山月記 第一段
●傍線部の「読み」と「意味」を確認しなさい。
朧西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補
せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとし
なかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、かく略に帰臥し、人と交わりを
絶つて、ひたすら詩作にふけった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈する
よりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易
に揚がらず、生活は日を追うて苦しくなる。 李徴はようやく焦躁に駆られて来た。
この頃からその容貌も哺刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみいたずらに炯々として、
かつて進士に登第した頃の豊頰の美少年のおもかげは、どこにに求めようもない。
数年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のためについに節を屈して、再び東へ赴き、
一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したた
めでもある。かつての同輩は既にはるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にも
かけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の秀才李徴の自尊心を
いかに傷つけたかは、想像に難くない。彼は快々として楽しまず、狂悼の性はいよ
いよ抑へ難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発
狂した。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分からぬこ
とを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駆け出した。 彼は二度と戻って来
なかつた。附近の山野を捜索しても、何の手がかりもない。その後李徴がどうなつ
たかを知る者は、誰もなかつた。