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数学 高校生

この問題2枚目の解説の、真ん中より下 同じ距離にかかる時間の比は3:1と分かるのですが、 では、どうして、3枚目のような、比の式にならないのですか?

Exercise 37 A~Dの4人が、 同じ地点から出発し、同じ道を通ってX町に出かけた。 今、 次のア~エのことが分かっているとき、 DがAに追いついた時刻はどれか。 ただ 特別区ⅢI類 2017 し、4人の進む速さは、 それぞれ一定とする。 ア Aは、 午前9時に出発した。 イBはCよりも10分早く出発したが、 40分後にCに追いつかれた。 Cは、Aより20分遅れで出発し、10分後にAに追いついた。 IDは、Bより4分遅れで出発し、12分後にBに追いついた。 1 9時21分 2.9時24分 3.9時27分 4.9時30分 5.9時33分 まず、条件ウより、Aが出発した20分後にCが出 発して、その 10分後にAに追いついたことについて 考えます。AとCが同じ地点を出発してから、CがA に追いついた地点までにかかった時間は、 Cは10分、 Aは20 + 10 = 30 (分) ですね。 これより、AとCが同じ距離を進むのにかかった時 間の比は30:10=3:1ですから、 2人の速さの比 は、次のようになります。 Aの速さ : Cの速さ = 1:3...① 次に、条件イより、 Bが出発してから10分後にC が出発し、40分後にCに追いつかれたことについて、 同様に考えます。 出発点から追いつかれた地点までに かかった時間は、Bは40分、 Cは40-10=30(分) で、その比は40:30 = 4:3 ですから、 2人の速さ の比は次のようになります。 Bの速さ : Cの速さ = 3:4... ② 同様に、条件工について、DとBが同じ距離にか ちょっと補足 p.106 の「法則」 の3番目だよ。 同じ距離にかかる時間と速さは 反比例する。 3倍の速さで走る この時間で済むってことだ ね! だから、 時間の比と速さの比は 逆になるんだ。 Bが出発して40分後だ からね。 気をつけて! 80 つかれ

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現代文 高校生

この問題の答えを教えてください🙇‍♀️

Since 1994 N TURITORY 【二】 次の文章は、小池昌代の随筆「道について」の一部である。後の問いに答えよ。 (30点) 知っている道に出たときの、あの不思議にほっとする、あたたかい感じ。わたしたちはどんなに大人になっても、身体の奥に、迷子に なることの恐怖をかかえて生きているのではないだろうか。 しかしどんな道も、いかなる町も、生きているひとと知り合うのに似て、少しずつ、だんだんと、なじんでくるものだ。 町の構造がようやく身体に入ってきたころ、「近道」とか「遠回り」というガイネンも入ってきた。 目印だけを頼りに通っていた道が、 案外回りであることがわかったり、思い切って足を踏み入れてみた小路が、思いがけぬところへ抜けていたり。 道を歩くことは、こ うして全身をかけて土地を切り開き、土地にもぐりこみ、土地になじんでいく行為にほかならなかった。 知らない道が見知らぬ場所へひとを誘うのは当たり前だが、知っている道が見知らぬ場所にひとを運んだり、知らない場所がよく知る 道に通じていることを知ることには、いつもささやかな感動がある。 1 道には知っていることと知らないことを結びつける機能が備わってもいるようだ。知っていることを伸ばしていけば、知らないところ へ出る。 知らないものを伸ばしていくと、知っている道に出る。 外国に旅に出ると、特に一人旅では、こういうことは明瞭に起こる。 言葉の不自由さに加えて、土地そのものからはじかれている感じ は、ひとを二重に異邦人にするが、それでもひとつの道が次第に親しい道になっていき、日々、見知らぬ場所へとひとを運び、再び宿へ とひとを戻すとき、その道はひとにとって、水や塩に等しい、命をつなぐ脈ともなる。 そうした道に付けられてある通りの名前を知った りすると、道は、いつでも記憶のなかに呼び出せる、親しい友のような表情さえ表す。 初めての道に足を踏み入れるときは、いつも身体に緊張が走るが、すべての道は、二度目に通るときから、「知っている道」になるこ とも面白い。当たり前のことだが、そのことはうれしい。 二度目に通るとき、ひとは、今の道と記憶のなかの道の、二つの道を同時に歩 くのだ。 以前、わたしの友人に、新しい記憶ほど剥がれ落ちてしまうという記憶障害を持っているひとがいた。そのせいなのだろうか、彼は何 度来ても、わたしの家へたどりつけない。 わからなくなったと、途中で電話が入る。 障害のことをそのとき知らなかった。そのたびに駅 まで迎えに行って、目印になるものを教えながら歩いたが、ついに、ひとりではやってくることができなかった。 わたしの祖母の呆けも、自分の家に帰れなくなったところから始まっている。 祖母も友人も、どれほどに自分がもどかしく、ふがいなく、心もとなく、不安だったことだろう。あのときは、ただ困った状況として とらえるだけで、彼らの不安そのものには目が向かなかった。 行きたい場所へ、行き着けないいま思うと、彼らの不安は、わたしの不安そのものに思える。 不安はすべて、未来を先取りした途 上に生まれ、その意味で、生きることはそのまま丸ごと、「不安」そのものだ、とわたしは思う。 子供のころ、迷子になったことがある。 夏の朝、家の前の道を、ひとりでずんずんと進んでいった結果、とんでもないところへ出てし まったのであった。 気がついて見回した町並みは自分のまったく見知らぬ場所である。見知らぬひとが歩いている。 見知らぬ自転車がとまっている。 自分 で勝手に歩いてきただけなのに、自分の帰るべき根元のようなものが、ぷっつんと音をたてて切れてしまったようだった。 遠心力のよう な透明な力によって、リフジンに道端に捨てられたような気がした。 わたしは、ひとりだった。 あたたかい共同体からはじきだされて。 こん棒で胸をつかれたような、激しい悲しみの感情がわいた。 わたしは大声をあげて、泣いたのではなかったか。 今でも遊園地やデパートや公園などで迷子のアナウンスがなされると、その子供の不安が自分のなかで、同じくらいの大きさにふくら んでしまう。きっと誰かが迎えに来てくれるに違いないと思うが、そうしたアナウンスは、見つかりましたという結果までは流さない。 とっ さに脳裏に浮かぶのは、親から見捨てられた、永遠の迷子としての子供のイメージである。 それが自分のなかの悲しみのようなものと共 鳴する。 ここはどこ? すべての迷子は、まずその疑問に射抜かれている。いつも暮らしている場所にいるとき、わたしはそんな質問をもった ことがなかった。自分が生きている場所を見失う不安、それは自分自身を見失う不安のことなのかもしれない。 ここはどこ? というひ とつの疑問は、わたしはだれ? という次の疑問を容易に呼び出しそうな気配を持っている。 しかし、わたしは、自分が迷子になったあのときの、ひりひりとした、 異様に新鮮な不安を、大人になった今、時々、味わいたいと思 & e 1

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現代文 高校生

ピンク線のこれを逆向きにいうと、と有るのですが、どう逆向きになっているのですか? 前後の文を踏まえて考えると何が逆かよくわからないです。 教えて欲しいです

1 4 自然というシステムはよく分からないことだらけである。「ああすればこうなる」式思考法ではかえって環境を破壊する。 ポイント 文脈に即して 人類は、自然や生態系というシステムを作ることはできないのである。 く 1 絶滅しそうな生物を保護しても、自然というシステムからはすでに切り離されている。自然というシステ ムから見れば、絶滅したのと同じことである。 絶滅の危機を叫ぶと、逆にその意味が薄れる可能性がある。具体的には、トキの保護に懸命な皆さんのよ うすが報じられると、「なぜあんなに必死になるのだろう。トキが死に絶えたって、人間の生活に関係ないよ」 と考える人も出てくるはずである。メダカも同じである。メダカが絶滅しそうだといわれても、「ドウヨウ には歌われているけれど、食料になるわけでもないし、絶減したって困らない」と考える人もいると思う。 こういう発想が出てくるのは、ある生物が絶滅しても、それが自分にどう跳ね返ってくるか、それが見えな一 いからである。 じつはそこた多様性の意味がある。自然はたくさんの構成要素が複雑に作用しあう巨大なシステムである。 システムというものは本来、それを壊そうとする力が働いても動かない、安定なのである。ある生物が絶 滅しても、なにも起こらないようにみえるのは、自然というシステムがいわば「自動安定化機構」をもって いるからである しかし、システムにも弱点はある。いわば思いがけないところをつかれたとき、一気に崩 壊することもありうる。ピストルの弾ですら、人を殺すのである。 トキが自然界からカクリされても、いまのところ、自然というシステムはさほど影響を受けていない。し かし別の生物だったら、破綻にいたることがあるかもしれない。それは トキがシステムにとって重要でなく、 別の生物が重要だという意味ではない。自然というシステムは、たくさんの生物が影響しあってビミョウな バランスを保っている。だから、どれかが欠けたときにどんな影響が現れるかは、よくわからない。そのと きのジョウキョウによって左右されることもあるかもしれない。いまの場合、トキの影響は目に見えるほど ではなかったが、別の条件の下だったらもっと深刻な事態を招いたかもしれないあるいはs 長い時間が経っ だあとで、大きな影響が現れるかもしれない。ジステムを構成するなにかが欠けたとき、どんな影響がいつ a 現れるかは、予測がつかない。 これを逆向きにいうと、ハシステムを構成する要は、システムを維持するためにいつもなんらかの役割を 果たしている可能性があるということになる。だから、システムの構成要素をいたずらに減らすことは慎む べきなのである。自然の構成要素である生物の多様性を保つ必要があるのは、そのためでもある。 * 語注 1システム… 体的なまと 9多様性…幅 ること。 本)文の構 然という Sる。 ある生山 にどう躍 ないこh それけ 3 ている キ シス らな

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