豊かで何の不足もなく見える若者たちがあのような事件を引き起こして しまう背景にあるのは、若者たちに広がる「空しさ」であり、そうした「かけがえのなさの喪失」は、若者だけに限ら ず日本社会全体に広がっており、右肩上がりの経済成長の利得によってその「空しさ」の構造は覆い隠されてきたが、 いまや日本全体がそこに直面させられていると、問題を提起した。それにもかかわらず、一九九五年の時点ではそういっ た指摘はまだまだ してあんなに元気がないんでしょうねえ」「いまの若者にはどうしてこんなに夢がないのかねえ」と、年長世代は若者 x」として受け取られることが多かった。「こんなに豊かな社会なのに、いまの若者はどう を奇異の目で見ていたのだ しかし、それからの十年は、そうした「交換可能」の空しさ、かけがえのなさの喪失が若者だけに限らず、年長世代 にも広がっていることが実感させられる時代だった。一生勤められると思っていた会社からある日突然リストラされる。 お前のような人間はいくらでもいるから、別にお前でなくてもいいのだ」と言われるのである。そしてそのときに私 たちは、それまで会社にとっても仲間にとっても「かけがえのない存在」であると信じていた自分の存在が、どこまで も交換可能なひとつの部品でしかなかったという事実に直面するのである。 (上田紀行「生きる意味」) 問 空欄Xに入る語句として最適なものを一つ選びなさい 現代世代論 現代経済論 現代社会論 現代青春論 現代若者論 現代批判論

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至急!分かる方いらっしゃいましたら教えてください🙇🏻‍♀️

第11章◆対比 演習% 目標時間8分 四年前の秋米国に留学したとき、私はいったい何をどう勉強したらよいのか、まったく途方に暮れていた。私の身分 は客員研究員というもので、財団から生活費をもらって好きなことをやっていればよいのであったが、米国に来た以上 この国にいなければできないことがしたいと思うと、話が複雑になった。一 私は大学では英語、英文学を学んだ。そのおかげで言葉で不自由することはひとより少なかったかも知れないが、だ」 からといって英米文学の研究に没頭する気にもなれなかった。私の英米文学に対する理解が、微妙なところへ来ると大 学院にはいりたての米国人学生にも及ばないのは、しばらく雑談をしているだけでも明らかであった。さしあたりスコッ ト·フィッツジェラルドの小説を手がかりに、一九二0年代のアメリカ文学を勉強しようとしてみたものの、何の喜び もわいてこない。フィッツジェラルドは日本で読んだときより,さらに遠く見えるのである。 だいたい日常交際している米国人の気心もろくろく知れないのに、どうして小説の作中人物の気心が知れるであろう か。さらにいくら努力してみたところで、いったい英語で書かれた詩の韻律の美しさを、自分の血に響く感覚的な美と」 して味わえるであろうか。英詩がわかったつもりでいても、それは結局返り点と送り仮名つきで漢詩を読むのと同じよ うな知的な理解で、『本当の詩の味わい方とはほど遠いのではないか。 そう思うと私は英米文学の片すみにとりついてうろうろしている自分が妙にこっけいに見えてきた。それは彼らの伝 統に属し、その伝統は私を異質の局外者として冷やかにむかえるにすぎなかったからである。そういう隔靴掻奪の感の うちに日はどんどん過ぎて行く。私の限られた一生のうち、あたえられた限られた留学の期間は日一日と少なくなって 行く。私はいったい何をしているのか。いやなぜこんな幸福な気持になれぬままむなしく時を費やしているのか。 4 Pん そう思い暮しているうちに、私はある晩なに気なく世阿弥の「風姿花伝」を開いた。するとそこには心にしみ透るよ うな言葉があった。私はいつの間にかその一節を音読していたが、そうするうちに私の内部にはある言いあらわしがた い充実した「X がわきあがって来た。つまり私は世阿弥の言葉をよく理解することができたのである。単に字面の 上だけではなく、自分の血肉にひびく切実な言葉として。私は知らぬ間に少し涙を流していた。私は能をめったに見な かったし、世月弥についても通り一運のことを知っているだけであった。しかし私はたしかにわかったという手ごたえ S4ら、深い感動を覚えていたのである。 (日画『文学と私 覧後と私」) 「 遠く見える」とのるが、その説明として最適なものを一つ選びなさい。 日本で翻訳を読んでいたときの理解に比べて、英語で読んでみると理解が不十分でさらに遠いものに思えた 作家の本国へ行ったことで、自分が作家を理解していないことがますます明らかになり遠いものに思えた 英語が堪能であるがゆえに作品が奥深いものであることに気づいて究め難く見え、かえって遠いものに思えた」 O 日本で初めて読んだときの強い印象に比べて、改めて読んでみると暖味な読後感しかなく遠いものに思えた 問2 傍線部B「本当の詩の味わい方とはほど遠いのではないか」とあるが、筆者の考えを表すものとして最適なもの を一つ選びなさい。 O知性を発揮しなければ読み味わうことができない 経験を積まなければ読み味わうことができない 外国人には本質的に読み味わうことができない 生々しく接することはできても理解はできない 問3 空欄Xに入る語句として最適なものを一つ選びなさい。 覚醒 編獣 理解

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出口さん現代文問題で 問2の部分で予想と省略の要求された言葉で部分的を獲得することができるって書いてありますがなぜ部分的が獲得できるんですか??

外山滋比古 『聴覚考 日本語をめぐる0章』 次の文章を読んで後の問題に答えなさい。 日常のことばにおいて漠然と論理と考えられているのは、話の筋道である。この筋道がしっかり はっきりしていないと、話が通じにくく、 誤解を招きやすい。つまり、 「線」的なものである。線一 は、曲がったり、折れたりせず、まっすぐに一直線であるのが、明快でのぞましい、とされる。 ことばの送り手は、線のようなことばを並べ、つなげていく。それを受け手がたどって意味をと ることになる。 その送り手と受け手が、心理的に近接、親密であるとき、形式の整った線的論理が情報過多と感一 じられるようになる。わかり切った、見当のつく部分を切りすてても伝達が可能になるだけではな一 い。線がうるさくなり、部分的に省略、欠落させる。それが表現を引き締め、密度のあるコミュニー ケーションとして歓迎されるようになる。そこで線の部分的風化がおこる。 普通の線的筋道がこうして、だんだん短くなり、さらに、退化すると、点になる。線的論理がい わゆる論理であるが、身近な同士においては、点的論理が通じ合い、おもしろくなってくる。 人と人との心理的距離が大きければ、用いられることばは、つよく線的な性格をおびる必要があ る。典型的なケースは法律や法廷のことばであって、ことばはしっかりした線的筋道であるのが好 ましい。線が切れたり、曲がったりしては、重大な誤解、混乱をおこすおそれがある。水ももらさぬ" 論理が求められる。 欧米語は、送り手と受け手が大きく離れている点で、特異なもので、法律の用語に通じるところ がある。日本人が母国語では意識しなかった論理が気になったのはそのためである。もともと日本 人は、ひどく立場の異なった人間の間での、コミュニケーションを考えることが稀であったから、 固い論理を考える余地がなかった。 #家族の間で交わされることばは、法律用語とは大きく性格を異にする。法律のことばでは一から 8 十をのべるのに、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十とすべての数をおさえなくてはならない。それ に引きかえ、親しいものの間では、すべての点をたしかめるようなことばは、うるさく、わずらわ しく感じられるのである。一、二とくれば、三、四とつづくだろうことを受け手は予想する。それを一 はっきり三、四とおさえると、わかり切ったことを言わないでほしいという気持ちを受け手ももつ だろう。三、四を飛ばして五、六とし、そこでまた飛んで九、十に達する。それが省略と感じられな いようになっているのが普通である。# |外山限比古『聴覚思考 日本語をめぐる 20章」 あり 11 ともある) 与えられ こも証明1 a=bk 学習日 目標タイム 20 解答解説> P.4

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こういうのってどうやって覚えればいいんですか?みなさんの覚え方もしあれば教えていただきたいです🙇‍♀️

16 O 第1章 対義語 芸術·学問 6 5 真実 うそ偽りのないこと。本 三のこと。 うそ偽り。 しんじつ きよぎ 内容が抽象的か具体的かということに無関係に使 *真実でないことを誤って、あるいは意図的に真実 だとすること。 く。 n。 ふいかに多くの虚偽と少しの真実とを語るか… 中その思いこみは間違った虚偽のものであっても 《吉川幸次郎·他山石語〉 一向にかまわないのである。 《田中美知太郎哲学談義とその逸脱) 肯定 その通りであると認める そうではないと打ち消す こうてい ひてい 「」は「うべなう(うなずく)」の意。 「否」は「いなむ,こばむ」の意。 中それをどれか一つに限定することは、ほかの可能 やニ D「肯定的」= 積極的に認めるようす。 中自分の生を最初から肯定できるということこそ が、すべての真の幸福の根拠だからだ 性を殺すことだし、多様な可能性をもつ自分を否 4「オブテイミズム」の周 を ウ背中で受け流すこと H 定まった考え * SNS書がを選べ。 ァ恋観主義 楽観主義 ウ独蔵主義 H 国際主義 ト産なこと。 そ偽り。 ア 世の中や人生に無関心なこと。 米世を願

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この間もさせて頂いた質問なのですが、出来るだけ多くの方の意見が欲しいので再度投稿させていただきます。 現代文単語帳のページの一部分です。 ここにかいてある説明がよく分かりません。 赤丸の部分=アリストテレスの考え という解釈で合っていますでしょうか?

15 第1章 最重要ベアの 現象·本質 本質 本質のとらえ方は 人それぞれ イデアなどと いうものは 存在せぬ。 それぞれの中に 本質があるのだ! イデアとは 本質そのものの美 アリストテレス プラトン D 本質は 決定 見えないもの 変化 C 本質 決定 決定 変化 現象 ツ 変化 本質は現象のうらに かくれて現象を決定しているのでは? 確認間題 解答 1イ 2現象 閉し ーー VIUFU Lマ 哲学の世界では、常に本質と現象とは対の概念としてとらえられ る。ただ、本質のイメージは人によって異なる。プラトンは本質そ のものの美を「イデア」と呼び、アリストテレスは「イデア」は存 在せず、個別のものの中に本質が姿を現していると考えた。本質は 現象の裏にある不可視のものであり、何らかの意味で現象を決定し ていると考えられる。変化する現象の背後に、不変で同一の本質が あると考えたいのが人間の習性といえよう。 次の空欄に入る語を後から選べ。 どうして、このように情報を捨 てるのかというと、そうすること で、何が口かがわかりやすく なり、別の多数のものにも共通す る一般的な概念が構築しやすくな るからだ (森博嗣「人間はいろいろな問題に ついてどう考えていけば良いのか」) ア 中心 イ 本質 ウ 雑事 工 外見 オ 現実 [椙山女学園大] 次の空欄に入る「本質」の対義 語を答えよ。 一定の思想をもって 口に問 いかけ、 えさせることが実験である。そし て与えられる答について論理的に 思考し、これによって一 理的に把握してゆく。 ]をしてこの問に答 リ 一を合 合い、むだのないざま (1三木清「哲学入門」) 第1章 第2章 第3章

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現代文単語帳のページの一部分です。 ここにかいてある説明がよく分かりません。 赤丸の部分=アリストテレスの考え という解釈で合っていますでしょうか?

15 第1章 最重要ペア④ 現象 本質 本質 本質のとらえ方は 人それぞれ イデアなどと いうものは 存在せぬ。 それぞれの中に 本質があるのだ! イデアとは 本質そのものの美 アリストテレス プラトン 本質は 決定 見えないもの 決定 決定 決定 変化 現象 R 「A 変化 本質は現象のうらに かくれて現象を決定しているのでは? 確認間題 解答 1イ 2現象 ー U UPU 哲学の世界では、常に本質と現象とは対の概念としてとらえられ る。ただ、本質のイメージは人によって異なる。プラトンは本質そ のものの美を「イデア」と呼び、アリストテレスは「イデア」は存 在せず、個別のものの中に本質が姿を現していると考えた。本質は 現象の裏にある不可視のものであり、何らかの意味で現象を決定し ていると考えられる。変化する現象の背後に、不変で同一の本質が あると考えたいのが人間の習性といえよう。 次の空欄に入る語を後から選べ。 どうして、このように情報を捨 てるのかというと、そうすること で、何が一 なり、別の多数のものにも共通す る一般的な概念が構築しやすくな るからだ 口かがわかりやすく (森博嗣「人間はいろいろな問題に ついてどう考えていけば良いのか」) ア 中心 イ 本質 ウ 雑事 工外見 オ 現実 本||S回 [山女学園大] 次の空欄に入る「本質」の対義 語を答えよ。 一定の思想をもつって 口に問 いかけ、 えさせることが実験である。そし て与えられる答について論理的に 思考し、これによって口■ 理的に把握してゆく。 N ]をしてこの問に答 リ 一を合 むだのないさま (1三木清「哲学入門」) 第1章一 無2章 第3章 第5章

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問2 で④を選んでしまったのですが、②が答えでした。 ④が×の理由を教えてください🙇‍♀️

し 。 の女 人 演習12 目標時間9分 チェーザレ、パヴェーゼの日記には「何月何日のところに……ということを追加」あるいは「何月何日に書いたこと からは……という結論になる」といった記述がしばしば登場してくる。しかも追加される内容は、当日は記さずにあと になって思い出した出来事ではなく、きわめて抽象的な思念である。ただひたすら自分の日記に読みふけっている作者 の孤独な姿がありありと浮かんでくるようだ。日記(いちいち断るのはわずらわしいので、ただ日記とだけしておくけ れども、journal intime 正しくは個人がその内面を書き記した日記)をつけること自体、あるいはそれを公刊さえする ことを、近代精神の《病》と呼んだポール·ブルジェであれば、病はここで極頂にまで達したと評したかもしれない だが、いかに病気と呼ばれようとも、ある種の人びとにとって、日記はただ毎日つけるだけでは十分ではない。それを 繰り返し読み、かつ意見を追加してゆかなければいけないのだ。再読と記述の追加とは、日記を書くという行為の何か 本質的な部分につながっている。 G G Sというのも、ここでは日記を一つの保存装置、とりわけ《自己》を保存する容器と考えたいのだが、何であれ、また 何のためであれ、保存するということは、その保存したものを将来いつか取り出してくるのを前提としているはずだか らである。今日つくったジャムをいつかは食べるなどとはまったく考えもしないで、瓶に密封するひとがいるだろうか もっとも、時がたつにつれて、保存したことそのものを忘れてしまう場合はあるけれども -われわれの多くの日記の つけ方はこれにあてはまるだろう。しかしパヴェーゼは、けっして忘れることなく、ときどき瓶のふたを開いてはジャ ムを少しずつなめるような具合に、自分の日記を読みかえし、そのうえ新たな味つけまでしているのだ。つまり保 存という作業の基本を忠実に守っているわけである。 だがそれにしても、保存するものがジャムであるのと自己であるのとでは、保存の姿勢がずいぶんと変わってくる。ジャ ムの保存は、密封した瓶をあけて内容物を消費しつくした時点でその目的は達成され完結する。他方で日記の再読にあっ ては、保存の対象はある種のかたちで消費されるとはいえ、しかし減少することはけっしてなく、逆に、記述の追加を 通してたえず自己増殖をつづけてゆくだろう。このちがいは小さくない。保存したものが自己増殖するという点で、日 記を書くということは、むしろ蓄財やあるいは切手、昆虫などの収集に似ているかもしれない。日記に記された内面と 同様に、資本もまた自己増殖をつづけるー 少なくとも最初からそれが消滅することは願われていない||のであり しかもそのことを確認するために、資本家はたえず帳簿に目を通さなくてはならない。切手の収集家もまた、日毎ふえ

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