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古文 高校生

現代語訳を確認したいので、教えてください。

かきつばた 第3問 次の文章を読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。(配点 50 ) これかれともなひて、伊勢の国なにがしの里を、器の空に立ち出でて鳴くあづまの旅におもむきける。ころは霜 月の十日あまりのことになむありければ、旅衣の裾ふく臓も、いたく身にしみてもの心ぽそきに、山の梢、道の辺の草 葉も、「冬がれわたれるけしき、いとあはれにながめやられ、海づらによせかへる波さへ、我もいつかはと、げにうら やましくおぼえつつ、玉ざさの野辺のかりねも、一夜君とかさなかさともしょ こもやうやうはるかに、鳴海の浦を過 ぎて、三の国にもなりぬ臓の中将の、「から衣」の言の葉の、はるけき昔の跡絶えぬも、ほどちかしとは聞け ど、杜若の花のをりにもあらざれば、すさましく思ひへだてて過ぎぬ。はや江の国なりといふを聞きて、ひとりが詠め (注6) "ふるさとはとほつあふみときくからにふじのたかねやちかくなるらむ (注2) たれもたれもこの東路は、まだはじめたる旅になむありければ、富士の山見むことをなむいつしかと心にかけて、旅 のものがなしさもうちまぎるるやうなるに、このごろの空、雪けにのみうちくもりつつ、いとこころもとなくて、 過ぎ行 美三泉い くほどに、小麦の中山も昼のほどに越え過ぎて、音に聞きこし大井川も、水いと浅く袖つくばかりにて、心やすく渡りぬ。 この川は遠江と駿河の国のさかひに流れて、いと大きなる川なりけり。今日はさりとも富士見えなむと思ふに、なほあ やにくにはれやらぬ空、いといぶせくて、日も暮れぬれば、宇津の山ちかき里に宿りぬ。つとめてひとりがいふやうべよ べの夢に、ふるさとはさしおかれて、まづ見まくほしきかの山をなむ見つるといへば、 士を見るは、うへなきこととなむいふなるを、なにがしらのためには、 (注7) (注8) するがなるうつのやまべのうつつにもゆめにもふじはみえぬなりけり とむける。 みほ いへば、いまひとりがいひけらく、夢に富 ゆきゆきて清美が崎に駒をとどめて、三保の松原うちながめやりつつ、しばしやすらふほどに、名に立つ富士の嶺おろ

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現代文 高校生

文学国語「共感と驚異」穂村弘 「それ自体の純度を追求されてはいけない」とはどのようなことか。 教えて頂きたいです。

体験に即しているという点では原作よりもむしろこの方が自然である。 多くの読者の体験と一致しているはずである。 それにもかかわらず、感動の度合 いでは明らかに原作の方が強い力を持っている。「桜色のちいさな貝」では、心 の深いところには刺さらないのである。読者の多くは、自分では「飛行機の折れ た翼」を砂浜に埋めたことがないにもかかわらず、その思い出に対してより強い 感情移入をすることができる。それはなぜだろう。 「翼」と「桜貝」の違いはそのまま、言葉が驚異の感覚を通過しているかどう かの違いである。おかしなたとえになるが、「桜貝」の歌がコップのように上か ら下までズンドウの円筒形をしているとすれば、原作の方は砂時計のようにクビ レを持ったかたちをしている。このクビレに当たるのが「飛行機の折れた翼」の。 部分である。この歌を上から読んできた読者の意識はここに至って、「えっ? 飛行機の折れた翼?」という、自分自身の体験とはかけ離れた一瞬の衝撃を通過 することによって、より普遍的な共感の次元へ運ばれることになる。 その際一首のなかで「飛行機の折れた翼」は、あくまでも共感へ向かうための クビレとして機能しており、多くの作品同様に、ここに含まれる驚異の感覚は、B つまり か。 寸胴。 語句 ●意表をつく 漢字 翼(翼賛・尾翼) 普遍 ★「言葉が驚異の感覚を 通過している」とは、具 体的にはどのようなこと ズンドウ 上から下まで が同じ太さであること。 在)→不変・不偏 277

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古文 高校生

進研模試の古文の問題です。 これを単語できって、文法的説明して欲しいです🙇🏻‍♀️‪‪

三 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。(配点 三〇) (注1) しゅばいしん (注2) (注5)りよしやうほ (注) いとま ひととせ 朱買臣、文の道は富めりしかども、家貧しかりけり。 年ごろの妻、住みわびて、暇をこふに、「いま一年を待て」と慕ひ惜し (注3) (注4) ふるさと ども、聞かずして別れ去りぬ。その次の年、買臣、古里の会稽の守になりて赴く時、かの妻、国の民の妻となりて、買臣に見え にけるを、 「恥悲しみて、消え入りにけりとなむ。 呂尚父が妻、同じく家を住みわびて、離れにけり。呂尚父、王の師となりて、いみじかりける時、かの妻、帰り来て、もとの 5 ごとく あらむことをこひのぞむ。その時に、呂尚父、桶一つを取り出でて、「これに水入れよ」といふままに入れつ。「こぼせ」 5 4 3 2 1 m~ といへば、こぼしけり。さて、「もとのやうに返し入れよ」といふ時、妻笑ひて、「土にこぼせる水、いかでか返し入れむ」とい ふ。呂尚いはく、「汝に縁尽きしこと、桶の水をこぼせると同じ。いまさら、いかでか帰り住まむ」とぞいひける。 なんち 朱買臣前漢の政治家。呉の人。 「せっこう 「しょうこう 現在の中国浙江省紹興市。 呉の郡都。 文ここでは学問のこと。 会 守 一郡の長官。 呂尚父周の文王の賢臣、呂尚。 「父」は年長男子への尊称。 じっきんしょう ( 『十訓抄』による) T 18

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