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化学 高校生

(2)の構造決定の問題ですが、解説の青い線を引いたところで、なぜエーテルの可能性を考えなくても良いのかがわかりません。よろしくお願いします。

化合物 A, B, C, Dは炭素数4つっ以上からなる, 炭化水素または炭素,水素, 酸素か f°230.〈分子量 100.0 の有機化合物) 化合物 A, B, C,Dは炭素数4つ以上からなる,炭化水素または炭素,水素、酸ま らできた有機化合物であり,これらの分子量はすべて100.0 である。A, B, C. Dan 子式はすべて異なる。また,不斉炭素原子をAとBは1つもち, CとDはもたない。 次の実験を読み,下の問いに答えよ。原子量は H=1.0, C=12.0, O=16.0 実験1 A, Bは炭酸水素ナトリウム水溶液と反応しなかった。 実験2 D 5.00mgを完全燃焼させると,水3.6mg と二酸化炭素 11.0mg が生成した。 実験3 触媒存在下で, Aに十分な量の水素を反応させたところ,分子量がAより 2.0 増加した不斉炭素原子を2つもつ化合物Eが得られた。また, Aに臭素水を加え たところ,臭素水の色が消失した。 実験4 Aを水酸化ナトリウム水溶液中でヨウ素と反応させると,特有のにおいをもつ 黄色沈殿が生じた。 実験5 化合物Fは三重結合を2つもつ炭化水素である。触媒存在下で, Fに十分な量 の水素を反応させたところ, Bが得られた。 実験6 Dは、6個の原子からなる環をもつ化合物である。1mol のDに十分な量の水 素を触媒存在下で反応させたところ,水素分子1molが消費され,化合物Gが得 られた。Gは不斉炭素原子をもたないことがわかった。一方, Dに臭素水を加え ても,臭素水の色に変化は見られなかった。 実験7 D, Gを 0.1mol ずつ別々にエーテルに溶解し,それぞれの溶液に十分な量の ナトリウムを加えたところ, Gの溶液からは水素ガスが0.05mol 発生したが, D の溶液からは水素ガスは発生しなかった。 実験8 CとGの混合物を加熱したところ,エステル結合をもち分子量が202.0である 化合物Hが得られた。 Hは不斉炭素原子をもたないことがわかった。Hに炭酸水 素ナトリウム水溶液を加えたところ, 二酸化炭素が発生した。 (1) A, B, , Dの分子式を書け。 2r Aには幾何異性体(シス-トランス異性体)は存在しない。 A. B. C, D, H の構道入 を書け。 (3) BとBの構造異性体の中で, 最も沸点の高い化合物の構造式を書け。

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現代文 高校生

問2の答えを②にしてしまったのですが、回答は①でした。 理由を教えていただきたいです🙇‍♀️

円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転するというプラトン の教義に反し、最初に、惑星の軌道は 楕円を描くと予言したのは、デンマークの天文学者ティコプラーエであったが、それはかれが、スコラ哲学風の思弁 と手をきり、単に実証的であり、科学的であったためではなかった。プラトンの円とおなじく、ティコの楕円もまた、 やはり、それがみいだされたのは、頭上にひろがる望遠レンズのなかの宇宙においてではなく、眼にはみえない、頭の なかの宇宙においてであった。それにもかかわらず、特にティコが、円を排し、楕円をとりあげたのは、かれの眺めいった その宇宙に、二つの焦点があったためであった。すくなくとも私は、ティコの予言の根拠を、かれの設計したウラ ニエンボルタの天文台にではなく、二つの焦点のある、かれの分裂した心はに求める。転形期に生きたかれの心のなかで は、中世台近世とが、歴然と、二つの焦点としての役割をはたしており、空前の精密さをもって観測にしたがい、後に ケブラーによって感謝されるほどの業績をのこしたかれは、また同時に、熱心な占星術の支持者でもあった。いかにか れが、星の人間にたいする影響力を深く信じていたかは、決闘によって自分の鼻の先端を切り落とされたとき、その原 因のすべてを星に帰し、いさぎよく諦めてしまったという、無邪気な挿話からでもうかがわれる。 円の跳 梁するときもあれば、円に代わり、楕円の握頭するときもある。たとえば、コクトーは、 ーたしかコクトー であったと思うが、神戸の埠頭で、日本の子供が、きわめて無造作に、地上に完全な円を描くのをみて感動した。それ はかれが、そのなにげない子供の一動作に、日本人全体のもつ芸術的天菓のいかなるものであるかをみたからであり 子ちの焦点のない、その純粋な心の状態に、讃嘆の念を禁じ得なかったためであろう。かれの観察は、正しくもあれば、 また、間違ってもいる。いかにも葛飾北斎は、定規もコンパスも手にとらず、神戸の子供よりも、もっと巧みに、完全 な円を描いたでもあろう。しかし、我々は、 見事な円を描き得るであろうか。いまもなお、そういう純粋な心の状態にあるであろうか。我々の描く円は、ことごと く歪んでおり、そのぶざまな形に嫌気がさし、すでに我々は、円をかこうとする気持ちさえ失っているのではないだろ」 次の文章を読んで、後の設問に答えなさい。 たいとう てんぴん -はたして我々もまた、我々の子供や、昔の芸術家のように、苦もなく、 か。二葉亭の「基面影」の主人公は、苦しげにつぶやく。

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