現代文
高校生

文章の意味が分かりません。
単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、
各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。

問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺
シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示しています。

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)
春よ (中略) 鳥たちは泣き あふれる湯が 魚の目に 私たちを置き去りにして行かないでくれ 24一般入試A問題 見して、レーンスキーの翻訳は芭蕉の句の心情を汲み取りながら、それを詩人の直感としてことばの技芸のなかに移植しよ うとするが、ありありと感じられる。だがそれは、けっして技巧的な翻訳というわけではない。春という非人称への呼びか (けは、日本の伝統的な審字を書物や武道の実践から学んだレミンスキーの、一つの解釈であろう。あるいは、壁に書かれた落 書きの詩句のイメージでは、魚が複数形の peives となっていることで魚の目の泪のイメージが拡散しているのに対して、レミ シスキーはこれを一匹の特定の魚として捉え、その目に溜まるを鮮明な像として定着させようとしている。 さらにこのヴァージョンで特徴的なのは、その表記であろう。三行の分かち書きにこだわらず、さらに行頭をずらして語句を 配置することで、短形式の視覚的な効果をゾウフクしようとしている。(中略) みとしや そこで「ことば」は、「ことば」という可能性の磁力的な中心としてとらえられる。 ことばはそれ自体躍動する物質であり、 生きたであり、完全な有機体であり、心理的・身体的・科学的組織である。概念化や神秘化の陥穽におちいることなく、貝 ぎんせいん そのまえに自らを立たせ、絶対的なリアルのなかに自らを開こうとする。それはヴィジュアルな図像性を突出させた詩 としてされるべきではなく、むしろ、ことばが「存在」としてその全的なリアリティを開示したものと考えるべきだろう。 意味内容に依存することなく、詩句の視覚性と、音と、響きと、意味と同等に受容してみよう。するとそこに、人とこと 「移住」が交錯しながら生み出された、ポエジーの一つの源泉があらわれだすにちがいない。日本語で 「俳句」とか「俳 (2024AGB-5) 問1部(ア)~(オ)を漢字で書いたときに、その漢字と同じ漢字を含むものを、次の①~⑤のうちからそれぞれ一つず つ選べ。解答番号は1~3。 夏は食べ物がハイしやすい。 2 ポストにフザイ配達通知が入っている。 敵国に対してセンセンコクする。 通販サイトでコウニュウ可能な食材。 信頼関係をコウチクする。 (ア) ケイ ピアノの課題曲のガクを買いに行く。 ⑤業界一の性能だというジがある。 自信があり誇りに思うつ (イ) コウソウ ③高速道路にコウジ渋滞が発生した。 ④都市のコウキョウ施設を整備する。 ウヨジョウ (エ) ゼンエイ ④ 会長のエイダンに感謝する。 (今福龍太「境域のハイカイ」「境域の文学』による) ⑤ 古代文明がハンエイした土地。 ① ソウヨゼイを申告する。 注 (1) デニス・テッドロック―一九三九~二〇一六年。 ② 旅行者がキュウソウする。 (オ) ゾウフク ⑧ 図書館のソウショを整理する。 (3) キチェ族 グアテマラ高地に住む、マヤ人に属する民族。 が深 とか呼ばれていたものの、はるかなると豊かな再生の兆し そのとき「芭蕉」という名は、レミンスキーが訳したよう 「banuscire」 (バナナの木)となって、熱帯ブラジルの海岸のプランテーション農場に林立するバナナの木々とそのもとで汗 黒人奴隷の記憶を、ブラジルの大地に向けて召喚するだろう。 その瞬間、ブラジル人になったポーランド人とアフリカ黒人が、朝目のまぶしさに目をつむる間にふと日本人へと転生するの ハイカイは目撃することになる。 (2024AG-B-6 ⑤ 天災などのフカコウリョクによる被害。 恩師は退職した後メイヨキョウジュとなった。 卒業証書ジュヨシキに出席する。 もはや一刻のユウヨも許されない。 これだけ証拠が残っていては、弁解のヨチがない。 ヨキン残高が一〇〇万円を超えた。 金 エイセイな環境を改善する。 ② エイセイ中立国として知られているスイス。 言語は人間の知的エイイの根幹である。 (2) ズニ族 ニューメキシコ州やアリゾナ州の州境付近に住むアメリカ先住民。 (4) カンピーナス市 ブラジル南東部サンパウロ州の都市。 (5) 芭蕉 松尾芭蕉 (一六四四~一六九四年)。 (6) パウロ・レミンスキー 一九四四~一九八九年。ブラジルの詩人、作家、翻訳家、ジャーナリスト。 (7) 具象詩詩から哲学や歴史や意味を排除し、素材であることばそのものに直接かかわろうとした時 問3 波線部「矢立の初め」の意味として最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は1 ① 作家や詩人のデビュー作 旅の日記などの書き出し ストーリーの始まり 作品集の文 問2 空欄 ①持続的 日常的 本質的 意識的 ⑤ 好意的 A 芸術にウケイが深 ⑤ マスコミによって作られたキョソウ。 に入れることばとして最も適切なものを、次の日のうちから一つ選べ。解答番号は6。 問7 傍線部(4)「このピシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の別の傷を 宿してはいない」とあるが、その説明として最も適切なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は。 ① ブラジルでビシャソンとして表現された芭蕉の句は、俳句が持っている五七五のリズムや、日本語の音などの要素を 失っているため、芭蕉の俳句に込められた感情も脱落するこ (2024 AG-B-8) (2024AG-B-7)
(5) 芭蕉 松尾芭薫(一六四 (6) パウロ・レミンスキー 一九四四~一九八九年。ブラジル人、 ジャーナリスト。 7)具象詩 詩から哲学や歴史や意味を排除し、素材であることばそのものにかかろうとした として確なものを、次の11のうちから一つ選べ。 番号 7 デビュー作 など ストーリーま 最も知られている作品 「私たちはそのようにして、日本語話者としての日本人移民した」とあるが、その説明として最 次の中のうちから 「日本人」になるのは、日本語を話す人で生きていくことを決意することによる。 も適切なものを 「私たち」 私たちが日本人」になるのは、生活や 文化的属性を形成することによる。 「私たちが「日本人」になるのは、日本 を通じて、 自身の生得的な存在を再発見することによる。 言語としての日本語と、固定的な 関係を結ぶことによ 「たちが日本人」になるのは、 している。 「私たち」が「日本人」になるのは、からことばを使う存在になり、日本語と偶然の関係を 体 のようなことば かりかぶく」とあるが、この一文は何を説明しようとして 適切なものを、次の中~のうちから一つ選べ。解答番号は のような文字を、知っている人だけができる政治的なメッセージを変わず、というピシャソンの特徴を説 している。 ったり、重なったりする文字が視覚的な新鮮さをもたらす、というビジャソンの特 している。 のような色とりどりの文字が、体感を持ちながら言葉に生気をもたらすビシャソンの特徴 明している。 デザインによって文字を表現し、その奇抜さを競い合う、というビシャソンの特徴を説 ないものの中のうちから一つ選べ。 番号は 文字を引き出し、現実に働きかけるというピシャンの特徴を説明している。 なにとらえられた」とあるが、何に対して覚えたか、その説明として適切で 同じブラジルの街にも見つかること。 日本でなくポルトガルというしたこと スプレーによって描かれたこと。 地球にあるのにしていること。 私も、現代にもまだ表現されていること。 24一般入試問題 好 問7 8 に入れることばとして最も適切なものを、次の日のうちから一つ選べ (「このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本 部 の感 宿してはいない」とあるが、その説明として最も適切なものを、次の①~③のうちから一つ選べ。 解答番号は。 ブラジルでピシャソンとして表現された芭蕉の句は、俳句が持っている五七五のリズムや、日本語の音韻などの要素を 失っているため、芭蕉の俳句に込められた感情も脱落することになった。 漢字音と形の両方を表す文字であり、ポルトガル語は音のみを表す文字であるため、ブラジルでビシャソンとして描 かれたのは、もともとの漢字が持っている視覚的な効果を失っている。 俳句は季語を用いて、俳人が実際に目にした季節の景色を表しているため、その季語について知識を持たないブラジル 詩人は、芭蕉の句に込められた思いを十分に翻訳することができない。 ④ブラジルの人々は、ふつう芭蕉の原典を知らずにピシャソンを目にするため、ポルトガル語で書かれた春や魚をブラジ ルの事物と照らし合わせて想像し、芭蕉が捉えたのと異なるイメージを思い浮かべるはずである。 ブラジルで春の鳥や魚を指すポルトガル語は、日本語とは全く異なるイメージを喚起するため、ビシャソンを見た人た ちも、力強く、生命力溢れる日本の春をイメージする。 (5) 「人類学はつねに幻夢の残滓『詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない」 部 とあるが、この一文に対する説明として最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。 解答番号は1。 ① 人類学者はフィールドワークを通じて、他民族の歴史と日常生活をよく観察するだけではなく、彼らの詩情にあふれた 世界についても自ら体験した上で、民族誌の読者がわかるような専門用語を使って解説している。 人類学者はフィールドワークを通じて、自身の文化と異なる文化の時間感覚を経験するが、そうした経験を記録する際 に、専門的な学術用語では説明し尽くせない実感を、詩的言語を用いることでなんとか表現しようとする。 人類学者はフィールドワークを通じて、民族の歴史と日常生活をよく観察し、民族誌に書き込んでいくのだが、その 中で重要なのは現地の状況を正確に記録するだけではなく、人々の持っている詩的なものを拾い上げることである。 人類学者はフィールドワークを通じて、自身の文化と全く異なる文化の時間感覚を経験するが、そうした現地の魅力を できるだけ伝えようと努力するあまりに、学術的な専門用語よりも詩的な表現を用いて記録を書いてしまう傾向がある。 人類学者はフィールドワークを通じて、自身の日常生活とはまったく異なる文化と時間感覚を体験する。 その中で得ら れた充実感は、たとえ学者自身が日常生活に戻っても、その感覚とことばを形成する重要な一部分になっている。 (2024AG-B-12) 120 (2024AG-B-11
6 24一般入試A問題 問9傍線部(6)「レミンスキーの翻訳は芭蕉の句の心情を汲み取りながら、それを詩人の直感としてことばの技芸のなかに 移植しようとする」とあるが、そのレミンスキーの翻訳に対する説明として最も適切なものを、次の①~⑤のうちから一つ 選べ。解答番号は1 芭蕉の句にあった「春」を、魚や鳥などに自ら語りかけることができる主体として擬人化している。 ピシャソンとして描きやすいように、芭蕉の句にあった「泪」という語を、「魚の目」の前に置き換えている。 芭蕉の句にあった「魚」を「魚たち」という複数形に変えることによって、感情の広がりを持たせている。 主体に客観 たせるために、芭蕉の句に込められた人間の惜春の感情を、魚や鳥に託している。 「沼」が目にあふれる「魚」を一匹に限定することによって、際立って鮮やかな印象をもたらしている。 問10 問題文の内容に合致するものとして最も適切なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。解答番号は 芭蕉の俳句がポルトガル語に翻訳される中、元の句が指し示すイメージも徐々に変っているが、風景を通じて人間の内 面を表現するという俳諧の精神は、ブラジルにおいても意識的に受け継がれてきた。 レミンスキーが翻訳した芭蕉の句を通じて、ことばは単に意味内容を表すものだけではなく、語句の配置や形式といっ た視覚的な特徴によって、人々の感覚に対して働きかけるものであることがわかる。 ポルトガル語のピシャソンや具象詩によって再構成された芭蕉の句からもわかるように、ある文化が他言語圏で翻訳さ れるとき、翻訳者の創造性と芸術性が最も問われる要素であり、原作者の役割を問う必要性はあまりない。 芭蕉の俳句を訳したレミンスキーが日系人の多く住むブラジルの街に生まれ育ったということからもわかるように、 人 間は関係のない他者の言葉よりも、自身が所属する集団の歴史から生まれた言葉のほうにより興味を持ちやすい。 ⑥ 文化は他言語と出会うことによって豊かに生まれ変わるものであるため、近現代的時間を支配するアカデミーの言語は、 率先して各地域の文化を発見し、解釈を加えていくべきである。 第二問 【古文】(後の【現代文】とのどちらか一方を選択しなさい。) G-B-14) (2024 AG-B-13)

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