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7章 アジア諸地域の繁栄
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44 演習 問題>>>>>>
1
[ティムール朝とサファヴィー朝
(12 明治大学より作成)
1
現在のイランにあたる地域は政治的には極めて複雑な歴史をたどっている。7世
問10
紀以降,イスラーム諸王朝の支配下にあったが,13世紀にはモンゴル人の勢力がお
2
よび,(O)国の支配下にはいった。(①)国ではその後イスラーム教が国教に定めら
れ,そのもとでイラン=イスラーム文化が繁栄した。しかし14世紀にはこの国も分
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裂して衰退し,代わって。ティムール朝がこの地を支配することになった。ティ
の
b彼の死後,帝国
5)
a
ムールは中央アジアから黒海沿岸にいたる大帝国を建設したが、
は次第に分裂し,最後は(②)人に滅ぼされた。
16世紀にはいると,イスマーイール1世がこの地に(③)朝を建国した。この国は,
6
シーア派の中でもとくに(④)派を国教とし,オスマン帝国と争った。(6)の時代
に最盛期を迎え,高度な文化を発達させた。また1622年に(6)をポルトガル人から問2a
奪回するなど,領土の確保にも努めた。しかし18世紀なかばにアフガン人に首都を
b
攻略され,この王朝は滅亡した。
C
問1 文中の空欄0~6に適語を入れよ。
下線部a~cについて次の各問いに答えよ。
この王朝の首都はどこにおかれたか。
これによりティムール朝はどこへの遠征をとりやめることになったか。
c「世界の半分」とたたえられた,この時代の首都はどこか。
問2
a
b
2
[オスマン帝国の隆盛1]
オスマン帝国の建国者はオスマン1世である。彼は,(①)朝崩壊後の混乱に乗じ 問10
てアナトリア西部に自立し,オスマン帝国初代君主となった。14世紀なかば以降,
オスマン帝国はバルカン半島に進出し,1366年に(2) (現在のエディルネ)を首都に
した。1396年,(③)はニコポリスの戦いでバルカン諸国とフランス·ドイツなどの ③
連合軍を撃破したが,その後,小アジアに進出した(④)と衝突し,1402年(5)にお
いて大敗を喫した。しかし国力を回復させた(6)は,1453年にコンスタンティノー
プルをおとしいれ,ついに(7)帝国を滅ぼした。このときコンスタンティノープル
に首都が定められ,以後(8)の呼称が一般化した。
その後,第9代スルタンの(9)は,新興のサファヴィー朝を破った後シリアに進
出し,1517年には(10)朝を滅ぼしてエジプトを併合した。その結果,それまで(0)
朝の管理下にあった両聖都(メッカ·メディナ)の保護権を手に入れ, 以後オスマ
ン帝国のスルタンは,カリフ政治の後継者として(D)派イスラーム教を守護する中
心の存在となった。
第10代スルタンの(12)の時代にオスマン帝国は最盛期を迎えた。彼はサファ
ヴィー朝から南イラクを奪い,北アフリカにも支配を広げたばかりでなく,ハンガ
リーを征服し,1529年には(13)を包囲して,ヨーロッパ諸国に大きな脅威を与えた。
さらに,1538年には(0)の海戦でスペイン·ヴェネツィアの連合艦隊を破り,地中
海の制海権を手中にした。
文中の空欄の~のに適語を入れよ。
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(12 愛知工業大学より作成)
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4
5
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の
7
8
9
章
0
12
13
問1