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現代文 高校生

問3の答えを教えてください! 見づらくてすみません💧

3 地球は丸いか 評論との違いを意識して読む 一随筆の読み方 ●随筆とは、筆者が自身の体験や見聞に基づき自由に書き綴った文章 を言う。評論のように客観的論理的にとらえられないことも多い。 ●筆者がその文章を書くきっかけとなった出来事から、特に筆者の心 をつかんだ事柄を把握し、それに対する筆者の感想を読み取る。 Cr 問傍線部①②において、「とかいう」「とやら」という表現が使われて いるのは、「引力」という語による説明に対して筆者がどのような思いを 抱いていたからか。その思いを最もあらわしている語句を、文中から十五 字程度で抜き出せ。 (ただし、句読点は含めない。) (8点 」という説に対する筆者の思いを読み 段落で述べられている「 取る。 幼いころ、地球が丸いということを覚えたが、心底から納得した わけではなかった。下側になった人間が落ちてしまわぬというのは、 どうしても不可解なことであった。大人たちは引力とかいう言葉を使 用したが、万一逆さになったなら、強力な鳥モチを足の裏に塗ってお いても落ちてしまうであろうし、目に見えぬ引力とやらでそれを食い とめられるとはなんだか怪しげであった。 といって、もし地球が平らであったとしたら、その果てはやはり 崖かなんかになっていなければならず、 そこのところがやはり不可解 で、自信がもてなかった。とにかく地球は丸く、その丸い地球がなお かつクルクルと回転しながら宙をとんでいる、と考えただけで、今に も何か悪いことが起こりそうな予感がした。 が、いつの間にか、私は 地球が丸いのだということを信じ、疑わぬようになったようだ。 それでも、先に船に乗っていたとき、私はどうやら本当に地球は 丸そうだということを確認した。 水平線に現れる船影はまずマストか ら見え始める。昔のギリシャ人はちゃんとこのことを知っていた。し かしもっと年代がたつと、地球はやはり平たいことになってしまい、 船乗りたちは海の果てに行くことを恐ろしがった。 また小学校のころ、私はたしかアサヒグラフかなにかで、ある天 文学者の奇妙な説の紹介を読んだ。それによると、空の星はばらばら に離れているように見えるが、これは光の屈折による目の錯覚で、 実 8 は数珠玉のように連なっているのだそうだ。 したがって極地まで行け ば、別の天体に乗り移れるのだそうで、二ページにわたる挿絵がつい ていたように覚えている。 この珍説は私を興奮させ、どんな具合につ ながっているのか、この説が真実であるならば歩いて月まで行けるわ けだと熱っぽい考えにふけったりした。 しこう ⑤いったいに私にはまっとうな説よりも、いかにも怪しげな、奇抜 な説のほうを好む嗜好があるらしい。もし私が中世の王様にでも生ま れていたなら、錬金術に国費の大半を注ぎ込み、魔女と占星術師を大 臣に登用したことであろう。それゆえ、 科学史などをひもとくと、ど も偉い利口な大学者たちが、やたらと大発見、大発明をジャンジャ ンと成し遂げてしまい、それがみんな正しいらしいので弱るが、たま に奇妙な珍説をみると心楽しくなる。 鳥モチモチノキなどの樹皮から作るゴ J 間二傍線部③と反対の意味で使われている語句を、文中から抜き出せ。 (6点〉 「珍説」= と対比して筆者がとらえているものを読 「奇妙な説」= み取る。 問傍線部とあるが、ここであげられている 「錬金術」 「魔女」 「占星術 「師」は、何を象徴的にあらわしているのか。適当な語句を、文中から十字 以内で抜き出せ。 (6点〉 」の「大発見、大発明」と対比して筆者がと らえているものを読み取る。 10点 ア筆者は、地球が丸いという事実を目の当たりにしても、なかなか受け 入れることができなかった。 問四本文の内容に合うものを、次からすべて選べ。 イ筆者は、地球が丸いという説と平らだという説のどちらにも、十分納 得できずにいた。 ウ 筆者は、船乗りだったときに、ギリシャ人と同じように地球が丸いと いう真理に気づいた。 エ筆者は、小学生のときに天文学者から聞いた話をきっかけに、奇妙な 説に熱中するようになった。 オ筆者は、偉い学者たちによって正しい発見ばかりが行われていること を面白くないと感じている。 みいだ カ筆者は、まっとうな科学史ではなく、錬金術や占星術などの怪しげな 説の中に真実を見出した。 理解度チェック も参考にしながら、選択肢の内容の正誤を丁寧

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現代文 高校生

八段落の「負のエントロピーの極み」というものがなにか分かりません。40字以内でまとめろと先生に言われました。何かいい回答をおもちの方は解説等をお願いします。 出典:数研出版 現代の国語 白(原研哉)

中に白を置いてみる。「白は混沌の中から立ち上た る最も鮮烈なイメージの特異点である。 混じり合うという負の原理を進行し、 に回帰しようとする退行の引力を突破して表出する。白は特異性の極まりとして発生す るのだ。それはなんの混合でもなく、色ですらない。 エントロピーという概念がある。熱力学の第二法則の中で語られているこの概念は、 混沌の度合いを示している。 熱力学の第二法則とは、あらゆるエネルギーは平均化され ていく方向で保存されるという物理法則である。手の中のコーヒーカップのコーヒーは 今、熱く湯気をたてているが、やがてそれは冷めて周辺の温度と同じになってしまう。 ・コーヒーは手に持っているままでは決して熱くなったり、凍ったりはしない。それは確 実に冷めていく。しかしコーヒーの熱は失われたわけではなく、周辺の温度と平均化さ れることで保存されていくのである。東京の気温、シベリアの気温、コンゴ盆地の気温 は、生命のような地球の活動のおかげでそれぞれ異なるが、巨大なスケールの時間の中 では、やがて同じ温度になっていく。 地球の温度も、いつかは周辺宇宙と入り交じって 宇宙の平均温度に無限に接近していく。エントロピーの増加とは、特異性を減じて平均 の果てへと帰趨することを意味している。 全ての色が混じり合ってグレーになるように、 エントロピーが増大する果てには巨大なエネルギーの混沌世界がある。 コーヒーカップ~ の熱も、東京の気温も、地球の温度も、全ての熱エネルギーは一つの巨大な平均として 保存されていく。ただ、この混沌は、死でも無でもない。何ものでもなくなったエネル ギーは、同時に何ものにでもなりうる保存された可能性そのものであり、その大いなる 無限の混沌から、エントロピーを減じながら突出してくるものこそ「生」であり「情報」 ではないか、エントロピーの引力圏をふりきって飛翔することが生命である。 混沌の無 してくるものが意味であり情報である。 その視点において生命は情報と同 日は、海の中から発生する生命あるいは情報の原像である。白はあらゆる混沌から のがれきろうとするエントロピーの極みである。 生命は色として輝くが、白 ものがれて混沌の対極に達しようとする志向そのものである。生命は白を が、具象的な生命は地に足のついた瞬間から色を帯びている。 01 から再びまっさらな色が生まれてくるのである。 G 意味 シベ 部の 盆地 がる 原 具回イ混 恋

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現代文 高校生

【至急】🚨明日の提出課題を助けて下さい この『名前と人間』(田中克彦)について、噛み砕いて説明してもらえませんか? これは何が言いたいのでしょうか❓ .固有名詞が個別性のみならず共属性もあるということを伝えたいのか? .固有性と弁別性とはこの中では違うのか? .固有名詞の... 続きを読む

ステップ2 RYZ 読解名前にはどのよった たなかかつひこ 田中克彦 課題 筆者の考えの根拠をおさえよう 名前と人間 I 5 (注1) 論理学者たちが、固有名詞特有の機能は、同類の他のものから、ひたすらそれ自体を切り離し、区 するところにあるとしてきたのは、おそらく一つの等質的な言語社会のなかでのことしか考えていな かったからであろう。そこで忘れられていることは、まず第一に、人間はいったい、そのように弁別され そも同じ課の社 をどの程度必要とするのか、そもそも、社会のあらゆる連関からまったく切り離された個などがあり るのか、また、その弁別は、何のために必要なのかという視点である。 こうした社会的な観点を欠いた、普遍主義的な見方、純論理主義的な見方は、それ自体、帝国主義的な- 単なる目じるし 断を内蔵している。 固有名詞には、ある条件のもとでは、支配や権力の関係や構造がハンエイせざるを 得ないところがある。そうした社会的、文化的ヨウインを捨象して、意味ゼロの記号 と見る観点からは、固有名詞のもう一つの本質が消し去られてしまう。それは、個体、とりわけ人間を、 個別化させると同時に、共属関係をも作り出すからである。ソ連のニコーノフという名前学者は、十八、 10 九世紀のロシアの農村では、「アンナの娘は二人ともアンナ」であったり、「ガヴリーラの息子アレクセイに はが三人いる。九歳のエウフィミヤ、七歳のエウフィミヤ、一歳のエウフィミヤだ」といったような、同 名への好みがあったと述べている。 (注2) 固有名詞は抽象的記号 (数字やアルファベートのような)ではなく、特定の言語に属しているから、も 普通名詞とつながっていれば、たとえ、原義は無視され、その意味がかすんでしまっても、必要とあらば、15 される可能性をとどめている。またかりに意味はゼロだとしても、オトのつながり方のパターンは、 その名が、何語に属しているかを教えている。ジョン・レノンという名を聞いたとき、人はそれが日本人 が生まれたときにつけたはえぬきの名ではないとすぐに判断するし、オノ・ヨーコと聞けば、それがたぶ 日本人の名であろうと思う。 ジョン・レノンは日本語の名のパターンに、まずオトとしてあてはまらな いのに対し、オノ・ヨーコのほうは、聞いてすぐにその枠の中に入れられる。 (注6) こう考えてみると、人は名前をつけるときに、弁別性あるいは個別性よりはむしろその言語、より具体 としてふさわしいパターンにあわせて作り、それからはずれないように心している ということのほかに、それとは逆方向の という性格があらわになってくる。 国の事例の中で筆者が最も言いたいことに線を引き、④段落の考えの根拠をつかもう→問穴を攻略 所属性、共属性 PRIPE 間漢字 情報部~について、カタカナは漢字 速目 (注) Ⅰ帝国主義的な独断――ここ を受け入れない独断とい 2捨象 切り捨てること。 3賦活活力を与えること 4ジョン・レノンロック ビートルズの一員、イギ はじめからの はえぬき 6 オノ・ヨーコージョンの 要旨をつかむために! 1空欄を埋めていこう 文章展開図o 他のものか 1固有名詞・・・ 離し、 2意味ゼロの記号・単 →もう一つの本質が消 同名(→どの家の 例:十八、 九 オト→その名が! 例:ジョン・ ステップ 2 ④人の名…ふさわ →固有名詞 ステップ 凸 大きくとらえよう AU

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現代文 高校生

開発講座の問題です 問2が分かりません ⑥にイギリスの例があって製鉄が環境破壊を招いている点が似ていたのでここが同値関係となっていて、2の歴史家を選びましたが違いました ここは関係ないんですか? あと⑥の最後の方に書いてある「このため英国の森が破壊しかけた所〜ご理解がcol... 続きを読む

第3問 次の文章を読んで左の問に答えよ。 日本の運命を変えたのは、四世紀ごろから進んでいた朝鮮半島における自然破壊で した。むろん、日本人がやったのではありません。朝鮮人がやったのです。山を掘り くずして、砂鉄を(ト)り製鉄をはじめたのです。 おそろしいばかりの自然破壊でした。 鉄の製(レン)には木炭を必要とします。わず 数トンの鉄をつくるのに、一つの山が裸になるほどの木炭を必要とします。 5 製鉄集団は、おそらく女性や子供をふくめて何百人という単位だったでしょう。 そ れらが、朝鮮の山から山へ移動して、丸裸にしてゆきました。 「むろん、そのあとに植林をするということはしなかったようです。朝鮮の山は、不 幸なことに自然の復元力がよわいのです。むろん、ギリシャ文明が去ったあとのギリ シャの自然ほどではありませんが、朝鮮の山々は乾き、山の土(ジョウ)は風に吹きと 10 ばされて、岩の層が露出するといった風景になりました。むろんこれは、 イ的想 像力でいっているので、三世紀、四世紀の朝鮮には、そのことを書いた文献はありま せん。 三、四世紀の朝鮮半島の製鉄業者たちに話をもどします。 かれらは、遊牧民が草を 求めて移動するように、森を求めて移動するひとびとでした。朝鮮の山々を裸にして 15 しまったとき、はるか南の海に、樹木の多い島々があることを知ったのです。それが、 日本でした。やがていくつものグループが海をわたって、日本にきました。五世紀 第3問 12

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現代文 高校生

7、8、10段落目の内容がよくわかりません。例などを挙げてわかりやすい言葉で説明して欲しいです。

ひかる おいずみ 奥泉光 己を放り込む虚構 人が生まれ育った場所を故郷と呼ぶのなら、 庄内は必ずしもぼくの故郷とは言えないだろう。 生まれたのはた しかに山形県ではあるけれど、一年も経たぬうちに両親ともども東京に移ってしまったからである。とはいえ母 の実家である、広々とした水田に点在する集落の家には、祖母と曾祖母が残って、毎年夏には必ず帰省して庄内 平野の穏やかな風光のなかに長い時間を過ごした。 ② 子どもにとって夏休みはそれだけでもう心弾む出来事であるが、ぼくにはさらに田舎での数週間という贈り物 があったわけである。 すばやく身を翻し水底の泥に隠れるドジョウ、草いきれのなか息を殺して浮標を見つめた 用水路での魚釣り、蚊帳に置かれてあわく明滅する蛍、サエギるもののない広い夜空に横たわる銀河、集落のは ずれから繰り返し眺めた月山の姿――。 これら子ども時分の貴重な記憶の数々は、一昨年に書いた「三つ目の鯰」 という作品となって一部結晶したのであるが、要するに大人になるまでのぼくにとっては、庄内はただ心楽しく エキサイティングな冒険の場所にすぎなかった。 ○筆 ③ 故郷という言葉とともに山形の家のことを考え始めたのは、三十歳に近くなってから、小説を書き始めたころ のことである。 ④ ひとつのきっかけは父の死である。葬式が終わり、田んぼの真ん中の墓地で、白木の箱から父の骨灰を墓の底 にばらばらとまいたとき、かつてない不思議に甘美な気分にぼくは捉えられた。それはどうやら自分もいずれ死 ねばこうなるのだとの思いであるらしく、そう思って周囲を見回してみれば、五月の水田は湖沼のように陽光を 映して輝き、月山と鳥海山が蒼くくっきりとした稜線を鮮やかにして墓地を遠くから見つめている。雲雀のさえ ずりが空の高いところできこえた。 ⑤ 自分の死に場所にここは悪くない。そのような声が、 「故郷」という言葉とともに、初夏の平野をぼんやりと眺 めるぼくの心に、静かに立ちのぼってきたのである。 ⑥ 「故郷」とは言うまでもなく近代に発明されたひとつの虚構である。都会での生活スタイルが確立されるにつれ 生じてきた、だれとも連帯せずに浮遊している人の孤独感、あるいは根を断たれているとの不安感が、 温かく己 を包み込んでくれる母胎のごときものとして、己の魂が穏やかに回帰すべき場所として、遠い憧れの地境として、 「故郷」のイメージを文学的に創造した。故郷の山河といった場合、山や河自体は当然昔からそこにあったはずだ けれど、それらが懐かしい風景として思い描かれるにいたったのは、明治以降の文学がそのように描いてきたか らである。 ⑦ たとえば柳田国男の「常民」概念をここであげるなら、それが現実に生きてある人々を具体的にさすのではなく、 失われた何かを回復せんとする柳田のロマン派的文学の心情が作り出した虚構であることは、数多くの批評家が 指摘するとおりである。「常民」とは都会にある者の眼に映った、 「故郷」に棲む人間の幻像である。 一方では、少なくとも近世以来、西欧的な都市団体をもたなかったわが国では、都会の生活者といえども地縁 血縁のしがらみからは逃れがたく、そうしたしがらみの象徴としての意味をもまた「故郷」は担うことになった。 かくして故郷は両義的であり、だからこそ遠くにありて想うものなのである。 ⑨ 虚構である「故郷」はつまり選びとられるものである。選んだおぼえなどないという人にしても、無意識のうち にそうしているのであり、人生の節目のあるとき、ここがやはり私の故郷なのだと、感慨にとらえられつつ風景 に良をやった記憶がだれにも必ずあるはずである。 ⑩ 虚構をこととする作家であるなら、当然この選択にはジカク的である。作家は「故郷」を発見する。たとえば中 上健次にとっての紀州がそうである。むろん作家は故郷にアンジュウしたり、ただ感傷にひたるために故郷を選 ぶのではない。何らかのかたちで「私」を問題にせざるをえない近代小説の伝統のなかで、 己自身をひとつの虚構 に放り込むことで、多様な物語を「私」の内部に導き入れようと作家は企むのである。 ⑩ ひとりの作家であるぼくは、庄内を自分の「故郷」として選んだ。 これから小説を書き進めていくなかで、ぼく の「故郷」は途切れることなく、創造の活力を与え続けてくれるだろう。 32 [⑧] ① 14 筆る 2-1 5-3 7~6

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現代文 高校生

答えがエで私はウを選んだのですが、ウではなくなぜエが正解なのか教えて下さい! 確かに1文目に似た様なことは書いてありますが、「作り上げた」の主語には「日本人」も必要な気がするのですが…

あ こんどう 日本人は木とともに文化を作りあげてきた。日本列島の山々は木々に覆われ、緑にあふれた風景が広 がっているが、これらの森林のめぐみを享受することで、木の文化ははぐくまれてきたといっても過言で はない。世界最古の木造建築である法隆寺金堂をはじめ、前近代の建物のほとんどが木で造られてきたこ とはその証しのひとつといえる。また、木とともに歩んだ長い歴史のなかで、 身近な生活道具から美術工 芸品に至るまで、木を扱う深い知識と高い技術を蓄積してきており、世界に誇るべき日本の文化である。 いっぽうで現代の日本、とくに都市部では鉄やコンクリートのビルやマンションが林立し、人びとは屋 外を見るにもガラスの窓越し、室内を見わたしてもプラスチック製品に囲まれ、化学センイの衣服を身に まとっている。日常生活と森や木との距離が離れているため、森林のめぐみを実感しにくいかもしれな い。とはいえ、春にはサクラ、秋にはモミジと、木々の告げる季節の移ろいは私たちの感性に息づいてい る。言葉をみても、ちぐはぐな状態を「 A 」と表現したり、ハレの舞台を「檜舞台」 といったり する。このように木々は今なお生活のなかに溶け込んでおり、単なる物質的な存在意義を超越して、日本 の文化に深く根付いているのである。 日本では木々に限らず、そこに生きる動植物、落葉、 山菜に至るまで、森林のめぐみを享受してきた。 保水・防風・気象緩和機能など、森林は人間に適した環境を構築する一翼を担っており、目 にみえない恩恵は計り知れない。陰に日向に、森や木は生活に密着した存在であり続けているのである。 洋の東西を問わず、 人類が森林のめぐみを享受してきたことは間違いない。 「木の文化」 の東洋に対して、「石の文化」の西洋と対比的に語られることも少なくないが、実は西洋においても木材 は各所で用いられている(ヨアヒム・ラートカウ『木材と文明』)。奇しくも二〇一九年四月の火災によっ て、パリのノートルダム大聖堂の屋根が木造であったことが広く知られるようになったが、 軽くて丈夫 で、さらに加工しやすい木材は建材として重宝されたのである。これは特殊な事例ではなく、北欧、東 欧、スペイン・フランス境のバスク地方など、ヨーロッパ各地に伝統的な木造軸組構法の建築物が現代に も数多く受け継がれている。 なかにはバスク地方の一部の木造教会のように、木を用いながらも石造のよ うにみせた建築も点在している。 そこでは石の目まで精巧に描いて柱を大理石にみせたり、石の継ぎ目を 表現して石造の尖塔アーチのようにみせたりしており、その技法や熱意は驚愕に値する。 木目の美しさや 温もりなどを活かす日本では思いもよらない独特の嗜好性を示しており、興味深い。 また建築に限らず、 酒樽や家具などの生活用具をはじめ、大航海時代に大海原を駆けた帆船も木造で P

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