第2問
44 誰がどうしたことか、説明
こと
任地土佐国で娘を亡くした貫之夫妻は傷心のうちに帰京の旅に出る。 次は、 羽根(今の室戸市内)に至った折の記事
である。読んで、後の設問に答えよ。
わらは
今し、はねといふ所に来ぬ。若き童、この所の名を聞きて、「はねといふ所は鳥のはねのやうにやある」といふ。ま
だ幼き童の言なれば、人々笑ふ時に、ありける女童なむ、この歌を詠める。
まことにて名に聞くところはねならばとぶがごとくに都へもがな
とぞいへる。男も女も、いかでとく都へもがなと思ふ心あれば、この歌よしとにはあらねど、げにと思ひて人々忘れず。
このはねといふ所とふ童のついでにぞ、また昔の人を思ひ出でて、いづれの時にか忘るる、けふはまして母の悲しがら
ふ
るることは。下りし時の人の数足らねば、古歌に「数はたらでぞ帰るべらなる」といふことを思ひ出でて、人の詠める。
世の中に思ひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな
といひつつなむ。
〔注〕 ○古歌全文
題しらず
よみ人しらず
北へ行くかりぞ鳴くなる連れて来し数はたらで帰るべらなる
この歌は、ある人、男女もろともに人の国へまかりけり。男まかりいたりて、すなはち身まかりにければ、女一人、
京へ帰りける道に、帰るかりの鳴きけるを聞きてよめるとなむいふ。
(『古今集』羇旅四一二)
(設問) 11 どこに係るか。また、誰の動作か。
(『土佐日記』)