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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

た。 問4 傍線部 (3) 「このことを、なぜわれわれは素直に認めることができないのだろうか」とあるが、この問いに対する筆者 考えとして最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は2 ① 他者に対して心を開くことは危険を伴うことだから。 ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑤ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 upt 解答番号は、第二間で 【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~問10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 の偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイブそのものも、すでに複雑で錯 した経路と水脈をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係によるAなものではなく、あ ある種の根源的な喪失と離脱のなかから再発見・再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、A な帰属関係所有関係を前提としない、 旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは間言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を な手掛かり とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 へと移住した。 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、それはふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリアでに傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことばへと転用 された「グラフィティ」 (Graffitti) を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の商店の壁、シャッターを目呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 書きが文字だけであれば、それはふつう 「ビシャソン」である。 独特の字体に、符牒のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字がや虫のかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描くだけのビシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に踊っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集「夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。 彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二プロックほど離れた路地の壁に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐにテッドロックもおそらく気づいていない〉 この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024AG-B-1 (2024AG-B-2) ② 介護する 不十分さが解消されるため、その関係を豊かにすることに注力 介護が人間に向けられたものとなり、その人間の豊かさに寄与するものとなるためには、人間の価値を能力から切り離 で捉えた上で、介護する者と介護される者の間に心が開かれた関係が形成される必要がある。 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい う関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に 行く春や鳥啼き魚の目は 巨) primavera não nos deixe passaros choram wwwwww (注) ばしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの を想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、 地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか 経験した無数の声と文字による橋渡しの過程に携帯用の筆入れと墨壺である矢立」からとりだされた筆記用具によって 俳聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このピシャソンとなった芭蕉の句において、 過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 プ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの それすらもはや判然とはしない。ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の俳諧が、ポルトガル語の Haikai へと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の連関の統 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの詩句の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた目録のなかに書き込んでいった。 「一の鹿」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反芻することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。 人類学という実践 そのものが、異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 をふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 夢の残滓を「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識の刺によってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。 ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、 ことばと文学がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと 刺を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、流謫の「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、 ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの句が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 lágrimas no olho do peixe (28) (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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現代文 高校生

リスク社会とは何か(大澤真幸)の問いで 再帰性が上昇するとなぜリスク社会がもたらさせるのか。「再帰性」と「リスク」がどのようなものかに触れながら130〜150字で説明せよ。 とあるのですがさっぱりわかりません、、 どなたか教えてください🙏🙇‍♀️

特定の経済政策は、経済学的な認識によって正当化されると考えてきた。あるいは、生 人と 死についての倫理的な決断は、医学的生理学的な知によって支持され得ると信じてき た。だが、リスク社会は、知と倫理的・政治的決定との間にある溝を、隠蔽し得ないも のとして露呈させざるを得ない。なぜか? 当たりと考えられてきた 科学に関して、長い間、当然のごとく自明視されてきたある想定が、 リスク社会では 成り立たないからだ。科学的な命題は、「真理」そのものではない。「真理の候補」、つま 仮説である。それゆえ、当然、科学者の間には、見解の相違やばらつきがある。だが、 我々は、十分な時間をかければ、すなわち知見の蓄積と科学者の間の十分な討論を経れ ば、見解の相違の幅は少しずつ小さくなり、一つの結論へと収束していく傾向があると 信じてきた。 収束していった見解が、いわゆる「通説」である。科学者共同体の見解が、 このように通説へと収束していくとき、我々は、その通説自体がいまだ真理ではな いにせよ真理へと漸近しているのではないかとの確信を持つことができる。そして、 このときには、有力な真理候補である通説と、政治的・倫理的な判断との間に、自然な 含意や推論の関係があると信ずることができたのである。だが、リスクに関しては、ご うしたことが成り立たない。 S 55 「科学に関して、長 い間、当然のごとく 自明視されてきたあ る想定」とは、どの ようなことか。 というのも、リスクをめぐる科学的な見解は、「通説」へと収束していかないいく しゅうえん 傾向すら見せないからである。たとえば、地球が本当に温暖化するのか、どの程度の期 間に何度くらい温暖化するのか、我々は通説を知らない。あるいは、人間の生殖系列の 遺伝子への操作が、大きな便益をもたらすのか、それとも「人間の終焉」にまで至る破 局に連なるのか、いかなる科学的な予想も確定的ではない。学者たちの時間をかけた討 論は、通説への収束の兆しを見せるどころか、全く逆である。時間をかけて討論をすれ ばするほど、見解はむしろ発散していくのだ。リスクをめぐる科学的な知の蓄積は、見 解の間の分散や悪隔を拡張していく傾向がある。このとき、人は、科学の展開が「真理」 への接近を意味しているとの幻想を、もはや、持つことができない。さらに、当然のこ とながら、こうした状況で下される政治的あるいは倫理的な決断が、科学的な知による 裏づけを持っているとの幻想も持つことができない。知から実践的な選択への移行は、 あからさまな飛躍によってしか成し遂げられないのだ。 八たり ↑ 国以上の考察は、 リスク社会をもたらした究極の要因が何であるかを示唆している。リ スク社会論を唱える論者はウルリヒ・ベックやギデンズ、ルーマンらは、二つ の要因をあげるのが通例である。第一に、つまり近代社会が、自然を固定的なものと見 なさずに、自然を制御することを選んだことそして、よりいっそう重要なこととして、B 第二に、依拠すべき伝統が崩壊したこと これらの要因があげられてきた。要するに、 評論 リスク社会とは何か 40

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論理国語「擬似群衆の時代」に関する質問です。 文中の表現でわからない部分があるので、説明して頂きたいです。 「ひと頃透明性の高い建築」 「建築そのものを消し去り、流動する映像体としての建築物として存在する」 「ピクチャープラネット」 どなたか説明をお願いいたします...!!!

204 ■擬似群衆の時代 ① 街角で見かける大型スクリーン、いわゆる街頭ビジョンが新宿駅東口に現れたのは、 一九八〇年代の初めだった。ビルの壁面に映し出される映像は、当初白熱電球によるもの だったが、それでも東口駅前に群衆が絶えなかったのは、万博などの催し以外で本格的に 設置された最初の例のひとつだったからだろう。巨大白黒テレビという趣のスクリーンを、 すぐにアートとして取り入れたのがビデオアーティストのビル・ヴィオラだったことはよ く知られている。 4 それから三十年近く経過した現在、私たちの都市にはさらに大型のスクリーンが氾濫す ることになった。例えばマンハッタンのタイムズスクエア周辺のビルは、その壁面のほと んどがスクリーンと化している。そこではケーブルテレビ局が建物全体を覆う曲面スク リーンに四六時中ニュースを流しており、広場の反対側では同じように広告が流されてい みなと ちひろ 港千尋 5 10 参照 と。 tan 現代社会を読み解くため に6→400ページ 新宿駅東口 東京都新宿 区のターミナル駅の東側 出口。 2万博 万国博覧会のこ 3 ビル・ヴィオラ Bill Viola 一九五一年~。ニュー ヨークの生まれ。 4マンハッタン Manhat- アメリカ合衆国、 ニューヨーク市の中心を なす区の一つ。 これだけの大きさになると建物に画面が取り付けられているというより、画面の一部 が建物になっていると言ったほうが近いかもしれない。 こんにち 建築物が映像装置と一体化する現状は、おそらく今日の建築の方向性と矛盾するもので はないだろう。設計段階ですでにコンピューター・グラフィックスとして映像化される建 築は、紙に描かれていた時代とは大きく異なる様相をしている。ひと頃透明性の高い建築 が流行したのもつかの間、複雑な構造計算が可能な高速演算装置のおかげで、新しい建築 はますます映像のような自由度をもち、私たちを驚かせる。 そこでは二次元と三次元が相 互に浸透し合い、ある場合には建物そのものを消し去り、流動する映像体としての構築物 擬似群衆の時代 20 タイムズスクエアの夜景 5 5高速演算装置 コンピューターのこと。 問① ここでいう「二次元」 「三次元」とはそれぞれ 何か。

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200字で要約したいです。どこの文を使えばいいのか分かりません。教えて下さい

1.左の文章を読み、キーワードを○で囲み、キーセンテンスに線を引きましょう。 チャットGPT 利用ルールの議論急げ する動きが広がる。 法や注意点をまとめた指針の策 定を進めている。 東京大学はチャットGPTを 「話し上手な『知ったかぶりの 人物』」にたとえ、学生にはリ スクに注意しつつ主体的に判断 して使うよう求めた。 米新興企業「オープンAI」 が開発した対話型AI(人工知 能) 「ChatGPT (チャッ トGPT)」が注目を集めてい る。様々な活用への期待が高ま る一方、教育に悪影響は出ない か、職を失う可能性はないか、 危機感を募らせる人々もいる。 人間の指示に応じて、ネット 上の膨大なデータから自然な文 章を作る「生成AI」の一つ だ。昨年11月の公開以降、世界 中で爆発的に利用が広がった。 すでに、書類の下書きを作ら せたり、「パートナー」として 対話して考えを深めたりするの に用いられている。西村康稔経 産相は、国会答弁の作成に使え ないか検討するという。 現段階では妥当な考え方だろ う。ただ、こうした存在が生成 する文章が世にあふれるように なったとき、言葉と事実の精査 によって成り立ってきた言論空 間の存立基盤が揺るがないか。 注意が必要だ。AIが生成する のは、あくまで「もっともらし い」ものにすぎない。「知った かぶり」には虚偽や偏見が紛れ 込む危険がつきまとう。 生成AⅠの開発競争は激化す る一方だ。今後どう進化するの か。日本のAI研究の第一人者 でも予想がつかないという。 G7議長国として政府は国際 的なルール作りへと動く。各国 の思惑も絡むが、実効性のある 議論を急ぐべきだ。日本はAI 分野で後れをとり、巻き返しを 図るが、自国の利益だけを考え るべきではない。社会と共存し ながら技術が健全に発展するよ う、企業や業界団体にも自主的 なルール整備を求めたい。 しかし、教育や研究の現場か らは「AIに書かせた作文や論 文を提出されても見抜けない」 「表現力や創造力が育たなくな る」などと心配の声が上がる。 文部科学省は、学校での活用方 併せて、かねてAIをめぐり 指摘されてきた、個人情報や企 業秘密の漏洩や著作権侵害につ ながる可能性なども問題になっ 巨大IT企業がデータ ている。 と権限の集中をさらに進める恐 れもあり、欧州では利用を制限 めぐって研究者らが15年、国際 ゲノム編集技術の臨床応用を 会議を開き、守るべき規範を示 す声明を採択したような動きに も期待したい。限界は指摘され るが、その後の世界各国のルー ル作りに一定の影響を与えた。 社会の懸念を減らして利用のメ リットを享受する道を考える 際、参考になるだろう。 2023・4・19

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合ってますか?空いてるところおしえてください!!

次の の一失 ()人といえども我行かん 害あって一利なし 慣用句 (2点×5) 次の()に入る適当な語句を下から選んで記号を書き入れ、 慣用句 を完成させよ ①(イ)ほど笑う。 耳にたこができる 腹の皮がよじれる ② (()ほど聞いた。 足が地につかない ③ あきれて(1) ⑥ そわそわして (ウ。 開いた口がふさがらない オ 歯の根が合わない ⑥才)ほど震えた。 次のことばに続く語を下から選び、記号を○で囲め。 慣用句 (10点) ①失笑を もらす 買う ウ被る) ②小康を 守る イ 失う 保つ) ⑨ 異彩を 放つ イ 保つ ウ 取る) ④ 破綻を 起こす イ迎える ⑦ きたす) しんじす ⑥ 真情を(ア暴露する ウ宣告する) ⑥ 末席を 汚す ウ 取る) ⑥ 清貧に(ア 耐える ⑦ 甘んずる) ⑧人後に(ア 下らない ⑦ 落ちない) ウ報告する) 経験する ■第5回 C ことばの力 月 9727 せいひん イ占める イ 逃げる イ立たない 引導を 渡す イ引く 87 ⑩ 辛酸を(ア味わう ① なめる 24 イ Matr + 吐露する 千 ② 油 ③ 尾びれを( ・・・大丈夫と保証する。 太鼓判を ■ 次の英語のことわざに相当する日本のことわざを後ろから選び 話 で答えよ。 恐れはしばしば危険より大きい ② コックが多すぎると、スープができそこなう ③ ホーマーですら、ときどきコックリをやる 会わなくなれば、忘れられる ⑤ ローマにあってはローマ人のごとくせよ ⑥ ゆっくり急げ ⑦ 二つの頭は一つの頭にまさる ⑧ 一度かまれると、二度目は慎重になる はえ ⑨ 蠅にも怒りがある ⑩ 魚に泳ぎを教える 郷に入っては郷に従え イ 船頭多くして船山にのぼる 去るものは日々にうとし あつもの エ羹にこりて膾を吹く オ案ずるより産むがやすし カ弘法にも筆の誤り 三人寄れば文殊の知恵 ク 急がばまわれ ケ釈迦に説法 一寸の虫にも五分の魂 (33 ウ コ ことわざ (2点×100) ( ( ( ( ( ( ( ( -41-

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現代文 高校生

現代の「世論操作」の意味段落を教えてくれませんか🙇‍♂️

る宣伝操作 2ロバート・マーサー Mercer (一九四六―)。 アメリカのコンピュ ータ科学者で、保守 系政治運動の支援者。 3ヘッジファンド投 資家から預かった資 金を投機的に運用し、 高い利回りを追求す る投資組織。 4CEO 最高経営責 任者。 学習のねらい 情報操作の具体優 現代の「世論操作」 絶対的をもって国の て支配する人 今、かつてのような、独裁者によるプロパガンダといったイメージとは違う形での世 論操作が行われています。 ◎有名な例で言いますと、アメリカの大富豪ロバート・マーサーは、大手ヘッジファン ドのCEOで、トランプ政権誕生の陰の立役者の一人です。 マーサーは、データ分析を もとに投資戦略を立てて収益を上げ、巨額の富を築きました。 マーサーは、こうしたデ ータ分析をもとにした投資で儲けてきたスペシャリストなのです。彼はその経験から、 政治もビッグデータ分析をもとに操作し、成功に導くことができると考え、トランプ政 権の選挙参謀となったケンブリッジ・アナリティカ(以下CA社)というコンサルティン グ会社に多額の資金を提供しました。このCA社は、二〇一六年のアメリカ大統領選の 際に、フェイスブックの情報データを無断で使用して親トランプの世論形成を主導した と報道されました。その後、同社は批判を浴びて二〇一八年五月に業務を停止しました。 CA社は、人々の政治傾向や意見分布をフェイスブックから得たビッグデータによっ て見事に調査分析したと言われており、一躍有名になりました。 CA社の副社長は次の ように言っています。 「水曜日の雨の朝に投票所に行かせることと、いつも使っている歯 磨き粉のブランドを変えさせることは、さほど変わりはない」。たとえば、ある選挙区で 共和党候補者を強化したいと決めたら、その地域のさまざまな関連データを徹底的に収 集・分析して共和党に有利な選挙キャンペーンを打ち、さらにその地域の人になるべく 投票所に行かせるような仕掛けを作り出して、共和党支持を増やしたと言われています。 これは、いろいろなやり方があるようですが、たとえば、フェイスブックを使ってい るとすれば、私の場合、自分の勤務先とか、さらには写真も載せています。ですから、 何歳ぐらいで、女性で、大学に勤めていることもわかるし、友達が誰かというのもわか ります。さらに、私はネットショッピングでトイレットペーパーや洗剤から缶詰まで買 っていますし、本もたくさん買いますから、私がどのような生活をしているのか、何を 考えているのか、フェイスブックやアマゾンは、おそらく私のことを私より知っている のではないでしょうか。 そして私が、たとえば、どこかで特定の政党の支持者と知り合いになったとして、フ フェイスブックの友達申請をされて、ま、いいやとプチっと押して友達になると、今度は Robert Leroy 5トランプ Donald John Trump (一九四六 -)。 アメリカの第 四十五代大統領。 6ビッグデータ 多種 多様で、リアルタイ ムに生成・更新され る膨大なデータ群。 コンサルティング会 社 経営上の問題や 課題などの解決をサ ポートする会社。 8共和党 民主党と並 ぶアメリカの二大政 党の一つ。トランプ 大統領の所属政党。 9選挙キャンペーン 選挙に勝つための組 織的な宣伝活動。 「私のことを私より 知っている」とは、 どういうことか。

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各問題の答えが知りたいです。

次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 「広辞苑』(第二版補訂版) によれば、「伝統」とは「①系統をうけ伝え ること。また、うけ伝えた系統。 2 (tradition) 伝承に同じ。また、特に そのうちの精神的核心または脈絡」を意味する。指し当たって我々は、伝 統という一般的ガイネンに三つの契機を挙げることができるであろう。 即 ち、第一に、人から人へという承け伝えの作用、第二に、事柄の系統ない 脈絡、第三に、そこに成立する持続性である。この時間的な持続性から、 伝統には古いものという印象が出てくる。そして、 「能の伝統」などと言 われる場合には、事柄の系統ないし脈絡に焦点が当てられるが、この系統 のまとまりは根本的には 的であって、人類の営みという観点からする なら、あらゆるものは共通の伝統の内にあると言うことができる。 しかし 普通は、そのまとまりは、西洋の伝統に対して東洋の伝統、中国や朝鮮の 伝統に対して日本の伝統、漢詩の伝統に対して和歌の伝統というように、 同じ位相で比較タイショウされ得るものが浮き上がってくるという仕方で 考えられているか、或いは日本文化の中における能の伝統、映画の中にお ける西部劇の伝統というように、ある背景の中でまとまった一つの系統を 取り出す仕方で考えられている。 そして、内容的にはそれらは、文化や宗 教民族などの事柄に属する具体的な個々のジショウに関わっている。 したがって伝統はさまざまな位相で捉えられるわけであるが、 我々自身 の伝統を問い尋ねてゆく場合に必ず問題となるのは、「日本の伝統」とい う位相であろう。 日本の伝統は他国の伝統、他民族の伝統に対して、日本 文化 日本民族のアイデンティティを形成するものとして、論議の的とな ってきた。そのような伝統への関心のもち方は、明治期に始まるものであ ろう。明治時代の日本人に共通の葛藤を形づくったのは、日本の精神伝統 対西洋文明という構図であった。 この構図は、複数の伝統の対立とせめぎ 合いの中での伝統の自覚と守護、 ないし伝統の否定と破壊というものが、 ろうか。 ヨーロッパ世界以外の地域において、科学技術は外から移入され たものであり、その地域の文化伝統に由来するものではない。その意味で の伝統をもたないというあり方は、外来のものの土着化の問題として、文 化伝統のヘンヨウと形成の過程にもともと組み込まれている。 しかし、科 学技術は、その普及がどれほど深く進行しても、その地域の文化伝統との 緊張関係を失うことはない。つまり、現代の科学技術文明の非伝統的な性 格は、現象の中で解消されるものではなく、その本質に属するものだと見 なすことができる。 (氣多雅子「ニヒリズムの思索」) 傍線部a~eを漢字に直しなさい。 独創性 変 ② 空欄に当てはまる語を一つ選びなさい。 ① 絶対 ② 相対 ③ 共時 ④通時 ⑤恣意 ③傍線部「位相」、3「葛藤」、6「啓蒙」の本文中の意味として最も 適当なものをそれぞれ選びなさい。 - ① 相違 ② 思想 ④ 道理 ⑤ 状況 3① 戸惑い ② 勘違い ③ もつれ ④心配 ⑤ 苦悩 6① 先導し指示する ② 興味関心を引く ③ 言葉を教え込む ⑨知識を与え導く ⑤ 特定の方向へ導く ④ 傍線部2 「日本文化、日本民族のアイデンティティを形成する」ため に必要なことは何か。 本文中から十字以内で抜き出しなさい。 CO 秘 POMY (3) 方法 SEP C 3 CO ある集団のアイデンティティの成立と解体に関して要となるものであるこ とを、教える。 だが現代に至って、伝統の対立の構図はこのような並立的な対比に納ま り切らなくなって、一方で並列的対比を維持しつつ、 他方で伝統的なもの と伝統的でないものという相反的対立の形が前面に出てきているように見 える。一般的に言うと、伝統的でないものとは、承け伝えによらず新たに 始められたもの、したがって系統性も持続性もまだもっていないものとい うことになろう。だが、この意味での伝統的でないものと伝統的なものと の対比は、我々の伝統との関わり合いの中で、或いは伝統そのものの展開 の過程で、 常に出てくるものである。 現代世界でこの対立関係が特に前面 に出てきているということは、それを際だたせる何ものかがあるからであ る。それは、近代に特徴的に見られる反伝統的な傾向である。 近代は個の自覚が形成され自立的な主体が確立された時期であり、それ に伴って、自分自身の判断と自由な意志による主体的活動が称揚されるこ とになった。芸術活動においても、個性やドクソウ性が重んじられ、伝統 は芸術家の自由な創造を妨げるものだとする傾向が強く出てきた。 近代の このような反伝統的動きを促進する鍵となったのは、科学の発達がもたら した大きな技術的成果と、科学知により人々は啓蒙されるべきであるとす る考え方であろう。 伝統的なものと伝統的でないものとの対立の形は、科 学および科学技術の成果をめぐって特記すべきものとなったと言ってよい。 つまり、科学技術によって生産された製品や建物や芸術作品などは伝統的 でないもの、昔ながらの材料と技法で生産された製品や建物や芸術作品な どは伝統的なもの、という対立の構図が、 我々の生活の中に深く根を下ろ しているのである。 だが、この対立の構図は現代の科学技術文明は伝統をもたないという捉 え方によって規定されているが、そのようなことが果たして言えるのであ 傍線部4の対立の例として最も適当なものを一つ選びなさい。 ① 「日本の伝統」と「他国や他民族の伝統」 「能や和歌の伝統」と「西部劇や漢詩の伝統」 「近代の伝統」と「前近代の伝統」 「芸術家の自由な創造」と「科学および科学技術の成果」 ⑤5 「地域の土着文化」と「現代の科学技術文明」 ⑥ 傍線部5「近代」の特徴を述べた部分を二か所、本文中からそれぞれ 三十字以内で抜き出しなさい。 ⑦ 本文の内容に合致するものを選びなさい。 筆者の見解の客観的な裏付けとして、辞書の引用に依拠している。 ②従来のアイデンティティと対峙する形で、明治期のそれは成立した。 ③ 近代になり「伝統対非伝統」へと対立の構図は収斂されている。 ④ 現代の科学技術文明は、元来伝統とは乖離する性質を持っている。 伝統工芸品に対する科学技術製品の優位性と、近代の傾向は照応して ⑤ いる。 4 3 2 1 5 いたいじ ししゅうれん 105 第3章 発展語 演習問題

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