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世界史 高校生

(3)が分かりません。教えていただきたいです🙇🏼‍♀️

世界の略奪者 [たるローマ人] たちは,全てを荒ら し回って陸地を見捨てた後に, 今や海を探し求めて いる。彼らは,敵が裕福ならば貪欲となり,貧乏なら ば野心を抱き, 東方も西方も彼らを満足させなかっ た。・・・・・・略奪し殺戮し強奪することを、偽りの名前で 支配と呼び, 無人の野をつくると平和と呼ぶ。 資料Ⅰ まるで祭を祝うように, 全世界が古くからの重荷 である鉄 [製の武器] を置き、能力を挙げて身を飾る ことやありとあらゆる楽しみに取り組んだ。 ••••あら ゆるところに体育訓練所・噴水・前庭・神殿・仕事 場・学校が溢れており,いわば原始時代から病んで いた世界が回復したと, 正しい知識でもっていうこと ができる。 資料2 資料 1・2 は,1~2世紀のローマによる支配について書かれたものである。 (1) この時代のローマ帝国による支配が安定していた時代は, カタカナで何とよばれるか。 (2) (1) の状況下、ローマ帝国の領土が最大となった時の皇帝は誰か。 (3) 資料 1.2 は,(1)について異なる視点から述べている。 それぞれの資料はローマによる支配をどのよ うに評価しているだろうか詳しく答えよ。 ルーム

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世界史 高校生

歴史 答え教えてください🙇‍♀️

ごかい? とうかいどう ・五街道/東海道 なかせんどう ②中山道 おうしゅう 4甲州道中 5 奥州道中 にしまわ ・西廻り航路 ひがき 菱垣廻船・樽廻船の航路 江 はこだて にっこうどうちゅう 200km 箱館 ③日光道中 ・東廻り航路 チャレンジ まつまえ りゅうきゅう えそち 松前 江戸時代に、琉球で蝦夷地 はちのへ その他の航路 青森 八戸 こんぶ の昆布を消費した記録がある。 秋田 0 みやこ 日本海 宮古 気仙沼 佐渡 いのま せんだい 石巻 仙台 小 新潟 しらかわ 輪島 隠岐 日光の 白河 5 富山 30 くに うつのみや 宇都宮 -朝鮮通信使の 通った航路 京都 名古屋 単府 江戸 ふくやま つしま 対馬 はぎ 広島 福山 大坂 下関 さかい ひらど はかた 博多 堺 山田 「和歌山 やまだ ともだ 下田 けせんぬま ちょうし 銚子 地図を見て、 流通経路につい て説明した下記の文章の空欄 に適語を記入しよう。 蝦夷地で採取された昆布は酒田 を経由し、(A廻り航路) で大坂へ運ばれた。 また, 琉球へ は(B薩摩)から運ばれた。 さかた 太 平 手 ** この航路は近年「昆布ロード」と もよばれている。 ちょうせん 朝鮮 しん 清・オランダ 鹿児島 8 からの航路 りゅうきゅう 琉球からの. 使節の航路 またねがしま 3種子島 K- ◆江戸時代の交通 学習課題をもとに「確認」「説明」に答えてみよう。 確認 きょてん 江戸時代の日本において, 水上・陸上交通の拠点となった都市を本文や教科書p.23 図2から三つ書き出そう。 説明 江戸・京都・大坂 「 日本がその後急速な近代化を遂げるにあたり,一番重要だったと思う要因とそのように考えた理由を説明 しよう。

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世界史 高校生

3、、5 、10になにが入るかわかりません! また冊封体制と朝貢体制はおなじですか?

第1章 近代化への動 買と冊封による東アジアの国際秩序 東アジアの貿易 p.30~31 Check の 116 (4 朝」と封=①体制の成立(東アジアの国際秩序) 中国王朝 封首を王に任命する (宗主国) 周辺諸国 朝貢物を献上する 中国文化の伝播 [2冊封】 〕貿易へと発展 . (③ ・中国暦法の使用 教 <文明レベルの高さ≫ 高い 「低い」 は, マレー半 に成立した 。 東西交易 するこの 栄期をむ ラッカは, 明・琉球 ぎわった。 ガルに滅 (インド洋貿易] 貿易 ⑤ (夷 思想(中華思想) 政策緩和 中国 朝鮮 ●(対馬) 琉球 長崎 日本 マラッカ王国 〔 〕体制 支配 江戸幕 (10 に帰依 にあって かえる 仲介者 果たし ヨーロッパとの貿易 ポルトガル スペイン・オランダなどが, マカオ・マニラ・ ヨーロッパの (バタヴィア 現在のジャカルタ)を拠点に, アジア () 進出 貿易に参入 マラツや国の首都 世界最 われ 貿易港 広州】1港に集中 で買 なか 清 * [行〕(特許商人組合) を介して貿易 アジア側の ・辺境には〔1 〕をおき、民間貿易認める 本の パの 主と 対応 日本 ・【個長崎〕で、(⑩オランダ 社と交易 東インド会 ごい 長 アジア (中国など) ヨーロッパ 陶 香辛料 香料・陶磁器・茶 木綿

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世界史 高校生

空白の部分を教えて頂きたいです。

1 オランダ東インド会社と日本 " 17世紀初頭, 植民地帝国 (1) 設立 →ジャワのバタヴィアに拠点をおき、日本の平戸を含むアジア各地に商館を 建設 →アジアの海の貿易ネットワークに参入、2大西洋二角 収益を得た -> →「3 ← する 貿易で大きな が不公 正な場合には、肌のお を通じて貿易をおこなう ...」後の日本とも長崎の4 大 ・ 2 オランダから英仏の覇権争いへの 17世紀前半のオランダ 海上貿易で世界市場を支配する5 て繁栄←繁栄の基礎: 中継貿易 6 →7 工業, 造船業 国家とし 海貿易を支配, 東ヨーロッパから穀物や木材を輸入 →商工業で優位を得て、金融面でも支配的な地位を築く 実車画 ・18世紀になると、 後発の8 掘り崩していったり がオランダの貿易面での優位を 18世紀の 8 : 国際商業と植民地支配の主導権をめぐり9主会と 断続的に戦争をつづけた →10 : →イングランド銀行による 11 (F) 条約(1763) カナダとミシシッピ川以東のルイジアナ獲得 引き受けを背景とした強大な海軍 力を用いて,大西洋世界で広大な植民地帝国を形成 主本一 3 大西洋三角貿易の展開 主 ・8による大西洋をまたいだ 12 貿易→産業革命の基盤に ・北米南部からカリブ海地域の植民地では13 プランテーション (大農園 が発達 HOME →13の労働力確保のため, アフリカ系 14雪がもたらされる →17~18世紀に 14貿易が拡大 ●平不タバコなど 15 = e=(8) アメリカ大陸 西ヨーロッパ (西インド諸島) 室 共 0 アフリカ 日用品 ・ 火器

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