国経済
ちょうこう
たいとう
中国では、長江下流域から台頭した漢人の王
朝である明が、皇帝の専制支配のもとで全国
まんしゅうじん
しん
後、17世紀に満洲人のたてた清が台頭し、明の諸制度を
で多様な中国全土を統合して18世紀に全盛期を迎えた。
(→p.7)
ひゃくてき
の農業は飛躍的に発展していた。なかでも長江下流域の
めんか
さくもつ
さいばい
きいと
きぬおりもの
めん
綿花など商品作物の栽培が進み、生糸や絹織物、綿織物
こうしゅう
てんしん
た。 明代には杭州から天津に向かう大運河が整備され、
(ハンチョウ)
(テンチン)
Z
ようし
の要所であったし南地方の州や長江中流域の漢口など
大運河
ずい
6世紀末から7世紀初めの隋の時代に原形が一
もう
くられ、中国の南北の流通網として重要な役割を
担った。
サツマイモの伝来
さつま
りゅうきゅう
日本ではサツマイモ、薩摩ではリュウキュウイニ
琉球ではカライモ (唐芋) と呼び、名前の変遷か
へんせん
でんば
のまま日本に伝播したルートを示している。