日本人は西洋人と違った独特の好みを持っていたのであ
4こううんりゅうすい
る。「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そうい
てんりゅう
う思想はむしろ思想以前の感性によって裏づけられてい
日本の庭園(天龍寺・京都)
た。それは外界に対する受動的な態度というよりは、
極的に、形なきものを恐れない心の表れではなかっただろうか。 日本人の米に対~
見えない水と、目に見える水。
もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのに
もはや水を見る必要さえないといえる。ただ断続する音の響きを聴いて、その
隙に流れるものを間接に心で味わえばよい。そう考えればあの「鹿おどし」は、
日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだといえるかもしれない。
山崎正和
1934年〔昭和9]
2020年 [令和2]
111m/
HOR
K
間が抜ける
言うまでもなく
人工自然・天然
鑑賞 観賞
京都府に生まれた。劇作家、評論家。芸術論・演劇論・文明批評・伝統文化などの多彩
なテーマについて、広い視野と柔軟な思考とによって評論活動を行う。主な著作に、戯
『世阿弥』、評論『劇的なる精神』『鷗外 闘う家長』『柔らかい個人主義の誕生』など
がある。「水の東西」は、『混沌からの表現』(一九七七年刊)に発表。本文は『混沌から
の表現』(二〇〇七年刊)による。
E-
4行雲流水 空を行く
や流れる水のように、
物事に執着せず、自然
のままに行動すること
「その間隙」とは、何
を指すか。
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水の東西