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25 十八史略
本冊~
書き下し文・口語訳
(
魏軍
魏軍
魏軍
ヘテ
か
ら
ルルコト
懿不肯戦。賈詡等日、「畏
蜀
たたか
かくら
こうしよく
懿肯へて 戦はず。賈詡等曰はく、「公蜀を畏るること
司馬懿はすすんで戦おう
としなかった。
賈詡たちは言った、「あなた様は虎を恐れるかのように蜀を
〈疑問>
H
〈使役〉
セント 魏軍
チ
ム ちゃう かふヲシテ
わらヒヲ
いかん
とら
如虎。奈三天下笑何。」懿乃使張郃
てんか わら
虎のごとし。天下の笑ひを奈何せん」と。懿乃ち張郃をして
すなはちやうかふ
恐れています。
天下の笑いものになるのをどう
司馬懿は、そこで張郃を
すればよいでしょうか」と。
<理由>
ハニ
蜀軍むかへ
フ
イニ ル
蜀軍
テ
クルヲ
向亮。
逆戦。魏兵大敗。以糧尽
りやうむか
りやうむか
たたか
ぎ へいほ
やぶ
りやうやう
もつ
糧の尽くるを以て
亮に向はしむ。亮逆へ戦ふ。魏の兵大いに敗る。
諸葛亮のもとへ向かわせた。 諸葛亮は、(それを)迎え撃った。魏軍は大敗した。 諸葛亮は、兵糧が尽きたので
魏軍
ヲ
ヒ
蜀軍
ヲ
と
ヒ
ツテふく
どこ
二順接〉
ス
あた
退軍郃 追之、
追之、写亮戦、伏弩而死。
しりぞ
かふこれ
お
りやう たたか
ふくど
軍を退く。郃之を追ひ、亮と戦ひ、伏弩に中つて死す。
兵を引き上げた。張郃は、これ(蜀軍)を追い、諸葛亮と戦って、弩を持った伏兵の攻撃にあたって死んだ。
地の土
蜀
>
蜀軍か
かヘツテ
ヲ
ジヲ
リ
ヲ
メてい
還
農講武、作木牛流馬、治邸
りやうかへ
のう すす
かう
ぼくぎうりうば つく
ていかく
亮還つて農を勧め武を講じ、木牛流馬を作り、邸閣を
諸葛亮は、(蜀へ)帰って農業を勧め、武術の講習を行い、兵糧運搬用の道具を作り、兵糧貯蔵庫を
かくヲ やすメ
ヲ
=諸葛亮の手腕
ニシテ
〈順接> ニ
フ
ヲ
閣、息民休士、三年而後用之。毎月
たみ やす
さんねん
始め、民を息め士を休め、三年にして後に之を用ふ。
101
整えて、人民や兵士を休息させ、三年後にこれ(兵糧・兵糧運搬用の道具・人民兵士)を用いた。
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