次の文章を読んで、後の間に答えなさい。
日
差別は、われわれ人間の中の悪意に基づく。だが、だからといってわれわれの心に住まう悪意をあ
相去すべきなのだろうか ? _これまであらゆる宗教家はそう教えてきたし、哲学者の中にもそう説いて
きた者が少なくない。(中略)
われわれは他人を嘱し、既 め、他人に危害を加え、破滅させる。純粋に(さまざまな意味で)気に入ら
v
ない他人に禍 をもたらそうと企 む場合もある。正義を全うするため、国家や家族を守るため、などの
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,美名のもとにそうする場合もある。復讐 の揚合もあり、自分の身や地位を守る場合もある。
|外形的に他人に膏を加える行為のうち、動機によって正しい行為と誤った行為とを区別することは
B には外形的に他人に危害を加える行
い 響に
有効ではないであろう。
A には分けられるであろうが、
為の内的動機を快り出すことは虚しいであろう。当人にも不明な要因が残るであろう。
よって、われわれは他人に危害を加える存在者なのだ。他人を苦しめようとし、その苦しみを喜び、他
人を破減させようとし、その破滅を祝う存在者なのである。(中略)
と
ローレンツは、人間のみが文化を有するが、それを人間のみが一
c 撃」をするところに求める。
地上の動物が「高級」になればなるほど、集団や個体の差イに敏感になり、ある集団や個体を好み、別
の集団や個体を嫌うのである。ある集団や個体はミ方であり、ある集団や個体は敵なのだ。こうした濃」
淡のある差イの体系が形成されるところに文化は芽生え生育するのである。言いカえれば
存在しないところには、
o方も存在しないのだから、一致団結して敵に立ち向かいミ方を守ると
いう勇カンな行為、集団のために自分を犠牲にするという感動的な行為も消え去る。友情も恋愛も家族
愛も……それを如み破壊しようとする敵がいてこそ大切な総なのである。(中略)
こうした攻撃心を、動物行動学や精神病理学の成果から無批判的に受容し肯定するのは危険であろう。
かしVこれを無批判的に排除し否定するのもやはり危険なのだ。(差別感情というテーマにおいて、わ
れわれのうちに否定しようもなく認められるこうした広い意味での攻撃=悪意を一掃することを目標に
してはならない、とは言えるであろう。
あらゆる悪意とその発露が根絶された理想社会を掲げて現状を嘆くのではなくい自他の心に住まう悪
意と闘い続けること、その暴走を許さずそれをしっかり制御することVこうした努力のうちにこそ生き
る価値を見つけるべきなのだ。人間の悪意を一律に抹殺することを目標にしてはならない。誤解を恐れ
ずに言えば、悪音意のうちにこそ人生の豊かさがある。それをいかに対処するかがその人の価値を決める
のである。
自分のうちに潜む攻撃心を圧殺してはならないということは、それを容認することではなく まして
それをそのまま資定することではない。われわれは、(むしろ差別感情に伴う攻撃心や悪意を保持したま
ま、自己を正当化することが多い。ここに、刺き出しの攻撃心や悪意より|え 悪質な、巧ミョウに隠
された攻撃心が育っていく。ここには、差別をしていないと言いながら紛れもない差別をしているとい
の
う彼さが悪臭を放っている。