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日本史 高校生

出来れば至急お願いします🙇‍♀️ (5)のウがわからないです! 教えてください🙏

(1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) 文中 地図中のCの都を何というか。 (3) 下線部の事件から5年にわたった争乱を,当時の年号で何というか。 32 鎌倉幕府の成立 | 次の文を読んで、下の問いに答えなさい。 よりとも おうしゅうふじわら し うこのえ たいしょう ごしら 1189年, 源頼朝は奥州藤原氏を滅ぼし,翌年, 右近衛大将となった。 後白 かまくらばくふ 河法皇の死後,1192年に (1) に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。 (1) 文中 右の図A中の( )に適する語句を 書け。 (2) 右の図A中の (3) の長官に任命された人 A鎌倉幕府初期の機構 (1185年) (中央) (2) 軍事・警察 ■公文所 (1) - (1192年) 物は誰か。 くもんじょ じとう (3) 公文所の長官に任命され, 守護・地頭の けんぎ 設置を建議した人物は誰か。 また公文所は のちに何と改称されたか。 (4) 地頭は荘園・公領におかれたが, 当初ど のような範囲に設置されたか。 簡単に書け。 (地方) (5) 次の文を読んで,下の問いに答えよ。 しゅじゅう せん ぞ でんらい a 鎌倉幕府の基盤は、 右の図Bのような主従関係である。 B 将軍は(ア) を主に地頭に任命し、 先祖伝来の所領を 保障したり, 新たに所領を与えるなどの(イ)を施し た。 これに対して (ア)は、平時には京都大番役や (ウ) b (イ ぐんやく などを,戦時には軍役に従事するなど (エ) に励んだ。 ① 文中図B中の( )に適する語句を書け。 (2) 下線部abをそれぞれ何というか。 一般政務 (3) 訴訟・裁判 (4) 京都の警備 (1221年, 六波羅探題に。) ぜい -鎮西奉行 ぎょう 奥州総奉行 (1189年) -守護―地頭 将 軍 (鎌倉殿) (エ (ア) 32 征夷大将軍 侍所 問注所 京都守護 (2) 三善康信 人物 (1) (3) 1 (4) 2 3 4 公文所 政所 平家没官領を中 心とする謀叛人の 所領 ① [ア イ ウ H (2) a 大江広元 b 御家人 御恩 奉公 本領安堵

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日本史 高校生

大至急!!!!! 9世紀ころから地方政治が乱れていく理由について 教えて欲しいです🙇‍♀️

ョ入 (『粉河寺縁起 把東 ながからびっ 歳)左の長唐橋 下,右には海の幸 分 息を が利り 濫えめ国 行取 の 横号る守象 法非 藤 公事(→p.56)と こくし ふじわらのもとなが あっせい ぐんじりゃくしょう。 げぶみ の国司の長官藤原元命の圧政に対する農民の訴え(尾張国郡司百姓等解文) おわり たもの。 地方政治の 9世紀になると,政府は租税の実質的な確保を目 こくし 転換と受領 ぎょうせい 的に,しだいに実際の地方行政の運営を国司に任 ふにん せるようになった。その結果,現地に赴任した国司の最上席者に権限 が集中するようになり, 彼らは受領(前任国司から国務を受領した者) とよばれた。一方, 受領以外の国司の地位はその収入だけが目的とさ ずりょう ようにん0 ふゆう れ、現地に赴任しない遥任もさかんに行われるようになった。富裕な じょうごう いなばどう (『因幡堂縁起絵 いなばの 橘行平が因幡 ちょうにん 受領は,成功によって重任したり, さらに実入りのよい国の受領に移 たちばなのゆきひら るようす。 ったりした。 はんでん だいちょう こせき けいちょう 班田が行われなくなり, 課税の台帳となる戸籍· 計帳も作成がとだ 見地には赴任せ 三受けとること。 は、受領も交替 二行かなくなり. 現地の有力者 マ治を任せるよ 2 こく が6 →p.28 えたため,10世紀ごろから, 国術では, 方法をかえて課税するように くぶんでん こう ち なった。まず,ロ分田などの公地を, 期間を定め耕作を請け負う有力 たと みょうでん みょう な農民(田堵)の名前をつけた田(名田,名)ごとに区分し,この田を単 そ ちょう よう ぞうよう 位に,租,調 庸, 雑鑑にかわる, 新しい形で課税した。こうして, →p.29 りつりょう 一紀初めには全 れなくなった。 三初めまで作成 , 女性ばかり 三態とかけはな 課税の対象は,律令体制下での人(成年男子中心)から, 土地(名田中 心)へと移っていった。 15 ふろうにん 有力な農民(田塔)は, 一族とともに農民や浮浪人を使って周囲に撃 でん 田を広げ,広い地域を支配するようになった。受領のなかには, 自己 かこく ちょうぜい →p.56 の収入を増やすためもあり, 過酷な徴税を行った者も多かった。その た。 平安時代以降 ようになる。 ぐん じ ため,郡司や有力な農民は, しばしば受領と衝突し, 10世紀後半から 11世紀にかけて,協力して受領の圧政を政府に訴えることもあった。 あっせい け負う有力農 ニれた。また, k, 当時, 官 20 地方で争乱がおきると, 政府は中央の下級貴族や, かん 武士の誕生 つい ぶし6とうよう おうりょう し ちんあつ よばれた。 地方の有力者を押領使や追捕使に登用して鎮圧 受目であった ら常置とな ち あん しへい し,治安維持にあたらせた。彼らは私兵をひきいてこれにあたり, そ の地方に勢いをのばしていき, やがては都で内裏や貴族の邸宅の警備 じょうち だいり ていたく たきぐち 式士を滝口と も行うようになった。 こうして朝廷の武力としての武士が誕生した。 国家の形成と貴族文化の誕生 しあげる)、 の稲〈正税》 の内に収 稲の出挙) 無きに依一 U事..………… 八日 ·百姓等 し、政府の 郡内の徴税 国司から任

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